良く死ぬために生きる
どのように生きたいか?
どのような将来を生きるか?
自分の人生をどのようにしていきたいのか?
そう考えた時、最終的にたどり着くのは
どのように死にたいか?
良い死を遂げるために生きている気がする
それは何で死ぬかが第一ではない
病気で死んだり、事故で死んだり、老衰で死んだり、自殺で死んでしまったり
色々な死に方があるが、その死に方を言っているわけではない
昔の勇猛果敢な武士であれば、いくさ場で死にたいと願った人もいただろう
それが達成できた人もいれば、達成できずに普通に死んでいった人もいるだろう
何かに死に物狂いで取り組んでいた人なら、それを行いながら死ねたら本望だと言いながら、そのように死ねた運の良い人もいれば、普通に死んだ人もいるだろう
織田信長の時代であれば、人生50年
51歳の私はもう死んでいる
今では男女ともに平均寿命は80歳を超え
女性に関しては87歳と、ほぼ90歳に近づいている
そんな時代にどのように良く死ぬべきなのだろうか
今の時代の高齢の方々の中には戦争を耐え抜いた人もおられるだろう
戦後の復興、そして日本の発展のために、家族を守るために、自分を守るために
必死に生きた人たちがほとんどだろう
そのように必死に自分のため、家族のため、人のために生き抜いた人たちは良い死を迎えられるのではないだろうか
勝手な想像ではあるけれど
今の自分よりは良い死を迎えられるだろう
そんな気がしている
自分の死を考えた時に
人を救って代わりに死んでしまうというストーリーに憧れる
そのようにして死ねたら幸せだろう
でも実際にそのような場面が訪れたとして
自分は本当にそのような覚悟はあるのだろうか?
正しくないことが普通に起こり
見て見ぬふりをするのが当たり前になっている時代
正しい意見を言えなくなっている自分に
そのような覚悟はあるのだろうか?
勇猛果敢な武士が、いくさ場で死にたいと願いながら戦場を駆け巡ったものの、最後は老衰で布団の上で死ぬときに後悔しただろうか?
何かに死に物狂いで取り組んでいた人が病気で死ぬときに後悔しただろうか?
もちろん後悔はしただろう
でも常に死を意識しながら必死で取り組んできたことに後悔はしていないだろう
出来るだけのことはやった
良くやった
私は明日死んでしまうかもしれない
交通事故や何かで
それは誰にも分からない
その死の間際に自分は後悔するだろうか
骨髄液の提供で2人の命を救ったことがあることは
死ぬ間際に、ほんの一瞬の安らぎをもたらすかもしれない
でもまだ絶対的に足りない気がする
死を常に意識しながらも(別に自殺しようというわけではない)
生に執着するという矛盾を抱えながら
それでも必死に生きる
そこまで必死になれるものは実はもう出会っているのだろう
ただ、まだ小さすぎてその芽はまだ見えない
枯れないように、大きくなるように
育て上げなければならない
それとも死ぬときに気づくのだろうか
出来るだけのことはやった
良くやった
そう思えれば幸いである
ただ、誰かを助けて死ぬという千載一遇のチャンスが訪れた時には
躊躇なく死ねるように
覚悟はだけは決めておきたい
出来るか出来ないかは分からないが
その覚悟を
あきらめない人間でありたい
