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天才少年と呼ばれた棋士を乗せて

最初に断っておきます。
これはnoteで初めて書いた文章のリバイバルです。当初の文には当事者の実名や場所がそのまま書かれていたりしました。1日で3000以上の読者がいてかなりの反響でした。プライバシーの観点を無視した事、その事につきましてはこの場でお詫びいたします。かなりの見直しをしてこの形で再び投稿します。



普段、タクシーをやっていると
本当にいろいろなお客様を乗せる。

その中でも、
今でもよく覚えている夜がある。

犬山で大きなタイトル戦が行われていた日のことだ。

まだ若い、
日本中誰もが知る超有名な人気棋士の対局だった。
それも地元の実力者同士のタイトル戦。

私はたまたまその会場の近くで待機していて、
関係者の配車で呼ばれた。

ホテルへ着くと

「今日は裏の方で待ってもらえますか」と言われて
バックヤードで車を止めて待つ。

その間、私はスマホで
将棋の中継を見ていた。

まだ対局は終わっていない。

しばらくして外に出ると、
夕方の光の中で

犬山城が静かに木曽川を見下ろしていた。

今、まさに
この城のすぐ下で日本中が注目する
勝負が行われている。

そんなことを思いながら
もう一台のタクシーの運転手と

「まだかかりそうですね」

なんて話をしていた。



やがて日が傾き、
すっかり夕方になった頃

二人の棋士が出てきた。

最初に乗ってきたのは
対局に勝った棋士と関係者。

短い距離だったが、
車内はとても明るかった。

やはり勝った直後だからだろう。
終始にこやかな表情だった。

ホテルへ戻ると
関係者から

「少し待ってもらえる?」

と言われた。

どうやらあの若き天才棋士を送るらしい。

しばらく待ったあと
その若い棋士が出てきた。

ついさっきまで対局で着ていた着物ではなく
学生のような服装だった。

ドアを開けると
ちょこんと頭を下げて
静かに車に乗り込んだ。

行き先は
町名だけ。
独特の早口だ…

どうやらプライバシーのため
家の前までは行かないらしい。

車内はとても静かだった。

彼の自宅の方へ向かう道の途中、
ふとルームミラーを見ると

その棋士は
天井の方を見上げていた。

悔しかったのだと思う。

何か声をかけた方がいいのか
一瞬迷った。

でも
下手な言葉はかけられない。

ただの純朴な高校生にも見えるが
彼は
日本いや世界をも代表する天才棋士だ。

結局、私は何も言わず
静かに運転した。

時折聞こえる、漏れてくる彼のため息…
車の静寂が一段と引き立ってしまう。

町の近くまで来ると

「このあたりでいいです」

そう言って
車を降りた。

「ありがとうございました」

ちょこんと小さく頭を下げて
夜の住宅街へ歩いていく。

まだ十代だった。

あの背中を
今でもよく覚えている。

その後
その棋士は将棋界を席巻していく。

ニュースでその棋士の活躍を見るたび、
私はあの夜のタクシーを思い出す。



この話をYouTubeショート動画にしました。是非ご覧下さい

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