見出し画像

はじめにー高齢パパ、ママになるまでー

結局、結婚したのは43歳になってからでした。正直その頃には、もう結婚とかいいかな…って思ってました。長く一緒にいるのに、いつまでも決まらない。こっちは人生の期限(いろいろ)もあるのに、相手はのんびり。

なので私、ある日ついに言いました。
「もう別れてください、お金は折半でお願いします」
うちの夫、「結婚制度に反対」らしいです。
お金は折半って言った瞬間に結婚を決めました。
制度より折半が怖かった説、濃厚です(笑)

結局、43歳でようやく結婚に至りました。
そうして、43歳のとき、私は不妊治療を始めました。正直、遅いですよね。もちろん、夫の協力が十分に得られないままのスタートでした。
夫の考えはどちらかというと、「子どもって必要? いなくてもよくない?」という感じでした。二人とも仕事が忙しくて簡単に休めず、通院しながら日々を回すだけでも精一杯でした。それでも私は「今やれることをやろう」と思って、若い時に残しておいた凍結卵子を使って治療を始めました。   治療を始めてすぐに顕微授精へ。ありがたいことに、1回目で妊娠することができました。ただ、私は子宮にチョコレート嚢胞もあって、「このまま順調にいけるのかな…」という不安もありました。

……そして、そこから流産が続きました。

気持ちの整理がつかないまま、仕事のことも考えなければいけなくて、
「このまま続けるべきか」「仕事はどうするか」など悩みは尽きませんでした。だんだんと「これはなかなか難しいかもしれない」と現実を受け止めるようになり、海外での代理出産も含めて、いろいろ調べたり検討したりするようになりました。

そんな時期に戦争が起こり、状況が一気に変わりました。ウクライナからアメリカへ、さらにカザフスタンへ…いろいろ転々とした。凍結卵子や精子を国をまたいで移送してもらうことになりましたが妊娠するとも限らない。  費用は2000万円以上はかかりました。(経済的には恵まれているパワーカップルではありました。)

いろいろな可能性を同時に進めながら、気づけば私は50歳で母になることになっていました。

正直、私はもうすっかり諦めかけていました。でもその頃から、夫が少しずつ協力的になっていき、治療も前に進み始めました。「もうすぐ50歳なんですけど…」と不安になる私に、医師は「日本でも毎年15人くらいは50歳以上で出産されていますよ。まだ49歳。一緒にがんばりましょう」と励ましてくれて、その言葉に救われたのを覚えています。

その後、出生前検査を受けたときに、「ダンディ・ウォーカー症候群かもしれない」と医師に言われました。もし障害があったら、自分たちに育てられるのか。夫婦でたくさん話し合い、迷いもありましたが、
「まぁ正直わからないけど、人生は一度だけだし、やってみよう」
そんなふうにして夫婦で腹をくくりました。

生まれてきた子には小脳に嚢胞があり、今も経過観察は続いています。
医師からは「健康に過ごせる可能性が高いけれど、細かい動きの部分では影響が出るかもしれない」と言われています。半年に1回大きな総合病院に通っています。

それでも今は元気に保育園に通っています。
言葉もどんどん増え、毎日を見ている限りでは、ほかの子どもたちと変わらない様子で過ごしています。

不妊治療をしていると、いろんな気持ちになります。
落ち込んだり、焦ったり、前を向けなくなったり。でも、それって当たり前だと思います。

それでも続けているあなたは、それだけで十分すごいです。

私は高齢で母になったので、この先冷ややかに見られるでしょう。
でも今通っている保育園では、20代から50代のママ、パパさんもいて   みんな挨拶をしてくれて普通に接してくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。

ちなみに私の友達には、養子縁組で家族になった人もいれば、代理出産で子どもを迎えた人もいますし、卵子提供や精子提供といった選択をした人もいて、いろいろな形があるんだなぁと、身近で感じてきました。

そして日本にも、家族を必要としている子どもたちがいます。
だから私は「こうじゃなきゃいけない」なんてものはなくて、
それぞれの事情や想いがあって、その人なりの形で家族になっていくんだと思っています。

遠回りでも、迷いながらでも、家族になりたいと思って進んだ道なら、きっとどれも間違いじゃないと思います。

頑張っている人が、ちゃんと報われる世界であってほしい。
そして今頑張っている人にも、あたたかい未来が続いていきますように。

いちばん大事なのは「一緒に生きていく」ってことなんだな〜って思っています。 どんなnoteになるかはわかりませんが、高齢パパ、ママnoteとして思ったことを書いていければと思います。




いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集