見出し画像

ふわりと消えた記憶

JK000017、宇宙は遠く。はては見えない。
空白記録者は男と少女を揺蕩う二重声でゆらゆらと虚空に歌う。

「ふっ……ひとつ消えた。ふっ……またひとつ。」

息を吹きかけると、頁からパラパラとなにかが重力井戸へと落ちていく。
おもちゃを弄ぶように、消えていく記憶。

「ふふ…あはは。ばーかばーか。あるからいけない。あはは」

しばし黙する。最後だ。 そしてポツリと。

「さよなら。ばいばい。」

もはや興味もなくしかけた顔で、

「ふっ…と」

吹き消した。

争いが消えた日。
あとには、まっしろなページ。なにかが消滅した。3つ消滅した。
消し去った記録者にも、もう思い出せない。

「あはは。さよなら、なにか。」


寺井は会計士となってもうだいぶ長い。今まで数多く財務諸表を見てきた。だがもう、フィールドで戦うキャリアもあと少し。総仕上げといった気持ちで今日も仕事に向かう。ガラス張りで今風なオフィスビル。ホールで待ち合わせだ。

「寺井氏、おはよーございます。」
「海月氏、めずらしく早いですね。」
「ええっ?ワタシ遅刻とかしたことありましたっけ?」
「こやつめ…ハハハ」
「いきましょうか」
「いきましょうか」

自動昇降機で、往査先があるオフィスを目指す。思い出せないほど繰り返した、よくある日常。そうした日々も終わりが近づいている。

海月氏とはだいぶ歳が違う。生意気といえば生意気だ。だが、不快ではない。歳を取り、立場があがるとともに、周囲には次第に気を使わせてしまうようになっていく。同期はほぼ組織を去ってしまった。もしくは、寺井よりもっとずっとえらくなってしまった。もう気安く話せる相手は少ない。若いスタッフと話すときは逆に気をつかう。

パートナーらしくふるまわざるを得ないことが増えたが、寺井はもっとフラットに人と接したかった。

海月は、雑だ。適当だ。そして、人を人としか思っていない。敬語もあやしい。気難しい古株もいる中、どうやって切り抜けてきたか定かではないが、不思議なことに、大きなトラブルを起こしたと聞いたことはない。こう見えて、意外と…いや、違うか。

ともかく、今となっては逆に貴重な、気を使わなくて済む相手だ。

「寺井氏、今日は林経理部長が話したいといっておったぞ」
「なに口調です?」
「いや、朝起きたら、ちょっと調子が。言葉が見つからないような気配があって」
「海月氏に限って、疲労とかはなさそうですけどね」
「いやー…そうね。いや!そうじゃないでしょ!ひどいなあ」

軽口を叩いていると、入り口についた。
海月が素早く受話器をとり、経理部にかける。

「おはよーございます。
 BIG(ビーアイジー)、海月です。
 あ、はーい。おねがいしまーす」

会議室に入り支度をする。
あとわずかな日々。気を抜かず務めようじゃないか。


海月は少し気になっていた。

(寺井氏・・・調子悪い?)

部屋には寺井とお互い良く知る間柄にあたる林経理部長。今まで、丁々発止でやりあってるところをいっぱい見てきた。

「いやいや、寺井老師、そこをうまいこと、ほらっ」

(老師??いや・・・老師でいいか。よかったっけ・・・?)

「と言わはりましてもですね。私どもも、財務諸表を見る立場として頭をひねらざるを得ないわけですから」
「えーっ、前はそうじゃなかったじゃないですかー」

往査先である、ツルカメ商事は、ちょっと前に会社を買収した。当該買収にまつわる会計処理について、今日は探り合い・・・となる、はずだった。

「で、寺井老師。なにを気にしていらっしゃいますか?」
「いや。ほら・・・えーっと。差額、ほら差額がでますよね」
「あー、えーっと。なにでしたっけ?差額・・・差額?」
「そう、差額・・・差額ですよね?」
「ですよね・・・あー、えー、なにっていったっけなあ。まあ、差額ですよね」
「そうそう、差額をどうするかですよ」
「いや、価値があるからお金を払ってるわけでね」
「まあまあまあ、まあ、そうでしょうね」
「だから・・・そうそう、えーっと。どうしたらいいって話でしたっけ」
「いや前から申し上げてますように・・・えーっと。差額は・・・差額って、あー出てこない」

(・・・やば!やっぱおかしいわ。寺井氏、もうボケ始めたか?)

「いや、老師、そこですよ。私どもも、差額について思ってますとね、頭がね、ふーっと、なってしまいまして」
「うーむ。私も、どこかすっきりしないですね」
「こないだまで、ちょっとずつ減らしていくとか、そういうやつでしたよね?」
「いやあ・・・?あとからバサッといくやつじゃなかったでしたっけ?」
「回収できそうかってやつですか?そういえば、前にいらした時、そういう話もしましたかね」
「そう。たしか、そうそうそう。でぇ・・・もめましたっけ?」
「あー、地下組織どうしが、ガタガタして」
「ありましたねえ。だいぶ話題になって・・・」
「ありましたなぁ。まあええですけど、要するにうちに影響あります?」
「うーむ。あまりないかもですねえ。」

(いやいやいや、まあ、企業結合とか昔はなかっただろうけどさ。とはいえ、過去にもやっただろ・・・えーっと、どうだったろう?)

寺井が終始ふわっとした話をすることは珍しい。やわらかな訛りで話しながらも中身はシャープなおじ、でずっと通ってきたはずだ。

(寺井氏も長かったからな。いままで頭を使いすぎたに違いない。ぼちぼち退職やし。ま、ええか)

「寺井老師、差額はある、で、いいですよねえ・・・いや、妙なこと言うみたいですけど」
「そう・・・ですねえ。ないとおかしい・・・気がしますが」
「でも、私ちょっと、もう差額はないような気もしてきてたりしてますよ」
「・・・っすよねぇ・・・私も差額を処理した記憶が見当たらなくて」
「老師ぐらい長いことやっててですか?」
「うーむ。お恥ずかしい。でも、みあたらないですよ。記憶に」
「ワハハ、どっかいってたりして!」
「ワハハ、まさかー」

などと、話しているうちに、チャイムがなった。お昼だ。

「ほな。そういうことでよろしく。また昼からもお願いしまさー」

林部長は、少しくびをひねりながら部屋をあとにした。
寺井も少しスッキリしない顔で言う。

「ぼちぼち、お昼でも行きますか」
「はいなー」

預かっている鍵を締めて、会議室をあとにする。

寺井氏が好きなお店は・・・あそこがいいかな。
素早く調べる。お、あいてるあいてる。


川沿いを歩き、オフィス街から雑多なエリヤへ歩いて向かう。さして水質が良いわけでもないが、とはいえ、水があると少し気持ちが違う。
幾度もここを通った。懐かしい日々。夜、急な呼び出しに、走ったことも…。

「寺井氏・・・
 おい、寺井氏!(やっぱりボケてもうてたか)」
「おう?(聞こえてるで)」
「(耳はまだええか)おそば、どーです?」
「(こいつ)ええねえ。久しぶりに行こか」

商業ビルに挟まった小さな古いそば屋。亭主が亡くなってしばらくたつが、おかみがひとりで切り盛りしている。いそがしくて、サッと済ませたい時にはお世話になった。

海月が店を見て、ふと首をかしげる。

「おやー?おやすみ・・・でしょうか」
「確かに。やってない?でしょうか」
「あ、中に人いてはりますね・・・でも、じゃあなぜ・・・いや、聞いてきます」

海月が、なにかをくぐるように頭を下げ、カラリと引き戸を開け、中をうかがう。

「ふたり大丈夫そうですかー?あ、はーい。」
「いけそう?」
「いけますってー。入りましょ、入りましょ。さあさ、お先に」

海月がくるりと身をかわすと、長い黒髪がふわりとはずむ。

ふわり。

あ、そういえば店先になにか足りないような・・・。
寺井は扉上部にしばし目をやる。

「ちょっとー?」
「ああ」

平和な昼どきだ。余計なことは気にしないようにしよう。
寺井は、違和を頭から追い出した。

そして、なにもないところを、いつもそうしてたように身をかがめ、店に入った。


空白記録者はまどろみに浮かぶ。争いが起こるたび、空白記録者は少しずつ消去を繰り返した。なにを消してきたかはもはや思い出せない。でも何かを消し去った手触りを覚えている。
あたらしい争いを心待ちに、空白記録者はしばし眠りについた。

あるからいけない。あるからいけない。すべて、ばいばい。


(2025/7/19 20時 タグを追加)

いいなと思ったら応援しよう!

電子の海に潜む闘魂 誠にありがたいことに、最近サポートを頂けるケースが稀にあります。メリットは特にないのですが、しいて言えばお返事は返すようにしております。