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結果オーライ

仕事でやらかした。

まぁ、結局大事にはいたらなかった。何なら全然問題なかった。だから周りから結果オーライ!十分じゃん!すごいすごい!とフォローされた。
何クソだ。全然すごくなんかない。これから言うことは、周りが悪くのないのはもちろん、私がひねくれてることを前提に聞いて欲しい。

結果オーライという言葉が嫌いだ。良くなかったことを良かったように誤魔化すような気がする。つまり、良いようで結局は良くない。そうならないように対策しなかった自分が浅はかで仕方ないようななんとも虚しい気持ちになる。今回はやらかす前にこれ大丈夫かなと不安なポイントがいくつかあったのだ。でも私はスルーした。小さくて見えるか見えないか位の塵のような不安だったから、大丈夫と鷹を括った。結果的に自分がいちばん不甲斐なく感じてしまう根源となってしまった。だから、結果オーライを招かないためには事前の確認は必須であったのだ、どんな微々たるモヤモヤも抹消すべきだった。

もうひとつ嫌いな言葉がある。それは無理と言う言葉だ。これを吐いてしまったのだ。この2文字の破壊力えげつないこと。これがやらかしたと項垂れるもうひとつの原因だ。
今回の状況としては締切間際に無理難題の修正が舞ってきた。というか聞こえてきた。ここで、私の職場の説明を挟まなければならない。基本グループで複数個の仕事を受け持つので統括となる人がいる。その統括から振り分けられた仕事を一人一人が行い、皆で確認をする。他方からの修正や確認は必ず統括を通すように言われている。勝手に修正されて提出したものが誤っていたはグループの責任になり、その責任の大部分は統括にいく。つまり私は統括ではないので他方との直接のやり取りは禁止に近い。ここで初めの方の話に戻る。無理難題の修正が聞こえてきた時、つい心の声が漏れてしまった。しかも相手方は修正を頼んだものとしているが、統括を通してこちらの耳には届いていない。さらに、別に頼まれてた修正が終わる間際であり、なおさらここから手は付け加えられなさそう。そこから出た、頼まれてないよォという情けない声。その時、相談していた相手方の1人が振り向いて目が合う。そして、あ、聞こえちゃった?と思った瞬間につい、そんな修正きてないですと言ってしまったのだ。相手方の話中を遮ってまで。
あ、じゃあそのままで、となり、そこで統括がどうした?ときた。まだ相手方は近くにいる。それなのにそれなのに、とりあえず直接のやり取りを謝り、無理難題を説明し、そして放ってしまったのだ、でも、時間的に無理ですねと。焦っていたからか、声が大きかった。激しく後悔した。多分聞こえていた。相手方がいて仕事が成り立つ職だ。もちろん出来ないこともあるが、断り方にももう少し言い方があった。無理という言葉は一切の拒絶を感じる。あの発音に込められる圧がどうも受け付けない。あれだけ自分が不快に思う言葉を、いつも言わないよう気をつけてる言葉をこうも易々と入ってしまった自分が嫌になる。

そうして帰りの電車でもウダウダしながら今これを書いている。良くなかったのによかったとして、禁じ手を使い、自分が嫌な言葉を吐いてしまったことで嫌悪感を抱きながら。
こんなことは多分無駄で、次どうすれば未然防止できるかが大切なのだろう。だから、余裕ができた時間で相談した。解決策もある程度できた。
分かっている、分かっているからこそなおのことなのだ。悔しい、許せない。いいよいいよと結果オーライと優しい周りに結局はすがってばかりの自分。いつかそんな自分も嫌いな言葉もマルっと受け止めて抱きしめ、そうかそれでも大好きだと言える日は来るのだろうか。

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