「肌で十年」を分析してみる 1
先週御紹介した、伊藤和夫氏の「肌で十年」のコラムを、ひとつ分析してみましょう。
1.これは普遍的な世代論である。
この伊藤氏の標語、予備校講師の一生を述べていますが、本文中でもそれとなく示されているように、学校の教師にも通用することが示されています。無論学校教師の場合は伊藤氏御指摘のとおり「強制力がない」予備校と異なり原則「強制力がある」教育機関です。なぜ原則という言葉で「保留」を付したかについては、今時の「不登校」や、それこそ佐藤氏の高校時代のような手法を生徒が、あるいは教師の側からそれを排除する方向の動きもあり得ることを前提に述べたわけです。
さらにこれは、予備校だけでなく学習塾全般、家庭教師業も含めておよそ大人が子どもを教える仕事全般にも及びましょう。
教育機関とはいささか異なるが、私が幼少期を過ごした養護施設、今の児童養護施設においても通用します。
「児童福祉は40歳を過ぎて務める場所ではない」
これは現在、高齢者福祉施設の施設長をしている元養護施設児童指導員の男性がかつての同僚に対して述べた言葉です。まさにこれ、私も今回のノベライズで活用させていただいた、元慶應義塾大学教授の鈴木進氏(実在の人物です)が佐藤忠志氏が予備校で教えることになったあかつきに述べられた言葉と全く符合します。
「予備校は40(歳)を超えて教えに行く場所じゃない」
どうでしょう。先の元養護施設職員の言葉の主語を変えただけではないですか。
むろん、伊藤氏の「肌で十年」どころか「肌で四十年」と言ってもいいような教員生活を送られた先生もいました。私が公立中学校で教わった英語の先生がまさにそれでした。しかもこの先生、井元霧彦というペンネームを持つ詩人でもありました。井元先生の後輩になる私の恩師の多くは、後に中学や高校の教頭や校長になられましたが、井元先生御自身は平教員のまま教員生活を終えられました。
井元先生の詩を読むと、確かにこの先生のベースは「肌で四十年」と言ってもいいような教員生活を送られたのだなという印象を持ちます。中1の時担任だった国語の先生で、後に校長になられた恩師も、井元先生に対してはテクニックやまして名声といったものをアテになどせず、生徒との肌感覚を大事にそれを唯一無二の武器と言ってもいい人物であったという趣旨のことを話されています。
無論井元先生なりの技術(テクニック)はあったでしょうが、根本的には井元先生は伊藤和夫氏の述べられた教員人生を送られていないことは、実感できます。
逆に、伊藤和夫氏の述べられたとおりの形で養護施設の職員を生涯にわたってされた人物もいます。私が養護施設シリーズでかねて出している大槻和男さんのモデルにさせていただいている方がまさに、そうです。
この人の場合は、大学を出て15年間児童指導員として、その後園長で35年間にわたってその施設に勤められ、現在は理事長専任として籍を置かれています。
こちらは井元先生と異なり、明らかに、伊藤和夫氏の述べられたとおりの福祉人としての人生を送られているなという印象を持ちます。肌で十年の部分が15年になり、テクニックで20年が35年、名声で10年の部分が園長を退任してこの方の時期に当てはまるというわけです。
この年数はある意味誤差の範囲であり、伊藤氏のその言葉の妥当性を損ねるものでは全くない。むしろそれを補強する実例と言えましょう。
井元先生と大槻氏(仮名)の例を述べましたが、これは何も子ども相手の仕事だけではない。どんな企業や官公庁、あるいは地域社会などにおいても、形を変えて通用する世代論ではないかと、私には思えてなりません。
