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アラフォー初めての手術体験記(腫瘍摘出編)

現代の世の中に、入院手術を経験せずに人生を全うする人はどのくらいいるのだろうか?人間が他の多くの動物に比べて大きく寿命を延ばしてきたのは、間違いなく医療の力だ。簡単なものでは点滴から、最近では心臓を動かしたままの心臓手術まで、日々いろいろな技術が開発されては淘汰されていく。

いつか自分もお世話になるんだろうなぁ(小学校で入院は経験)と思いながら、どこか他人事だったがその時は突然やってきた。

本闘病記は、腫瘍に気づいてから除去手術を受けて退院するまでの話だ。一応良性だろうと言われているが、生検中なので結果次第では続くことになるかもしれない。


【しこりの気づき】

1年前の秋。まだ休職中だった。
朝散歩がメンタルにきつく、夜散歩をするようになっていた。たまに少し走ってみては全然距離が延びずにバテてしまい、情けなく思っていた。

少しズボン類がきつくなった気がする。怠けているから脂肪増はしかたない。そう考えていたが、どうやらただの脂肪ではなかったようで。

「ん?」

ある日の入浴中のことだ。
いつものように体育座り状態で入浴していると、左右で太ももの膨らみ方が違う。よくよく触ってみると左大腿外側に握り拳を半分に切ったようなドーム状の膨らみを見つけた。

痛みも変色もないが、さすがに普通じゃない。
風呂から上がって奥さんにも見てもらうが、「病院に行った方がいい」と言われた。

近くのよさそうな整形(形成)外科を探し、MRIで検査してもらうと『得体の知れない何か』がいた。

当時のMRI画像と説明から脚の断面図示

「脂肪腫…だとは思いますけど、普通は筋肉の外に袋状にあるんです。あなたのは筋繊維の中にめり込むようにある。こうなるとうちでは処置できないので、紹介状を書きますから大きい病院へ行ってください」

ここから、葛藤と決断を迫られる闘いに火ぶたが切られた。

【経過観察の末に】

紹介されたのは全国でも指折りの大学病院。田舎のど真ん中にドーン!である。おお、地元のドクターヘリやERも持つ基幹病院よりはるかに大きい。

駐車場へ向かう周回道路からして難解で道を間違えた。最初だけ、最初だけね。中に入ると『The 大病院』だった。中も迷うじゃんこれ。事前に当たりをつけておいてよかった。

待つ。予定時間を過ぎても待つ。大病院の宿命だが、病弱だった僕はしっかり経験済みだ。

番号を呼ばれる。入室すると花輪くんを少しロン毛にし、メガネをかけたあっけらかんとした先生が診察してくれた。地元病院のMRIデータを診てひと言。

「たぶん良性だと思うんですけど、取っちゃいます?それとも…様子見ます?」

あ、明らかに取りたがってる!でも痛くないし、メンタルボロボロだし。様子見で通すことにした。

このやり取りを半年ごとに繰り返し、3回目の今年の秋。MRIに変化が出た。

「少し大きくなっていますね。どうします?取ります?」

大きくなるのは困る。
この頃は復職直後だったが、有休も少なく無駄にするわけにいかない。出した答えは。

「年末に手術をお願いします」

決めた。人生で初めて手術をする。そんな一大イベントなのに、会社のバタバタに忙殺されてその後1ヶ月半は手術など忘れたかのごとく過ごしていた。何せ入院準備をしたのが当日の朝なのだから。

【入院なんて怖くない…いや怖いよ!】

入院書類に目を向けたのは直前になってから。奥さんとお義兄さんに保証人になっていただき、ようやく手術内容、書類サインに向き合ったが、「どうせ痛いだけでしょ」とこころは意外と落ち着いていた。

事実、もっと怖いのはメンタル疾患だ。うつ病は辛い。終わりが見えない。恐らく元には戻らない脳の病気のほうがずっと恐ろしい。手術を終えた今もそう思っている。しかし、だ。僕は別の意味での怖さを2つ味わうことになる。

①病室
入院受付から案内されたのは、スイートルーム!?病室が空いていなかったせいか、希望の4人部屋ではなく特別室があてがわれた。

え、これ差額ベッド代、どうなるの?

高額医療費扱いとはいえ、差額ベッド代は別だ。後からみると病院側の都合でということで個室ベッド料金になっていた。結局この部屋には1泊だけで貴重な経験をさせていただいたということになる。

②スマホ忘れ
車で充電してたらそのまま。
気づいたときには家族と別れて帰っている頃。看護師さんにお願いし電話を借りて奥さんにかけると「スマホ置き忘れてるよ!」と娘に怒られた。Uターンし、病棟階のセキュリティエリア手前まで持ってきてもらった。もう平謝りのパパであった。

スマホがなかったら?
それはそれで何とかなるが、いろいろ困りそうだったので。(奥さんとの連絡関係で)

【コードブルー】

某医療ドラマは観ていないが、単語と意味は知っている。命の危機にある患者さんの存在を病院全域に知らせて医療関係者を素早く集め、対処するコールサイン。

この病室にいるときに初めて耳にした。

「コードブルー、コードブルー。外来〇〇科に集まってください」

その診療科で致命傷になるような疾患はないはず。別の病気が発症したのか?患者さんは助かったのか?わからないが、さすがに臨場感が高かった。

【蘇る30年前の入院トラウマ】

特別室スイートルームでも、ベッドはさすがに全共通。寝心地が悪く寝起きの首は痛かった。これが退院まで続くのだ。改めて思うとぶっちゃけ術後の患部より厄介だった。

朝から少しずつ手術準備に入る。
まずは絶食。続いて絶飲。そして点滴だ。
慣れたもんだ、と思いきやあの小学生入院時の『点滴連続失敗事件』の悪夢をまた見てしまった。
都合2回、針の刺し直し3回の憂き目に遭うことになるのだ。

まずはこの病室で1回目。
めっちゃ痛い。血液検査もするが、ここ数年では味わったことのない痛み。筋肉注射だ。この看護師さん下手なのか?希望した左腕ではなく、右腕で痛い思いをして血管に刺さった。あのえぐりはエグい。退院した今でも内出血が残る。

2回目は何と手術室。
手術を終え、意識の朦朧とする中でのことだった。手術台からベッドに移される。よくERなどで見られる『1、2、3!』というやつだ。そこそこ荒っぽいのはいいが、気がつくと腕から点滴針がなくなっていた。あの看護師さんが痛い針をプスプス刺してようやく入れていたのに!
ここから主治医、麻酔医を含めた5人くらいでワイワイ腕の血管捜索活動が行われ、2回の失敗の後無事左腕に収まった。後から病棟看護師さんに聞いた話だが、全身麻酔だとワンサイズアップだという。

それはもう勘弁!No More "Tenteki"!

あのときの看護師さん、ごめんなさい。
僕の身体の問題だったようです。

【ブラックペアンか、ERか?】

手術の話に戻ろう。
そんな形で点滴をされた後、点滴棒を持って特別室を出た。さよならスイートルーム。看護師に続いていく。ちょうど病院の端から端になる道のり。幾重ものセキュリティゲートを通った先に物々しい手術機材が並ぶ。その更に奥に小さめの教室3、4部屋分の広さの空間が拡がる。すごい数のモニターの真ん中に手術台が鎮座していた。

僕はドラマをほとんど観ないから、手術室と聞いてイメージできる世界観は2つだけ。『ER』と『ブラックペアン』だ。『振り返れば奴がいる』は古すぎて「帰ってこーい!」と石黒賢に心臓マッサージする織田裕二しか出てこない。

今回の手術室でイメージが近かったのは『ER』だ。『ブラックペアン』は観覧席のイメージが強すぎる。腕を組んで待っている医者はグリーン先生の雰囲気を醸し出す主治医。こっちが『真の姿』のようで頼もしい。それに麻酔医とサポート、研修医に看護師といったところか。総勢10名程度が40代男の左脚をこねくり回すべく手ぐすね引いて待っていた。

最終確認をしながら、帽子とマスク以外スッポンポンにされていく。この年でもはや羞恥心はない。それよりも女性の麻酔医さんが下半身麻酔をすべく脊髄くも膜への麻酔を刺そうと体重をかけてきた。痛くないわけないやん。1回目失敗。え、注射系ってこんなに失敗されるもんなの?2回目で事なきをえて麻酔が効いていく。足先から上がっていく温かみ。身体の温度センシングが麻痺していく証拠だ。

昨日主治医がマーキングした線を再び念入りにマーキングし直し。少し位置が変わっているようだが、やっぱり10cmは切る。なかなかの大物らしい。予定時間2時間半と宣告された手術が始まる。
メスを入れ、患部を開きにかかる辺りから記憶がおぼろげだ。自分の心拍数や血圧を見て、高いな、低いなと思う程度の判断力しか残っていなかった。下半身麻酔とはいっても頭が朦朧とするのは避けられない。

かなりの時間の後、『腫瘍摘出』という声だけは確かに聞こえた。あ、ひとまず目的は達成したんだ、とちょっと安堵した。ところがこの後、件の点滴針事件が起こるのだ。

【まさかの刺客〜し尿瓶イップス】

気がつくと、当初希望の4人部屋に移された。後に過去の選択を後悔することになるのだが。朦朧とする頭、左腕に点滴、左脚にドレーン(体液を出すもの)、両足ふくらはぎにポンプ。つまり不動。動けない。寝返りもうてない。これは首痛常連の僕には致命的な問題だった。寝られないのである。唯一の味方は電動ベッド。全患者使用可能で、動けない患者にとって神のような存在だ。

それでも手術当日は絶対安静。
頭も上げられない。水分補給は点滴でできるが、尿意をどうするか?
横には尿瓶があった。尿瓶なぞ使った記憶がない。とりあえずあてがって踏ん張ってみるが、数滴レベルしか出ない。力の入れ方が悪いのか、僕が何かを恐れているのか?刻一刻と時間は過ぎれど、尿意だけが高まっていく。

ちょうど見回りの看護師さんがやってきた。
膀胱はパンパンのようで、是非もない提案をされた。

「尿路カテーテル、通しますか」

ここにきてあの『痛い』と噂の裏ボス襲来である。
しかし、膀胱はパンパンで動けない。
とにかくカテーテルを刺すときが痛い。最後のひと刺しは例の点滴レベルだった。いてぇ…しかし、痛さに耐えただけの尿が袋いっぱいに回収されていった。時間は日付を回ろうとしていた。嘘だろ、まだ手術当日なのか?入院中の僕はスマホ以外に時間を確かめる術がない。腕時計NGはきつい。(よくなくすから持ち込みNGらしい)

【まさかの刺客2 おっさん’sの夜更け】

そしてここから夜が牙をむく。

当然男性4人部屋なのだが、これがまずかった。個室にしなかったこと、耳栓を忘れたことを悔やんだ。
右隣はいびき。これは仕方ない。想定内。
向かいは唸り声なのか何なのか、聞き取れない声を発している。微妙に耳に残る。
はす向かいはピンポン連打。ナースコールだろうか?1回を除き相手にされなかったが、どうやら隣に苛ついているようだ。

それにしてもこれ、手強すぎん?感覚的には意識を失った数分を除き徹夜オールという何とも言えない夜となった。

【順調な回復ぶり!→前言撤回】

手術翌朝。
点滴のせいで尿意メーターはマックスに近い。この日から立てるとのことで、看護師同伴のもと立ち上がる。傷口は痛むが、割と普通に立てる。おお、主治医の言った通りだった。

トイレで用を足す。
いつも通り出る。ということは僕は『し尿瓶イップス』確定である。何か悔しい。とりあえずトイレは行けるようになったが、これではまさに修行中の托鉢僧スタイルである。

なぜか点滴とドレーンの管が繋がってしまうけど、実際は別々。でもこんなイメージ。

ここまでは順調だった。

ついでに飲み物を買いに自販機まで30m程を往復。ここで頭がピキピキきた。麻酔の影響が残っていた。気持ち悪い。すぐにベッドに戻る。ちょっと調子に乗ったようだ。反省する。
なぜかこの日から昼に寝て夜に寝られないスタイルが確立してしまった。入院患者が向かい、はす向かいと入れ替わるにつれて環境はよくなっていくのに眠れない。横になりすぎて腰が痛いのと、寝具環境を選ぶわがままな首が災いしたようだ。

【足枷のなくなる喜び】

とはいえ、病院食は粗食ながら健康的でおいしいし、「あそぼー」と突っ込んでくる妖怪もいない生活もたまにはいいもんだ。積読を持ち込んだのに長時間本を読めない誤算はあった。残念。
4日目点滴、5日目にドレーンが外れ、6日での退院が決まった。点滴がなくなったことで大幅に動きやすくなり、ドレーンもなくなって違和感もかなり軽減した。消毒は術部に染みたが、足枷がなくなって嬉しい限り。
調子に乗って、片道100m以上先のドトールまで開店前に脚を運んだほどだ。(迷子になりかけたけど)

豆乳ラテが身体に沁みた。どら焼きは娘に。

ようやくシャワーに入れるが、タイムオーバーなので退院日に帰ってからになる。

【わちゃわちゃ退院】

退院当日。前日に買った水がなくなりそうなので、自販機まで買いに行く。よゆーよゆー。と思っていたら例の強烈な頭痛に見舞われる。術部は痛くない。マジで僕は何と闘っているのか?前日に頭痛が出ているというのは主治医にも伝えたが、的をいた回答はなかった。

ネットで調べると、麻酔の後遺症で1/10くらいで同じ症状が出るようだ。鎮痛剤や様子見で1週間程度でよくなるとのこと。まだかかるのはやむをえないか。そんな調子なので、はじめてご飯を残すか迷ったが、時間をかけて完食。あとは退院説明だ。それまで寝て待つ。

看護師さんに退院書類と薬を渡される。鎮痛剤!後で飲もう。ひと通りサインし、少し休んでから荷造りと着替え、病室の明け渡しをして病院前で迎えを待つ。寒い寒いと言われて出てみたらポカポカ。ベンチに腰かけて外の空気を楽しもうとしたが、いかんせん体調が悪い。術後最長歩行距離をマークしただけあって、すぐにでも横になりたかった。でも病室の硬いベッドと高さの合わない枕じゃダメなんだ。帰るんだ!

迎えが来て車に乗り込むものの、シートを倒したくらいでは回復しない。それどころか得意の車酔いが久々に出て吐き気が!ああ、朝無理して食べるんじゃなかったとビニール袋を口にあてがい覚悟するが、何とか家までたどり着いた。

そして寝室へ。シャワーしたいけど体調が許さない。ここは睡眠優先。やっぱり枕はしっくりくるし、マットレスもほどよい硬さ!ああ、帰ってこられてよかった!

【所持品について】

①持って行って/持って行けばよかったもの
・各種袋:術後は点滴棒が友達。取れても病院着にポケットなし。ということでちょっと動くときに貴重品を入れる袋があると便利。売店で買ったペットボトルも一緒に入れたい。あとは洗濯物分別や汚れ物用に確保してもよかった。
・フリース:病院は暖かいイメージがあるが、結局多人数の環境においては暑がりな方がいらっしゃるのも事実。寒暖調整に1枚あってよかった。
・スキンケアグッズ:マスクの肌荒れが半端なかった。ガッサガサ。スキンケアクリームが欲しかった。売店は遠いので気軽に行けないのに注意。
・タブレット:あったら電子書籍が読めたし、スマホを忘れても慌てることはなかった。

②持っていかなくてもよかったもの
・バスタオル:フェイスタオルで充分。バスタオルが活躍する頃には退院。
・積読:麻酔の副作用か、起きて本を読むのがしんどく、諦めた。横になってタブレットで電子書籍か、Audibleが正解だったかも。
・替えの下着:男は黙って紙パンツ!なお義父さんに賛同したくなった。オムツは例外だが、下着類が意外とかさばるので紙パンツが衛生的でベストかもしれない。

【所感〜実際に手術を受けてみて】

まずは今回の手術に当たり尽力いただいた主治医、看護師さんを始めとする医療関係者の皆さんには感謝を伝えたい。また、家族をはじめ周囲にも心配をかけてしまったが日常生活に戻ることで恩返ししていきたい。

ここからはあくまで私見であることを断っておく。
今回、僕が手術を受けたのは家族がいたからだ。もし独り身なら、様子見を繰り返していたかもしれない。結局「念のため」「摘出して生検しないとわからない」が、患部はわずかに膨らむ程度で痛くもなく変色もせずほぼ大きさも変わらなかった。そこを細菌感染のリスクと高額の費用(大半は健康保険だけど)を払って、1週間程の入院までしている。医療のひっ迫や医療費のひっ迫が叫ばれる中で『必ずしも』の条件でない(かもしれない)人間が手術を受けた。果たして、意味はあったのだろうか?

最初に触れたが、医療の発展で平均寿命が延びた。だが、健康寿命はどうだろうか?差は縮まっているようだが、それでも10年近い開きがある。ここを医療に生かされているのが現状だ。
これから日本人だけでこの健康保険制度を維持するのは不可能だ。政治家に任せてばかりだと痛い目を見るのは国民だと最近見えて来ているのもある。

結論として、僕は「今回の手術は意味があった」と思っている。町のそれなりに大きい病院が匙を投げる症例だったこと、良性腫瘍でも大きくなるのはリスクがつきまとうからだ。

このように医師からしっかり説明を受け(内容をすっかり忘れてたけど)、『過度ではない』適切な医療行為を受けることが僕らのできる第一歩だと思う。

湿布100日分もらったってしかたないし、長生きしたってベッドの上で10年とか苦しいだけだから。

え、生検で悪性だったら?
ラッキーでしょ。選択肢が残ると考えたら。
先送りして手遅れだったら?
考えたくはないけど、奥さんと娘を周囲によろしく伝えた上で、できることだけして、余生を穏やかに過ごしたい。

僕にとって一番怖い病気は、やっぱり精神疾患だ。
それでも共存してやっていこうとしているんだから、自分で自分を誉めてもいいかもしれない。

そんなことを考えさせてもらえた、いい人生経験のひとつになった。

(了)

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