🌿Vol.172 半年ぶりの帰阪——「会いたい人には会っておく」と思えるようになった理由
大阪に帰る。半年ぶりだ。
スケジュール帳を開いて、会いたい人の名前を書き出した。連絡を取って、日程を決めた。いつもより、ずっと丁寧に、綿密に。
そのとき気づいた。
今まで、こんな風に思ったことがなかった。
1.🌿「会いたい人には会っておく」という感覚
「会っておく」という言葉には、少しだけ切迫感がある。
当たり前のようで、当たり前ではないことへの、静かな自覚だ。
いつでも会える、と思っていた。また今度でいい、と思っていた。時間はまだあると、どこかで油断していた。
でも今は違う。
会いたい人には、会えるうちに会う。伝えたいことは、伝えられるうちに伝える。
それがいつから変わったのか、正確にはわからない。ただ、確かに変わった。
2.📖ブログを続けて、内観したから?
なぜ変わったのか。自分なりに考えてみた。
ブログを書き続けているからかもしれない、と思った。
毎日ではないが、定期的に言葉にする習慣ができた。感じたこと、気づいたこと、問いかけたいこと——それを文章にするとき、自分の内側を観る時間が生まれる。
内観とは、自分を責めることでも、分析することでもない。ただ、静かに自分の中を覗くことだ。
その時間が積み重なると、見えてくるものがある。
今、自分は何を大切にしているのか。何に時間を使いたいのか。誰と一緒にいたいのか。
3.🌿言葉にすると、優先順位が変わる
書くことは、選ぶことだ。
無数の感情や思考の中から、「これを書く」と選ぶ。その選択の繰り返しが、自分が何を大切にしているかを、少しずつ明確にしていく。
「会いたい人には会っておく」と思えるようになったのは、書くことで「人との時間」の価値が、自分の中で上がったからかもしれない。
比べることより、感じること。持つことより、つながること。積み上げることより、今ここにいること。
そういう方向に、少しずつ、重心が移っていた。
4.📖チャラカの言葉が、また響く
先日の記事でこんな言葉を書いた。
「寿命とは、単に生きることではなく、幸福で意味のある人生を他の生命にも役に立つように生きること」
会いたい人に会いに行くこと。その人の顔を見て、声を聞いて、笑うこと。
それもまた、「他の生命にも役に立つように生きること」の、ひとつの形だと思う。
5.🫛大阪で、何を持ち帰るか
旅には、いつも土産がある。
物だけではない。再会した誰かの言葉、懐かしい場所の空気、忘れていた自分の一部——そういうものが、旅の本当の土産だ。
半年ぶりの大阪で、何を感じ、何を持ち帰るのか。
それはまだわからない。でも、楽しみにしている。
葉山に戻るとき、少しだけ違う自分になっている予感がある。
🌿締めのひとこと
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。コメントやフォローで、ぜひあなたの『暮らしのテーマ』も教えてください。ゆるやかに、光と風のように——。
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