W渡辺、貞夫と香津美ポリオワクチンは必要?リアル70年代〜洋楽女子話104
音楽とは腐れ縁だったかもなぁ、と。
母の私の音楽好きが災いしたのか、子供2人がポップスの作曲家と、クラッシック演奏家を目指すようになったのか?…とちょっと後悔?もなくは無いけど。
70年代半ばから音楽が生きることを助けてくれたけど、黒歴史(?)を抜けて、本当に暗い話の時期。
78年渡辺貞夫『カリフォルニア・シャワー』このアルバムが売れたし、普通にラジオでよく流れて、ナベサダの認知度が上がり、何だか嬉しかった。笑
夏の終わりはフュージョン?
お盆あたりの、夏の終わりには、何故かフュージョンが、聴きたくなる。笑
亡くなった叔父さんを、お盆で思い出すから?
何となく、勝手に夏の夕暮れには、フージョン曲が聴きたくなる。
前に紹介した、stuffとか含めて。
あと、暑い時期には、高中正義と、スクエアの初期とか。笑
ナベサダと叔父さん
JAZZ好きの叔父さんが聴いてたから、叔父さんと、ナベサダこと渡辺貞夫は、セットで浮かぶ人。
ラジオの「マイ・ディア・ライフ」を、たまに一緒に聴いたし、家で1人でも時々聴いた。
番組の放送時期が、72年〜89年。
ちょうど小学校高学年から、仕事した時期。
が、多分叔父さんは、ナベサダを応援はしてたけど、好きだったか?と言うと、そこまででは無い感じ。笑
理由は推測だけど、多分60年代以降に、ボサノヴァや、アフリカンをやってたからか?
ボサノヴァの、ゲッツ/ジルベルトのアルバムは持ってたような気はするけど、あまり聴いた記憶が無い。
フリーJAZZ好きだから、ボサノヴァのナベサダは、あまり好きじゃなかった感じ。笑
ナベサダの番組を、お盆休みとかには、よく一緒に聴いたから、私は思い出す。叔父さんは。あの番組のセッションに、海外のJAZZマンが出るのを、楽しみに聴いてたか?な感じ。
草刈正雄は超絶カッコ良かった
私は私で、中学1年で草刈正雄と、衝撃の出会いをした。
クラスの友達が持ってた雑誌の広告で。
私の記憶では、何故か中高の女子が読む、ファッション雑誌、「MCシスター」に、モノクロだったけど、めちゃくちゃにカッコ良い男子を、初めて見たのが、実は草刈正雄。
今もイケおじいちゃんだけど、好き。
女子中高生の雑誌に、何故彼が出てたのかは、多分お父さんとか、お兄ちゃんとか、彼氏に「これ好きだから、買えば?」とか、勧めさせる戦略?
私は眼福!だったから文句は無いけど、MG 5もブラバスも、匂いは好きではなく。
叔父さんは、ブラバスだったか?
多分洗面所に並んでたのは、ブラバス。
その後、匂いが好きだったのは、同じ資生堂だけど、タクティクス。
まだ売ってるようで、嬉しい。笑
多分、百貨店か何かで、匂いを嗅いで、これかオールド・スパイスの匂いが好きだったから、初彼氏には「タクティクスの匂いが好き」って言ったら、彼氏はタクティクスにした。笑
だから、匂いを嗅いでなかったら、多分草刈正雄効果で、MG5かブラバスを勧めた可能性は高いから、女子向け雑誌は、正解だったかと。笑
当時は、ブラバスではなく、多分MG5の広告に出ていて。
何かの犬種のスラっとした猟犬を、連れて立ってる、草刈正雄が脳内の記憶にあり。
この世代で、身長が185センチは、かなり長身。
同世代でも見かけたり、知り合いは2人ぐらい。
真面目に、ギリシャ彫刻のような、美しい顔と、スタイルが衝撃。
近所のおじさんか、通学にいる普通の中高生しか、見たことがなかったから、あの美しさは衝撃。
テレビCMはまだ、やってなかったから、雑誌で惚れてしまい。
凛として、爽やか。
同じ人間か?日本人か?な感じがするぐらいの、神々しさ。笑
アメリカ人とのハーフだとも、苦労してお金のために、色々なバイトをしてた。モデルもその一環だった事情は、当時は全く知らなかった。
『マイ・カントリー』夏の夕暮れ時には、ハマる、まったり曲。
ナベサダと草刈正雄もペア?
いわゆる男前で、2枚目の人は、冷たそうだったり、意地悪そうに見える人が、まあいるけど。
彼からは優しさや、暖かさみたいな物が感じられて、笑顔が可愛い人がタイプ?好きな人になった、第一号。
男子の好みのルーツ?
あんな、美しい顔の人も、優しい声の人も、そこら辺にはいなかったけど。笑
そう、草刈正雄は声フェチの私には、好きな声。
このアルバムは、リー・リトナー、チャック・レイニー、ハービー・メイソン、デイヴ・グルーシン等が参加。
私の好きと、叔父さんの好きが、入ったメンバー。笑
この70年代以降は、特に後半のは叔父さんは聴いてたし、リリース枚数も凄い。
『マイ・ディア・ライフ」あたりからは、私もまあ気に入って聴いた。
2人が共演のCM映像。草刈正雄と。
その後、ブラバスのCMでは、渡辺貞夫が音楽で、渡辺貞夫も草刈正雄と一緒に出ていたりして、ナベサダと草刈正雄は、私の中では、セット。笑
渡辺貞夫もイケおじだったし。
が、まだ存命は、驚きではある。
92歳?(25年8月現在〕
『モーニングアイランド』アルバムのタイトル曲。
この時期も、メンバーは似てる。
ドラムのスティーヴ・ガッドとか、ギターにエリック・ゲイルが新入り。
が、ハマった感じはそこまでしない。
草刈正雄を見て、またやられてたけど。
高2の時代。
オレンジエキスプレスが良き
1番好き?よく聴いたのは、次の次のアルバムの『オレンジ・エクスプレス』。
このアルバムも売れた。
メンバーも、ちょっと変わって、
デイヴ・グルーシンは続けて。
ピアノのリチャード・ティーは新入。
ギターのエリック・ゲイルは続けて。
ベースにマーカス・ミラーが入り、
ジョージ・ベンソンがギターで参加。
これ以外も、アメリカのJAZZ、フュージョン界隈の人。
このアルバムのタイトル曲は、NHKのテレビ番組のテーマ曲にもなったから、懐かしい方もいそう。
『オレンジエクスプレス』
実はこの曲の、抜けるようなサックスが1番好きか?で。
楽しい曲だし、アフリカやブラジル音楽をやったからこそ?な曲かも。
で、このアルバム時期、81年には叔父に子供が生まれて。
叔父はオーディオルーム?自分の部屋に篭らず、テレビのある居間で、子供の子守をしだした。
翌82年大学2年あたりからは、フュージョン、JAZZ系の要だった叔父抜きで、勝手に聴くスタイルに。
たまに音楽の話はしたけど、一緒に聴くことは、ほぼ無くなった。
悲しいけど、40歳過ぎて結婚して、音楽全体に、まるで興味が無い人が奥さんになって、子供が可愛いとこうなる。
叔父は足が悪かったけど
小さい頃に、小児麻痺にかかって、足が不自由になったから、常に女っ気はなかったようで。
顔は多分、6人兄弟、男5人だと1番か2番に男前。
優しい声だし、優しい性格。
ジョークは言うけど、無口。
私を可愛がってくれた、おばあちゃんからは、いつも愚痴?後悔を聞かされていた。
戦後すぐ生まれだから、まだ衛生環境は良くなかった。
近所の外で、雨降りの後、泥水の中で遊んでいたらしく。
その泥に、小児麻痺の菌が入っていたようで、
ポリオワクチンがなかった時代
まだ、ポリオワクチンを、赤ちゃんは皆んな、接種する時期ではなかった。
日本はまだ貧乏で、国にそんなお金も力もなかった、
何せ戦争で、すっからかんだったし、生きるだけで、精一杯の時代。
おばあちゃんは、ことあるごとに、私の前でも後悔を口にした。
「私が汚い場所で遊ばせ無いで、付いていてみていたら」
「熱が出たら、すぐに近くのヤブ医者じゃなく、大きな病院へ連れて行ってたら」
「あの子は普通に運動好きの、活発な子だったから、今のような引っ込み思案になってなかっただろう」
「お嫁さんも、幾らでも結婚したがる人がいて、付き合ったり出来ただろうし、見合いだって、もっと早くに良い人が見つかっただろう」
泣かないおばあちゃんが泣く
そんなことを言いながら、他のことではあまり泣かないおばあちゃんは、この叔父さんのことでは、よく、必ずぐらい泣いた。
おぶって病院へ行く途中の話や、
「早くに来てたら」とか言われたこと。
6人目だから、
「ワテが油断してたかも?」とか。
ポリオワクチンは大切
今小さいお子さんがいる、これから出産する方は、なんでも予防接種は毒と考えずに、必要な物は受けて欲しい。
小児麻痺は、ポリオ菌が原因の感染症。
だから、ポリオのワクチンさえあれば、叔父の人生は違っただろうし、おばあちゃんを、ずっと後悔させ続けて、泣かせ続けることはなかったかと。
ワクチンが普及した時期以降は、叔父さんと同じような人は、見かけたことはほぼ無い.
たまたまかもしれないし、出かけるのが大変だし、人目を気にする人は、家にこもっていて、見てないだけかも?だけど。
叔父さんは、小児麻痺で、片足だけが短く、小さい。
だから、普通の形では歩けないし、遅いし、見た目も立つと必ず片方に傾いている。
いつも、極端に休め!をしてる感じの、立ち姿。足が短いから。
もう片方の足で、動かない足を.引きづりながら、ぶら下げて歩いている感じ。
動かないほうの足は、松葉杖代わりにはなっても、自分で動かすことは出来ない。
私が幼稚園や小学生時代は、たまに叔父さんと、おばあちゃんは喧嘩していた。
大抵、見合いをするかしないか?
しないと言う叔父さんに、おばあちゃんは頼んでいた。手を合わせて。
「お願いだから、会うだけでも」とか。
20代は叔父さんも、頑なだっただろうから、普段は怒ったり、大きな声を出さない叔父ちゃんが、「もうほっといて」とか、怒鳴るのを何度も聞いた。
おばあちゃんと、うちの母親いわく、「活発で元気で、走るのも早いし、泳ぎもうまかった。負けず嫌いで、弱い者いじめをみたら、食ってかかるような子」だったらしく。
脚の麻痺は人生を変えたか?
確かに、私の知る叔父ちゃんとは、真逆な感じ。
足が不自由だから、行きたいところにも行けない。
それでも、負けず嫌いは残っていたのか、普通の学校へ通い、中学からは電車通学で、大学まで1人で通い続けた。
カバンは、肩掛けやリャックじゃなかった時代。
肩掛けが出来るように、おばあちゃんは、学校に掛け合ったのか?
足が動かないだけで、他は普通。
だけど、性格もやれることも制限されて、普通には生きられない。
人生が変わってしまった。
学部で工学部も、叔父さんらしい。
化学系だけど。
やれるなら、頑張って何でもチャレンジする人。
定年まで、ずっとガス器具の開発の仕事を続けた。
もちろん、普通に電車で通勤した。
私の初恋は叔父さんか?
多分、ちゃんとしたのじゃない、私の初恋はこの叔父ちゃん。
男性では、1番最初に好きになった。
他の叔父さんたちも、独身時代は、プールやら、花火大会に連れて行ってくれて、可愛がって貰ったけど。
加山雄三と結婚はしたかったけど。笑
加山雄三とは、ほぼ同じ年齢だし。
好きだった理由は、勇気があったからだと思う。優しさと一緒に。
通学も通勤もそう。
わざわざ電車に乗る。
わざわざ人前で、ウッドベースを、演奏する。
高校時代に、ちゃんとした衣装で、カンカン帽を被って、トリオの3人で写した写真は、ずっと飾ってあった。
ディキシーランドのトリオ。
立つだけで、普通の人より、動くほうの足に負担がかかるのに、わざわざ大きなウッドベースを、支えて弾くのは、普段の生活を見てた、幼稚園や小学生でも
大変なのがわかった。
『Tide on 』ファンキーな感じも良き曲。
立って人前で演奏すること
家にはまだ、ウッドベースが立て掛けて、そのままあったからたまに弾いてたんだと思う。ケースに仕舞わない。
多分辛かったり、苦しかったりした時には、ベースを見て、アレにチャレンジしたなら、踏ん張れ!と自分を励ましてたとか?と何となく感じた。
家じゃない外で演奏したぐらいだし、ケースはどこかにあったけど、入れない。
おじいちゃんは、車は運転出来ないし、多分持ち運びも、自分で。
今のような、リュックのように、背負うハードケースはなかったから、持って運んだんだろうし。
そこに、楽器と音楽への愛と、勇気を感じた。
わざわざ人前に出なくても、生きてはいけるはず。
でもその道じゃなく、ベースからサックスに持ち替えても、立ってた。
サックスも立って練習してたから、本番も多分立ってた。
河原でススキを抜いたり、石を投げたりしながら、私が練習に付き合った時も、必ずずっと2時間立って練習してた。あの時代は、障害者には厳しい時代だったなぁ…とか。
近くのJAZZ喫茶でバッタリ
結婚した後の、私が高3になった頃には、今のシニアカーのような、手だけで操作出来る、3輪のバイク?みたいなのが発売されて、原付免許を取って乗るように。
その車で、隣の駅から徒歩20分の、JAZZ喫茶?JAZZカフェで、私とバッタリ会ったことがある。
ちょうど今の時期。
お盆の集まりの日じゃない、前後の日。
家はクーラーが無いから、暑い。
近くの図書館は勉強スペースが無い。
暑すぎて勉強出来ないから、チャリで5分のその店に、たまに行ってた。
JAZZやフュージョンしか鳴らない。
ボーカル物はほぼかからない。
インストは、勉強が捗る。
私がカウンター席で勉強してたら、何だか知った感じの人が入って来た。
叔父ちゃんだった。
引っ越した先が、叔父ちゃんの家の近くだったけど、田んぼの真ん中にポツンと建ったマンションの1階にあり。
道路からは見えない、奥まった場所。
前を毎日通ってた私でも、最初は見落としてた。
ネットで検索したら、どうやらまだある?名前は変わったか?で、同じ場所にまだ、JAZZ喫茶はあった。
店内は、暗い感じに写ってたけど。
JAZZ好きは、皆んなで情報交換してたのか、理由は知らないけど。
結婚してからは、あまり大音量で聴けないJAZZを聴きに来たのか、理由は知らないけど。
別々に座った2人
お互い、ビックリして、何だかいけないことを、見つかった人みたいに、2人ともアタフタした。
「なんでいるん?」笑いながら叔父さん。
「家が暑いから、チャリで5分やし」
「何してるん?」
「勉強。捗るから」
昔のJAZZ喫茶とは違って、明るい白と白木の店内。
入り口から一面は全部ガラスで、田んぼの緑が鮮やかだった。
JBLの1mぐらいある、ドデかいスピーカーがザ・JAZZ喫茶か?で。
オシャレなカフェな感じ。
カウンターがぐるっとL字にあって、周りはほぼ2人席のテーブル。
2人以上が一緒の人は、ほぼ見たことは無い。
お一人様天国の店。
私は長居したいから、カウンター奥の1番端に座ってた。
スピーカーの真横。
壁があったから、全くうるさくは無い。
JAZZ喫茶ではあったから、ほぼ話すのは禁止?な雰囲気。
だいたい皆んな1人だし。
叔父ちゃんは、隣には座らなかった。
多分、カウンターの椅子が無理だったかと。
丸くて小さくて、高いから、座るのが難しそう。
私も結婚以来、距離を感じてたから、叔父さんの席へは、行かずにそのまま座っていた。
叔父ちゃんは、テーブル席に座って、しばらくいた。
1時間ぐらい?
レコードの、半面が3回転分ぐらい。
立ち上がって、マスターとは知り合いなのか、ちょっと二言ぐらい話して。
「姪っ子ですねん」とか。
私に「ほな、帰るわ」と言って帰った。
私はその1時間前からいて、計3時間はいた。
夕方だし、そろそろ帰ろうとして、立ち上がったら、マスターは
「コーヒー代は貰ってるから」と。
叔父ちゃんは、払っていてくれたんだとなり、やっぱり優しいと。
渡辺香津美『Mermaid Boulevard』から、
『Neptune』
参加メンバーも、貞夫さんと似てる。
渡辺でも香津美さん
渡辺香津美は、高橋ユキヒロと坂本龍一のファンの子が、アルバムを貸してくれた。
高1ぐらい、78年のアルバムあたりから、前のを。
まだ話した時期だったから、渡辺香津美の話もした。
叔父さんは、多分香津美は好きなほうだったかと。
このアルバムは、わりとフュージョンより、JAZZっぽいし。
サックスは、自分が吹くから、特にうるさかったけど、ギターの好みは多分だけど、好きな音色かが、鍵だったかと。
リトナーはOK、ラリカルはNOだった感じからは、ロックよりのフュージョンは、あまり好きじゃないか?笑
面と向かって、そんな話はしたことは無い。
おばあちゃんが亡くなってからは、もうお正月もお盆も集まらない。
だから、叔父さんとも、ほぼ会えなくなり。
私が離れて暮らしてたから、お正月とお盆は、実家を両方回るだけで、時間は無から、行かなくなり。
55歳が定年の時代に入った保険が満期になった直後に、50代半ばに、癌になり。
夏休み中入院してたから、久しぶりに会いに行った。
「なんで、定年間際にこんなことになるんか?」
とは、少しだけ愚痴った。
子供たちは、まだ大学生と高校生だし、
結婚が遅いと、そんな事態に。
生まれてからは、会わせてなかった、名前をいじってくれた、子供2人を連れて行けたのは良かった。
こんなに大きくなったんか?とか言ってたけど、まだ小学生と幼稚園だった。笑
そこから寛解まで、凄く大変だった話を、お葬式で聞いた。
叔父さんは、頑張ったんだと。
そこからは、仕事をやめたし、より出かけ無くなったらしいけど、元気だと聞いてた
長くなったので、続きは改めて。
お盆には帰って来たかなぁ。
去年の記事は、こちらから。↓
良かったら、読んでみて下さい。
