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ウパニシャッド

人は死んでも業は残る——古代インドの思想

禅僧の太瑞知見さん(長崎県南島原市)を講師とする座禅体験に参加した。最近は海外からの参加者が増えているとか。

坊主の友人がやっている座禅体験には時々参加しているが、もっと哲学的な背景のような部分を聞きたいと思っていたところ、今回随分と面白い話が聞けた気がする。

「人は死んでも、業は残る」

講義はこの一言から始まった。

業(ごう)、つまりカルマ。紀元前に生まれた古代インドの哲学「ウパニシャッド」の重要な概念の一つで、人の行いはその人が死んでも消えず、世界になんらかの影響を与えている、というもの。仏教よりも前に起こった思想が、令和の時代に日本の会議室に持ち込まれた。この事実だけでも、まさに真実をついた考え方だと言える。

現代風に言えば、創業者がなくなってもiPhoneの発明は世界を(良くも悪くも)変え続けている、自分が行為をやめてもデジタル上にはログが残り続ける、という喩えもこの概念に含まれると言えるのかも。

「行動の影響が残り続けるのであれば、人間の行いの原因となる『心の働き』を良いものに変えていくことが、性格や習慣を変え、ひいては生活や人生をより良く変えていくことにつながるはずだ」と考えたらしい。

思いを変えなさい・・
行動を変えなさい・・
習慣を変えなさい・・
〜〜〜

ってやつもルーツはここか。

だから、心に生じる思い(雑念、欲、衝動)を減らして心を空にすることで行動が調うということだ。

あー、思いは現実化する的なあれね、どこでも言い古されて誰もが知っていることだし、何も新しい考え方ではない。だが、日常で誰もが意識して実践できているかというと、それはかなり疑わしい。

プラヴリッティとニヴリッティ

講師は、心を空にする2つの方法論として、サンスクリット語の概念で紹介した。すなわち、活性化型(プラヴリッティ・マールガ)と鎮静化型(ニヴリッティ・マールガ)である。

活性化型は、クラブで踊りまくるとかカラオケで歌いまくる、というイメージがわかりやすい。こんな時、意識は外へ向かって悩み事も吹き飛んで心が空になる。鎮静化型は、思いが浮かんでも追いかけないことで静める。

坐禅はもちろん鎮静化型。

講師スライドより

坐禅中では呼吸に集中する。思いが浮かんでもそれに気づいたら呼吸に意識をフォーカスする。この行為を「心一境性」といい、これを繰り返して熟練していけば、心が穏やかに統一されていく(=三昧)という状態に至るという。

「我思うゆえに我なし」というわけか。

うーん、ウパニシャッドにおけるブラフマン(宇宙の根本原理)とアートマン(内なる自己)が一致した「梵我一如」という状態と、仏教的な「無我」という状態は概念的には少し異なるかもしれないが、遠くはない気もする。初心者が座禅するなら、そんな感じ、という理解でも良いんじゃないかと思う。只管打坐(坐禅に目的を求めず、ただひたすら座れ、的な意味)では、坐禅をしようという入り口にすら立てない気もするし。

ちなみに三昧とは、サンスクリット語のサマーディを音訳したものらしい。

要するに、座禅中にすることは、浮かんできた考えを追いかけないこと。ただ、気づいて、戻る。シンプルだが実際は難しい。

インドでのブレスワーク体験と繋がった

個人的に、今回のセッションで、半年前のインド一人旅、リシュケシュでの体験が、少しつながった気がした。

ガンジス川のほとりの町、リシュケシュ。「リシ(聖仙)の地」を意味するサンスクリット語の地名を持つその場所は、ヨガ発祥の地とも呼ばれ、4500年以上にわたってヒマラヤの賢者たちが知恵を口伝で受け継いできたと言われる。

川沿いにはアーシュラム(修行道場)が並び、夕暮れ時にはガンジス川への礼拝「アールティ」の炎と讃歌が響く。サンスクリット語が、今も生きている神秘的な場所だ。

そのような神聖な土地で、ヨガの先生に誘われブレスワーク(呼吸法)のセッションに参加した際、爆音のトリップ音楽に晒されながら仰向けの状態で独特の呼吸法を続けることで、過去のトラウマや今抱えている問題に関する感情が外に向かって溢れ出す。そして筋肉が攣るなど、身体にも影響が起こる。本当にそういうことが起こった。

最初は胡散臭いと思っていたが、セッションが終わって感想をシェアする時には、一緒に参加していた西洋人たちも含め、皆が「神秘的な体験だった」と言った。そしてその先生は「先生抜きに素人が一人でやるのは危険だ」と付け加えた。溢れた感情のままどこかに行って戻って来れず、心の統一がなされないと、場合によっては自傷行為に至ることもあるかもしれない、とかなんとか。

当時は「こんな世界観があるんだ〜」「さすがインド〜」という一つの体験談で終わっていたが、今回の話を踏まえると、「プラヴリッティ的」な解放・活性化型のアプローチだったのか、と思い至り、過去の体験が今日のセッションによって少しだけ意味付けされた気がした。

あのブレスワークの起源をたどると、古代インドの呼吸法「プラーナヤーマ」をもとに1970年代に体系化された「ホロトロピック・ブレスワーク」に行き着く。リシュケシュという場所自体が、その知恵の源流だったのか、と。

ちなみに、「ウパニシャッド」という言葉はそもそも、サンスクリット語で「師のそばに座る」という意味らしい。現代のブレスワークも座禅も、遡れば同じガンジス川を源流とするものだ。

ガンジス川 @リシュケシュ

聖なる川は、奥が深い。

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