シロクマ文芸部|グランドゼロに咲く
「夜桜とミッドタウンが見渡せる秘密の公園があるよ」
ルームメイトのフェイフェイはニューヨークの裏名所に詳しかった。当時シェアしていた狭いアパートからメトロで30分のエリアにその場所があるらしい。
彼女のお薦めなら間違いない。わたしは退屈しのぎにパーカーのフードをかぶり、iPodで「Oasis」のセカンドアルバムを聴きながら夜のマンハッタンに繰り出した。イヤホンから流れるリアム・ギャラガーの声がバイトで疲れ果てた躰に沁みわたる。
風の強い日だった。レキシントンアベニューを横切ると交差点でバイクが転倒していた。数メートル先に人が倒れている。路面に破れたガラスが散乱し、誰かが大声で叫んでいる。
クラクションとヤジ。救急車はすでに来ていた。路上に転がったタバコをホームレスが拾い、チャイニーズの子どもが背後から掠めとって走り去る。ポリスが現れ、ノイズしか聴こえないトランシーバーで怠慢に話している。
映画のワンシーンみたいだと驚くのはマンハッタンに暮らしはじめた最初の1週間だけで、とうに慣れている。煌めくネオンのせいで星は見えない。
わたしは散らばったガラス屑を避けながらメトロを目指した。
グランドセントラル駅に着いてまず向かったのは、アーチ型の天井に描かれた12星座の下だ。駅のメイン・コンコースにあるコバルトブルーの天井絵画は、エネルギッシュで混沌としたこの街から切り離された静寂な空間だった。
制作当時、鏡に映った星座図の下絵を職人がそのまま描いたらしく、12星座は逆向きで宙に張りついている。だからなのか、方向感覚の狂った夜空は居心地悪そうで、この街で何者にもなれないわたしみたいだといつも想う。
雑踏の真ん中で天井を見上げていると、早足のニューヨーカー達に睨まれ「ちぇっ」と肩をはじかれた。そういえば、構内にあるアメリカ海軍の時計は200億年に1秒も狂わないらしい。
2003年。うつくしい都市で暮らすことに憧れてニューヨークにやってきた。あれほどうつくしく、圧倒的な街を眺めて過ごす毎日はどんなだろうと焦がれていた。そこに映る人生の景色をこの眼でたしかめたかった。いつか都会の喧騒に負けないくらいの自分になって、何食わぬ顔で街を闊歩し、星空に届くような部屋に住んでみたい。
夢や想いだけで生きられるほど甘くはないよ。嘲笑う人にたくさん逢った。
でも、それって本当だろうか。やってみなくちゃわからない。自分に言い聞かせるように、わたしはこの街に必死にしがみついた。
フェイフェイに教えてもらった駅で降りた。強風に煽られながら道を歩いていると、やがて黒々とした水辺が見えてくる。闇にうねる波にミッドタウンの夜景が反射して眩しいほどに輝いている。やけに広い。
そこは瓦礫が撤去された「Ground Zero」 付近だった。
テロ被害者の記念碑に掲げられた星条旗が羽ばたきのような音を立て、しなびた花束が風で転がり足元にからまった。わたしは立ち止まり、手を合わせた。
フェンスに囲まれただだっ広い工事現場に絶句していると、奥のほうに桜の木が見えた。LEDの白い光に照らされ、誰もいない夜の墓地のような静けさのなか、清々しいほど満開だった。
夥しい数の高層ビルを背景に満開の桜がポツンと咲くすがたは思いのほかうつくしく、わたしは衝撃を受けた。
そして、自然とはなんて残酷なのだろうと思った。こんなにも悲しいことがあった場所であっても、季節が来れば無心に咲き誇る。誰からも称えられることなどなくても、黙って桜は咲く。そんな当たりまえの、生きていることの重大さに全身が痺れた。
ハドソン川から吹き荒れる生臭い風が顔にまとわりつく。髪がかき乱され、鼻水が止まらず、顔がぐちゃぐちゃに濡れて耳が痛い。
川面に映りこんだネオンが激しくゆらめいている。
逆風を受け、フェンスを背に両脚でぎゅっと踏ん張る。
だいじょうぶ。わたしは生きている。
生かされている。
パーカーの袖で顔をぬぐってフードを深くかぶり直すと、わたしはiPodから流れる「Roll With It 」を口ずさみながらグランドセントラル駅の12星座をもう一度観に行った。
You Gotta Roll With It
You Gotta Take Your Time
You Gotta Say What You Say
Don't Let Anybody Get In Your Way
'Cause It's All Too Much For Me To Take
流れていこうぜ
焦らなくていいから
言いたいことは言ってやれ
誰にも邪魔させるなよ
そんなのとても耐えきれないから
#シロクマ文芸部 参加させていただきました。
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