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いつかは全部がラヴ・パレード

不意に、ORANGE RANGEの「ラヴ・パレード」が聴きたくなった。 イヤホンから流れるイントロの瞬間、視界が歪み、一気に小学校の夏休みへと引き戻される。

私たちの世代にとって、彼らは単なるアーティスト以上の存在だった。小中学校時代、教室でも放課後でも、彼らの音楽は空気に溶け込むように流れていた。凄まじい人気だったあの頃、数ある名曲の中でも私は「ラヴ・パレード」が一番好きだった。あの曲は、紛れもなく私の青春の「最新」であり、眩い熱狂そのものだった。

けれど、20年以上の時を経て、それは「ノスタルジー」というラベルを貼られた装置へと変貌している。

ここでふと思う。 今、私が「最新」だと感じて追いかけているもの、心震わせているこの瞬間も、時の流れという巨大なフィルターを通れば、いつかは「懐かしいあの日」に分類されてしまうのだ。

私が初めて手にしたスマートフォン、iPhone 4。 あのエッジの効いた質感と、掌に収まる「未来」の感覚。当時はあれが世界の最先端だった。けれど今、それを手に取れば、私たちはその小ささやスペックの低さに、愛おしいほどの「過去」を感じてしまう。

音楽も、映画も、アニメも。そして、住んでいる家や街さえもそうだ。 引っ越したばかりの部屋は、壁の白さも床の匂いもすべてが新鮮で、特別な場所に思える。けれど、数ヶ月、数年も経てば、そこは単なる「日常」になり、何の感情も動かさない風景へと溶け込んでいく。

人類は、ずっとこの積み重ねで生きてきたのだ。 ラスコーの壁画が描かれたその日、それは紛れもなく一族の「最新のアート」だった。今では国宝や世界遺産として崇められる古都の寺院も、建立された当時は、木の香りが漂うピカピカの「新築」だったはずだ。当時の人々も、その輝きに目を細め、やがてそれが「当たり前」になり、そして長い時間をかけて「歴史」へと昇華されていく様を見つめてきたのだろう。

そう考えると、今のこの切なさも、少しだけ愛おしく思える。 どんなに新しい技術も、鮮烈な感情も、時間は等しくそれらを熟成させ、優しいセピア色に変えてくれる。

最新が日常になり、日常が懐かしさに変わる。 そのサイクルこそが、人間が文明と記憶を積み上げてきた足跡そのものだ。

あの頃の夏休みに帰れる魔法を耳に響かせながら、私はまた、いつか懐かしくなるはずの、ピカピカで、やがて古びていく「今日」を一歩ずつ進んでいく。

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