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北海道胆振東部地震から7年。あの日の札幌市中央区の、のんきな非日常

2018年、9月6日、木曜日。晴れ。

LINE通話の着信音で目が覚めた。彼氏だった。
「大丈夫?」と開口一番、深刻そうな声。でもなんのことだかさっぱりわからない。のんきにむにゃむにゃ言いながら時間をたしかめると、ふだんならもうとっくに起床している時間。

毎朝目覚ましの代わりに自動でつくようにしていたテレビがついていなかった。この頃、「onちゃんおはようたいそう」をきいて、「onちゃん占い」をみるのが朝の習慣だった。
リモコンでつけてみようとするけれど、うんともすんとも言わない。
「地震があった」と言われて、ようやく停電しているのだ、と思い至った。
「停電かな?」とまだ半信半疑だった。
「たぶん、そうだよ」と、電話の向こうも戸惑っている様子。

北海道札幌市中央区大通。
引っ越したばかりの新築ワンルームは、見回してみても特になにか崩れた様子もない。18インチだか20インチだかのちいさなテレビも、特に固定していなかったけれど、倒れていたりはしなかった。

でも思い返してみれば、たぶん明け方、ベッドのうえではげしく揺さぶられた記憶はあった。このときの私は「北海道には地震がないから安全だね」なんて親に言われて実家を出たのもあり、特に自分で調べもせず、「北海道には地震がない」と信じ込んでいた。
だから目が覚めたのに、「あ、これ、夢だな」と思って、揺れるなかまた眠ってしまった。

(※その後きちんと調べたら、北海道にも昔から大きな地震があったし、津波もきていた。遠く離れたところに暮らしていたので、地震の報があっても、両親も私も、きっと大して気に留めていなかったのだろう。)

とりあえず、LINEで課長に連絡。
会社のすぐ裏に住んでいたのですぐ出社しようと思えばできたのだけれど、「とりあえず自宅待機」と言われたので、やめておく。
きっと会社も鍵があかないだろうから。

そうして落ち着いて、やっと、朝たべるものがないことに気がついた。
コンビニならやっているだろうか?

外に出ると、とても晴れていた。
絵に描いたような快晴。
北海道は夏から秋にかけて、とても過ごしやすい。湿気もなくカラッとしていて、陽射しも東京の春ぐらいのものだ(当時は)。
今日が晴れでよかったとなんとなく思った。

家のすぐ目の前のローソンは、電気もついていなかったけれど、客であふれかえっていた。
品揃えのことは覚えていない。なにを買ったのだったか……。
たぶん、菓子パンやらおにぎりやらは全滅していたか、ぎりぎり買えたか。

店の中をぐるっとレジ待ちの列。よくみると、なんと電卓で手打ちしている。店員がレジから商品の名前をさけぶと、もうひとりの店員が店のなかを走り回って、「◯◯◯円!」と叫びかえす。
停電してるから、レジが使えない。だから商品の値段も棚をみないとわからないのだ、と当たり前のことに気がついた。

レジを打っていたのは店長さん。家の最寄りだったのでこちらはもう顔を覚えていたけれど、いままでみたことのないような疲れた顔をしてきた。もしかしたら徹夜だったのかもしれない。
地震は朝の3時だった……そのあと電車は止まりっぱなしだ。交代するはずの店員さんは通勤してこられなかっただろうから、たぶんそうだったのだろう。
思わず、「ありがとうございます」のあと、「おつかれさまです」と頭をさげた。気恥ずかしくて顔をあげずに店をでたけれど、ふっと笑ってくれたのはわかった。
私のうしろにいたひとが、「お願いします。おつかれさまです」と言うのを聞きながら退店。

家に帰ると、課長からLINE。
今度は「とりあえず出社できる?」とのこと。スーツに着替えてはいたので、買い物袋を置いてとりあえず会社へ。

自動ドアが開けっ放しになっていたと思う。エレベーターは使えないので、階段で自分の席があるフロアまであがる。

事務所にはいると、もういつも通りに先輩たちがみんないた。
「おい、一番家が近いのに、なんで一番遅いんだ」と先輩が冗談めかして言ったので、「課長が自宅待機って言うんで」と私も言った。
「じゃあしょうがねえな〜」と先輩たちはにこにこしていた。

事務所は電気がみんな消えていて、大きな窓から晴れの日の陽射しがはいるばかり。ぼんやり暗かった。先輩たちはみんないたけれど、パソコンもつかないので、椅子に座るだけ座ってぼーっとしたり世間話をしたり。
電話は、事務所に1本だけ引いてあるアナログ電話だけつかえるから緊急の連絡はそれで、とのこと。

なんだかみんな楽しそうだった。私も正直わくわくしていた。被害のことは全然情報がなかったので、ただ、なんだか非日常の気分。

近くの席のひとに「どうやって来たんですか」ときくと、「とりあえず会社まで歩いていくかと思ったんだけど、タクシーが運良くつかまって」とか、本当にずっと歩いてきたひととか。
信号が消えているので、交通整理しているひとがいたとか、車同士で譲り合ってきたとか。
みんなで「タクシーは大儲けだな!」と言った。

(※後日、タクシーに乗る機会があったときに当時のことをきいたら、本当に大忙しだったらしい。その運転手さんは「二度とごめん」だと言っていた。おつかれさまでした。)

結局やることもなく、デスクの引き出しを整理して過ごした。
しばらくして、もっと上層部から指示が届いたらしい。部長がみんなを集めて「今日は臨時休業だから帰宅するように。出社再開の連絡までは自宅待機すること」と言った。
みんなうれしそうに顔を見合わせて、急いで帰り支度をした。だれかが歌うように「愛社精神♪ 愛社精神♪」と言っているのがきこえた。

私はその日、営業訪問の約束があった。
たぶんいないだろう、と思いながらもとりあえず大通公園をお客さんの事務所のほうへ。

すると、芝生にベンチにぼーっと座っているひとたちがいる。みんな大きなリュックサックやスーツケースを近くに置いていた。
いま思えば、電車も飛行機もとまって、行き場がなくなった観光客だったのだろう。
スーツケースを抱えているのを除けば、大通公園の芝生に座ってぼーっとしている彼らは秋の札幌をのんびり堪能しているようだった。

この日の札幌は、見た目にはとてものどかだった。混乱はなかった。
もちろん信号も消えてるので交通整理は人力だし、電車も動かないので地下鉄の入口は封鎖。手書きの案内だけが「ただごとじゃない」雰囲気を感じさせていた。
タクシーは大忙しでつかまらない。電話はアナログのみ。でも公衆電話に並ぶひとはみなかったように思う。
お店はどこも真夜中みたいに閉まっていて、コンビニは開いていたけれど、レジは手打ちで長蛇の列。店員さんはみんな、たぶん徹夜。

それでもオータムフェストのプレハブの周りでは、お店の飾り付けやらなんやら、平然と作業が進んでいた。なにごともなかったように。
だからなんだか、本当にただののどかな休日に散歩している……そんな気分だった。

大通公園で途方に暮れるひとびと
リュックサックやスーツケースを携えていた
地下鉄出口はすべて封鎖されていた
それでもオータムフェストの準備は進む
札幌駅。改札も封鎖されていた


当然、お客さんの事務所もシャッターが降りていた。連絡のとりようもないのであきらめて、札幌駅までとろとろ歩いた。

途中タクシーをつかまえたい風の老婦人がいたので、代わりに車道に出てつかまえたり。

札幌駅にはいると、改札が封鎖されていた。電気がない駅構内に警備員?駅員さん?が立っていたり、荷物をかかえて座り込んでいるひとがいたり。
ここだけはなんだか、物々しかった印象。

やることもないので大通公園に戻ると、ソフトクリームをたべているひとが何人かいて、よくよくみると、並んでいる列もあった。
なんだか余計にのどかだった。


その日は結局家に帰って、電気もつかないのでぼーっとして過ごした。
夜はTwitterをしながらペットボトルライトをつくったり。防災ライトのうえに水をいれたペットボトルをのせると光が拡散して部屋が明るくなるというやつだ。
ふと思いついて、ここに牛乳を垂らしてくらげを作って遊んで過ごした。めちゃめちゃに暇だった。「外にでてみるか」とも思ったけれど、生来の臆病には勝てない。
夜も更けてきたころ、家の外でワッと声があがったのも怖かった。向かいにはちいさな宿があったので、宿泊客だったのだろう。覗いてみればよかったのだが、やはり怖かった。

(※いま思えば、北海道全土が広域停電したから見えたという星空への歓声だったのだろう。翌朝、Twitterをみて思い至った。)


ペットボトルのくらげ


翌日の昼ごろ停電はなおった。
近くのスーパーでちょうど入荷した肉を1パック(※おひとり様1パック限定だった)買って帰って、適当に野菜炒めにしてたべた。
土日をのんびり過ごして、月曜日になって出社すると、もう街も会社もみんないつも通りの札幌だった。


もう7年が経った。あの日本州にいたひとたちはもうきっとこの地震のことも停電のことも、思い出しもしないだろう。
でも地震本体がたいしたことなくても広域停電は起こり得る。
電気がなくなれば、電車も飛行機もうごかない。信号も消える。電話も通じなくなる。レジが動かないから、クレジットカードはもちろん使えない。たぶんQR決済もだめになる。現金がないと、なにも手に入らない。
家にどんなに備蓄していても、外出していたら手が届かない。あの日から、モバイルバッテリーは大きなものを常に持ち歩くようにしている。水も必ず一本もつ。


あれからもう7年が経った。




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