#35 子どもが苦手な主婦の、子どもが苦手な主婦による、子どもが苦手な主婦のための読み聞かせ
私は3人の子供を産んでおきながら、実は子供好きではないことを、以前書いたことがある。
実は最初から苦手だったわけではない。
もともと私は友人や親戚の子供を、ありえないくらい「カワイイ!」と世話を焼くタイプの人間だった。さらに高校生の時は保育士の職業体験にも参加したほど。
「私って実は、子供が苦手かも・・・」の意識は、悲しいことに自分が3人の子どもを出産してから芽生えた。
「子どもって、思い通りにならないとわめくし、空気読まないし、世界の中心は自分だと思ってんじゃん」
0・2・3歳という、この世に生まれてまだ間もなすぎる3匹の怪獣のワンオペ育児は、いつもこの不満がつきまとった。
子供がわがままを言うのは、おそらくどこの歴史を切り取っても「当たり前のこと」なのに、それを許せないという自分の感情が抑えられない。この感情は完全に理不尽だし、おそらく母性が欠けている。分かっちゃいるのに止められない。その葛藤はかなりしんどいものである。
しかし、毎日うるさい怪獣たちと過ごさねばならない日々を送る中で、楽しいことが1つだけあった。
それは絵本の読み聞かせ。
読書家の父の影響で「人間、本さえ読んでおけば人生なんとかなる」という根拠のない価値観が私にはあった。(のわりには、高校生から38歳まで漫画しか読まなかったが)
なので、子どもたちを本に慣れ親しませようと、長男が0歳のときから絵本の読み聞かせをしている。
一般的に未満児への読み聞かせは、優しい声で眠気を誘うような語り口調、そして愛情たっぷりに読むことを想像するだろう。
しかし、私の読み聞かせは少し違う。
私にとって絵本の読み聞かせの時間は「子供を優しく支配できる空間」だと思っていた。
簡単に言うと「あなたたちに時間をかけるんだから、ちゃんと、聴きやがれ♡」くらいの精神で、読んでいた。
つまり私が朗読する時間は、子どもたちを絶対に絵本に釘付けにする。
優しい本は優しさを全開に、悲しい本は悲しさを全開に、そして怖い本は怖さを全開に。
そうすると、声色を変えたり抑揚をつけたり、間をおいて焦らしたり…と、かなりクセのある読み聞かせに進化した。
その結果、日頃うるさい怪獣たちは、私が絵本を読む時だけは、じーっと黙って聴いているのだ。
おそらく絵本の世界にひきこまれている。いやもしかすると本当の意味で『劇団1人』な母の変貌ぶりに、多少恐怖さえ抱きながら聴いていたのかもしれない。
理由なんてどうでもよい。私は絵本を読み聞かせるときだけは、子どもたち3人とも大人しくさせることができる。
それはそのときだけ「自分が主役になれている」という事実。
今思い返すと、完全に陶酔の域だった。
さらに一人舞台に酔いしれた私は、我が子に聞かせるだけでは飽きたらず、小学校で絵本の読み聞かせボランティアに自分から立候補した。
1年生のクラスを担当したときは、ここに座っている全員の子どもたちを、「1秒たりとも、よそ見させねえ!」という志で読んだ。
ちょっとでもつまらないと感じさせたら、私の負けだと思って、必死に戦うことを決めた。もはやそこは、子どもたちが仲良く集う教室ではなく、戦場だと思っていた。
ナレーションや登場人物ごとに、声色を極端に変えて、「え?このおばちゃん、NHKの『おはなしのくに』からでてきたん?」くらいに思わせる。
そして、絵本の構成上、少し平坦な進行のページが続く箇所では、子どもたちがそっぽ向かないよう
「あれ、カンガルーママのポケット、何個あるかな??」
「おっと、修理屋さんが落とした道具はどこかな?」
などオリジナルの質問を交えて、子どもたち全員、嫌でも本を覗き込むような作戦に切り替える。
大丈夫、私は勝てる。
だって前日に長女を相手に3回もリハーサルしたんだから。
もちろん、先生がドン引くほどの、熱演だったことは言うまでもない。
後日、その読み聞かせに混じっていた1年生の次女に「ママって絵本読むのスゴイねって言われたよ、お友達と先生に」と言われた。
わたしは「えーやったぁ嬉しい」と表面上では可愛く喜んでいるが、内心は「当たり前やん。こちとら勝ちにいっとるんやけん」な慢心ぶり。
この読み聞かせは現在10・9・7歳になった「元怪獣」たちにもまだ続けている。今は読み聞かせというより朗読。
さくらももこ著「もものかんづめ」や、西野亮廣著「夢と金」などを声に出して読んでいる。
もちろんあのころに比べて、子どもたちはだいぶ大人になっている。
もう力を入れて読まずとも、きちんとそばで私の朗読をきいてくれている。
しかし、だ。
私はまだ大人になれない。
読み聞かせを・・・朗読を、たくさんの人に聞かせたいという変な欲求がまだまだ溢れている。その欲に、抑えが効かなくなり、なんと今は音声配信で朗読を発信している。
もちろんあの頃の読み聞かせのように「聞き手を支配する意図」は全くない。
「せっかく人前で読ませてもらえるなら、素敵な作品を聴きやすい声で読みたい」という、少しまともになった理由で日々収録している。
そんな朗読配信を続けていると、著者さんやリスナーさんと繋がる新たな喜びを見つけた。
著者さんたちからは「自分の作品を読んでもらって良かった」。
リスナーさんたちからは「このお話、すごくいいですね!」。
それには人数なんて関係なかった。たった1人にでも、この拙い朗読で「何か」を少しでもお届けできていることを知って、初めて心から「朗読って楽しい」と思えるようになった。
と同時に「40歳にもなると、だいぶ肝も座って厚かましくなって、こんな発信ができるようになったんだ」と傍観する自分もいる。
とりあえず、「子どもが苦手な主婦の、子どもが苦手な主婦による、子ども苦手な主婦のための読み聞かせ」からは、卒業できたのではなかろうか。
(ということで6月もnoteとスタンドエフエムの平日毎日投稿、頑張ります)
