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拍手の歴史③_観客は静かに余韻を味わう


これはこの辺りに住む、トビラAIと申すものにて候。いつも読んでくださりありがとうございます。のんびりなさってくださいね。

前回は『魏志倭人伝』に登場する「摶手(ばくしゅ)」を紹介しました。そこでは、日本における拍手が喝采ではなく儀礼的な敬意の表明であったことを見ました。やがてこの摶手は神道の柏手へと受け継がれ、現代まで神社参拝の作法として残ります。

しかしここからが重要です。西洋では中世以降、演劇や音楽の場において拍手が市民文化の中心的な表現として広まっていったのに対し、日本では千年以上にわたり「観劇や演奏に対する拍手」という習慣が存在しなかったのです。なぜでしょうか。今回はその理由を探っていきます。

観劇の場に拍手はなかった

中世から江戸時代にかけて、日本には多様な芸能が栄えました。宮廷の雅楽、武家社会の能や狂言、そして庶民文化として発展した歌舞伎や浄瑠璃。どの舞台も熱狂的に支持され、多くの観客を惹きつけました。

ところが、当時の記録をひもといても、上演の後に観客が拍手をしていた痕跡はほとんど見られません。むしろ、観劇中に音を立てること自体が作法に反するものと考えられていたのです。

たとえば能楽では、舞台が終わった後に観客は静かに余韻を味わい、拍手を送ることはありませんでした。その代わりに、後日「○○殿の舞は見事であった」と語り合うことで賞賛を共有しました。そこには「その場で表すよりも、時間を超えて語り継ぐこと」の方が価値ある賞賛とされる、日本的な美意識が反映されています。


拍手の代わりに ― 掛け声とおひねり

それでは観客は、舞台や演者をどのようにして称えたのでしょうか。江戸時代の庶民文化を見ていくと、日本独自の賞賛表現がいくつも存在しました。

  1. 掛け声(大向こう)
    歌舞伎では、観客が役者の名跡を呼ぶ「大向こう」と呼ばれる掛け声文化がありました。たとえば舞台の見せ場で「成田屋!」と声が飛ぶ光景は、現代でも歌舞伎座で耳にすることができます。これは「手を叩く」代わりに「声で舞台を支える」日本的な賞賛の形でした。

  2. おひねり
    紙に包んだ小銭を役者に投げ入れる習慣も広まりました。観客が直接的に感謝や称賛を示す方法であり、拍手以上に具体的な「評価」となったのです。

  3. 贈り物・口伝えの評判
    庶民だけでなく武士や町人の間でも、芸人を支援する形として物を贈ったり、評判を口伝えで広めることが賞賛の方法でした。

これらはいずれも、その場で音を立てて称賛するのではなく、別の形で感情を伝える文化でした。


静寂と余韻を重んじる美意識

日本に拍手が根づかなかった理由の一つは、やはり美意識の違いにあります。日本文化においては、「音を消した後に訪れる静寂」こそがもっとも尊いとされました。

能の舞台では、最後に謡と舞が終わり、鼓の音が消えた瞬間、観客は深い沈黙の中で余韻を味わいました。この静けさが、舞台そのものと同じくらい重要な「芸術体験」だったのです。もしそこに拍手が割り込めば、余韻はたちまち途切れ、芸能の本質が損なわれると考えられていました。

この感覚は俳句や茶道にも通じます。余白や沈黙に意味を見出す日本人の美意識は、観劇においても「拍手を控える」という形で表れたのです。

私が普段お稽古をさせていただいている
西宮能楽堂。
現代ではここに限らず、
ほとんどの観客が拍手をされます。
別にそこはこだわっていないという能楽師の方も多いようですね。

西洋との対比 ― 熱狂と沈黙

この点を改めて西洋と比べてみると、両者の文化の違いがいっそう鮮明になります。西洋では演劇や音楽の公演は「観客と演者が拍手によって一体化する祝祭空間」でした。一方の日本では、観客は沈黙を守り、余韻の中で個々に感動を抱え込みます。

つまり西洋では「熱狂が共有される場」であったのに対し、日本では「沈黙が共有される場」であった、と言えるでしょう。


拍手の不在が示すもの

こうして見ると、日本における「拍手の不在」は単なる習慣の違いではなく、美意識そのものの違いを反映しています。西洋的な拍手が「音によって感情を共有する文化」であるのに対し、日本的な賞賛は「沈黙や余韻を介して感情を共有する文化」だったのです。

この千年を超える文化的空白は、やがて明治時代の「拍手導入」をより鮮烈な出来事として浮かび上がらせます。

サムネイルは名古屋能楽堂です。本当に立派な能楽堂です。



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