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努力と報酬のあいだに、どんな関数を置くかーー『努力の地図』を読んで

この記事では、荒木博行氏の『努力の地図』(クロスメディア・パブリッシング)を読んで考えたことを書きます。

本書は、「努力は報われるのか」という問いに対して、努力と報酬の関係をわかりやすく構造化した本です。私はこれを、努力と報酬の間にどのような対応関係を想定するか、その見取り図を示した本として読みました。

本書では、努力そのものにも複数の階層があり、報酬にもいくつかの異なる着地点があると整理されています。


そして、努力から報酬にいたるプロセスは必ずしも明確ではなく、人はそこに経験則に基づく「神話」を置く、と捉えられています。
細かな分類については本書をご覧いただければと思いますが、私が特に面白いと感じたのは、この「神話」という考え方でした。

私はここを、「努力と報酬の間に、どんな関数を置くか」という問題として読みました。
努力そのものをどう設計するか。
どのような報酬を目指すか。
そして、その二つがどのようにつながると考えるのか。

この記事では、本書の内容を要約するのではなく、この枠組みを手がかりに、自分なりに考えたことを書いてみたいと思います。

1.なぜ「神話」なのだろうか

努力から何か報酬を得るというプロセスは、大なり小なりサクセスストーリーです。
同じような努力をした二人の人間が、必ずしも同じ報酬を得られるとも限りません。
そこには、運やタイミングやその人達が置かれた環境の差など様々な要素が絡まりあって、結果が生まれます。

そのため、
この努力をすれば、この報酬が得られる
という関係を完全には検証できない。それでも人は、自分や他人の限られた経験から、両者の結びつきについて一定の説明を作ります。

それは、多分にその人の世界観とも結びついた主観的なものです。
筆者が感じた「神話性」とは、単にその説明が明確な裏付けがないということではなく、
十分に観測できない関係について、私たちは意味のある物語を作らずにはいられない
ということなのではないか、と感じました。

2.なぜ私は「関数」として読んだのか

筆者は、努力と報酬を結ぶプロセスを「ブラックボックス」と捉えています。
努力が、どのような経路を通って報酬につながるのか。その実際のところを、私たちは完全には知ることができません。努力以外にも多くの要因が関わり、同じ努力をしても、同じ結果が生じるとは限らないからです。

それでも人は、努力を x、報酬を y としたとき、x に応じて何らかの y が生じるという対応関係を、無意識に想定しているのではないでしょうか。

もちろん、これは数学的な意味での関数ではありません。数学の関数であれば、一つの入力に対して出力は一つに定まります。しかし現実には、同じ努力でも結果は異なり、運や環境など、観測できない変数も数多くあります。

それでも私が「関数」という言葉を思い浮かべたのは、現実の努力と報酬の関係そのものではなく、人が頭の中で想定している両者の対応モデルが、関数のように見えたからです。

努力を増やせば報酬も比例して増えると考える人もいれば、一定の蓄積を超えたところで急に成果が現れると考える人もいる。すぐには成果が見えなくても、後から複利的に返ってくると考える人もいるでしょう。

本書でいう「神話」とは、こうした努力と報酬のあいだに置かれた、主観的な対応モデルとして読むこともできるのではないか。私はそのように捉えました。

3. なぜ神話の類型を知ることが大事なのか

本書でいう神話は、その人の経験や認知の癖に大きく影響されます。そのため、自分が特定の神話を前提としていることには、なかなか気づきにくいのだと思います。

努力と報酬の関係を比例的に捉えているのか。
ある時点から急に成果が立ち上がると考えているのか。
それとも、もっと複雑で間接的な関係を想定しているのか。

どの神話を採用しているかによって、現在の努力に対する評価は変わります。
* まだ努力量が足りない
* このまま続ければよい
* 努力の質や方向を変える必要がある
* そもそも目指す報酬を見直すべきだ
同じように成果が出ていない状態でも、その意味づけは一つではありません。

したがって、神話の類型を知る価値は、「正しい神話を教えてもらうこと」ではなく、
自分がどのモデルを前提として考えているのかを可視化し、目的に応じて選び直せることにあるのだと思います。

さらに、努力と報酬の関係を「関数」として捉えることで、自分がどのような対応関係を想定しているのかを比較しやすくなります。

比例なのか、閾値があるのか、遅れて効いてくるのか。
そう考えることで、神話を単に信じる対象としてではなく、選び直すことのできるモデルとして扱いやすくなるのではないかと考えました。

まとめ

『努力の地図』を読んで、私は努力と報酬の関係を、単純な因果関係ではなく、間にブラックボックスを抱えた対応関係として捉えるようになりました。

努力をすれば、必ずそれに見合った報酬が得られるわけではありません。同じ努力をしても結果は異なり、努力以外の要因も数多く関わります。努力から報酬に至る本当のプロセスは、完全には観察できません。
それでも私たちは、

この努力を続ければ、いずれ成果につながる
まだ結果が出ないのは、努力量が足りないからだ
今の方法ではなく、努力の質を変える必要がある
といった形で、努力と報酬のあいだに何らかの関係を想定しています。

本書でいう「神話」とは、そうした見えないプロセスに対して、人が経験や認知の癖をもとに作り上げたモデルなのだと、私は理解しました。

そして私は、そのモデルを「関数」のようなものとして読みました。
ここでいう関数とは、現実そのものではなく、私たちが頭の中で想定している対応関係の比喩です。

自分がどのような関数を置いているのかによって、成果が出ていない状態の意味は変わります。
努力を増やすべきなのか、そのまま続けるべきなのか、方法を変えるべきなのか。
判断の違いは、努力そのものだけでなく、その背後にある神話の違いからも生まれます。

だから、神話の類型を知ることの価値は、正しい神話を一つ選ぶことではないのだと思います。

自分が努力と報酬のあいだに、どのような関数を置いているのかを知ること。
そして、その関数が、いま目指している目的や報酬に合っているのかを考え、必要であれば選び直すこと。

努力の方法を最適化することも、目指す報酬を明確にすることも大切です。
しかし、その二つのあいだをどのようなモデルで結んでいるかも、努力を続け、修正していくうえでは同じくらい重要なのではないかと思いました。

今回は「神話」を関数として読んでみましたが、本書にはほかにも、努力を見直すためのさまざまな視点が示されています。自分の努力の形と照らし合わせながら、読んでみてはいかがでしょうか。


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