最近
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これまではてなブログで最近のことを書いていましたが、今後noteに移行しようかと迷っており、とりあえず今回は両方に同じ記事を書きました。
過去の記事はこちら↑からご覧ください。
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某日
映画「Good One」を観る。

17歳の少女サムは、父クリスと彼の旧友マットとともに、ニューヨーク州キャッツキル山地へ2泊3日のキャンプに出かける。
二人の男たちは、旅路の間、長年のわだかまりをぶつけ合いながらも、ゆるやかにじゃれ合う。年齢以上に聡明なサムは、彼らの小競り合いに半ば呆れつつも、聞き役、世話役を全面的に引き受ける。しかし、男たちの行動によってサムの”大人への信頼”が裏切られたとき、サムと父は”親子の絆が揺らぐ瞬間”を迎えることになる。
映画の中でクリスとマットは無自覚にも家父長制的な価値観を持っていて、サムに対して加害性のある言動を繰り返す。例えば、車酔いを理由に運転を申し出るサムに対して、父クリスが「スマホの見過ぎ」と決めつけながらも、逆に自分のスマホで仕事のメールを確認させたりする。サムは黙ってそれに従うし、キャンプでもクリスとマットがだべっている間に黙々と水汲みをして食事の用意をして片付ける。男性の無自覚だからこその身勝手さと、それを受け流さざるを得ない女性の姿を嫌というほど見せられる。
一方でクリスの娘(サム)思いの一面やマットの息子との関係性に悩んで涙する一面も映されており、ふたりの男を単なる悪者としては描いていない。監督のインタビューを読むとマットとクリスについて、「彼らのことを好きでいたい」「観客にも少なくともときどきは、この人たちを楽しんでほしい」と思っていたことなどが書かれており、映画としての懐の深さを感じた。
彼らは恐ろしく酷い人間というわけではなく、ただの人間です。(中略)
息子を愛していて、食べることも大好きです。だから私は彼のことを、判断を誤る瞬間もある、一人の人間として描こうと思いました。
かといって私たち男性はその懐の深さに甘えてはいけないことを忘れてはいけない。
某日
もうすぐ4歳になる子は週に一度お絵描き教室に通っている。その教室では小学校高学年までの子どもが一緒に絵を描いており、恐らくその教室に通う子どもの中でも3歳というのは最年少だ。幼いということもあるだろうが、私の子は誰とでもフレンドリーというタイプでもないので、1時間半の教室を一人で過ごすことがまだ出来ない。他の子や先生とあまり打ち解けずにいる姿を見ていると、それは確実に自分の遺伝によるものだと感じごめんな…という気持ちになる。ただ、絵を描いたり何かを作るのは楽しいようで、教室に行きたくないとは一度も言われたことがない。
その日も付き添いで一緒に教室に来ていた。毎回先生の考えたテーマで絵を描いたり工作したりするが、この日は黄色くて丸い満月のスタンプを画用紙に押して、周囲にクレヨンと絵の具で好きな夜の風景を描こうというものだった。
子はまだ絵という絵は描けず、がーっとクレヨンで画用紙を塗りつぶしたりしている。ただその日はよく見ていると、線の起点と終点を繋ぎ合わせて円のような形を描いていた。そしてそれを2つ並べてその下に一本線を引いており、がたがた揺れる線ではあるが、"顔"を描いていることが伝わる。その僅かな成長を愛おしく思う。毎週の習い事で子の成長を定点観測している。
次に絵の具でピンクを作ってくれと言われ、赤と白を混ぜてみせると、筆でその顔に色を付けていた。聞くとよく見ているアニメのペッパピッグという豚のキャラクターを描いているとのこと。なるほどこれはどこからどう見てもペッパピッグだよな。
同じテーマで自分が真っ白な画用紙に向き合ったら、と考える。満月がある。中秋の名月ということにしようか。中秋の名月にはススキとウサギだろう。スペースが余ったから月見団子を描いておくか…余りにも乏しく凡庸な自分に辟易する。絵を描くことは想像力なんだな。
キース・ヘリングは「赤ん坊こそが人間の完璧な姿で、社会の色に染まらず純粋無垢で、未来への希望の象徴」だと考えて赤ん坊をモチーフにした絵を描き続けたらしい。子はペッパピッグが好きだから好きなペッパピッグを描いて、脳内の自分の世界を表現して、拡張している。いずれこのような純粋さは失われていくのかもしれないが、親としては世界がこの純粋さを保ち続けるに値する場所だということを少しでも示していたい。
某日
オードリーのオールナイトニッポン、ピース綾部ゲスト回を聴く。
「渡米先で収入源とかどうしているの?」と聞かれることに対しての綾部のアンサーが痺れた。
なんですぐそんな何をやっていて何を収入源にしてるのって…悪いことをしていないってことだけは言っておくよ。悪い金で生活していないから後は放っておいてくれよ。お前らが気にすることではない。日本国民よ、一切興味を持つな、おれの収入源、おれの生活に対して。
他人がどう生きていて、どういうお金の得方をしているか、何を目的としているかをいつまでも聞くな。
某日
自分にとって大切な本とかを人に勧めるのって難しいなと思う。そういった話をするときはだいたい自分を開示して相手との距離を縮めたいと思っている時だけど、自分の中でがそれが大切なものであればあるほど、相手の反応が「あーよかったね」とかだけだったら「それだけ!?」と思ってしまって相手との決定的な違いを認識してしまうから。勧めたものを見てくれなかった時はそれはそれで少しがっかりしてしまうし。なので初めに何かを勧める時は1番大切ものじゃなくて、まあまあ好きなものを言ったりする。
その本とかに自分のアイデンティティを感じすぎてしまっているし、多分考えすぎている。
某日
上の子と一緒に映画館で「ズートピア2」を観た。子は大きなスクリーンと大きな音にビクビクしながらも、最初から最後まで席に座って観ることができた。以降、家でもズートピアの主題歌を流してくれとせがんでくる。主題歌を流すと毎度「これ好き!」と言い、飛び跳ねて踊っている。そして、それを見た1歳2ヶ月の下の子も音楽にあわせて?手を叩き喃語で歌ようになった。
一日に何度も流れるシャキーラの歌の前で、私の買ったレコードはめっきり出番が減ってしまっている。
某日
Turnstileがベスト・ロック・アルバム賞とベスト・メタル・パフォーマンス賞の2部門を受賞というニュースを聞いて嬉しかった。ハードコアとかラウドミュージックのバンドには、なんとなく聴かれるのではなく、聴く人を強く惹きつける求心力があると思っているけど、そんなことも感じさせる受賞スピーチだった。
このバンドは個人のためではなく、共通の糸が隠されているこの世界で、その糸を探し求める集団のためのものです。
世界は我々に「お前たちは誰で、何者でないか」と決めつけようとする。
だが真実は、我々はどこにも属さず、同時に全ての人に属しているということだ。
↓最近YouTubeにあがっていたストーンローゼスのカバーもとてもよかったです。ドラムの人がアジカンのTシャツを着ている…!
某日
あちこちオードリーのヤーレンズゲスト回を見た。
学生時代勉強しておらず、頭の容量が空いてしまったが故に、どうでもいい情報の引き出しが増えたという楢原に笑った。
サッカーに詳しい横並びゲストの影山優佳がテレビ、ケータイ、タブレットの3画面で試合を同時に見ているというエピソードに対して、
峰竜太と同じことやってる(自宅にモニターがいっぱいあるらしい)
同じく影山優佳が、サッカー界のさかなクンになりたいと話したのに対して、
車も抑えないとね、さかなクン車も好きだから( 1980年式の2トンダンプが愛車らしい)
相方の出井がMC若林に「でも頭良さそうだよな、出井は文章書けるもんな」と言われたのに対して、
でもゴーストライターだもんな、松本伊代さんと同じ( かつて自著の宣伝中に「私も今日初めてこれを見たんで、私もよく読んでいないんだけど」と発言したらしい)
固有名詞に紐付けされた情報量の引き出しの多さに既視感を覚えたが、銀シャリの橋本だった。
↓銀シャリ公式チャンネルの橋本例えまとめ集。ありがたい。
某日
昨年旅行したイギリスと沖縄で撮った写真をまとめたZINEを作った。
もともとこういった形で作ることは考えていなかったが、旅行を終えて写真を見返していると我ながら良い写真が撮れているなと思い、制作するに至った。また、育児休業中で比較的編集作業の時間があったことも制作するに至った理由だ。
「書きたい!作りたい!」という純度が高く作られたプロではない一般の人のブログやZINEが好きで読んできた。自分でもブログはこうやって不定期で書いてきたが、モノとして存在するZINEをいずれ作ってみたいと思っていたので、作ることができてよかったなと思っている。しかし、載せたい写真を全部載せたらそれなりのページ数になってしまった。そのため、印刷費用を回収しようとすると誰も買わないような値段になってしまうで赤字価格で販売することとした。
たまたまいい写真がまとまって撮れた、編集時間があった、赤字でもいいかと思えたなどと行き当たりばったりで今回ZINEを完成させることができた。次はいつ作れるだろうか。
2026年3月現在、ジュンク堂書店大阪本店3階のcue booksという貸し本棚サービスの第13章238頁という場所(格子状の本棚はそれぞれ第〇章〇頁という名前で場所が決められている)、もしくは那覇のレコードショップBON VOYAGEさんで販売しています。もしくはinstagramかXでDMをいただいても通販いたします。








こちらにも「つかのまの気持ち」というZINEのタイトルに関してなど書きましたので、よければご覧ください。
某日
ZINEを販売するためにZINEフェスに出店参加した。同じように個人でZINEを作った人たちが集まって、各ブースでそれを販売するというイベントだが、ブースに立って目の前で自分が作ったものを手にしてもらうというのは本当に得難い経験だった。ZINEを見てもらったり、話を聞いてくれたりするだけで嬉しいし、さらに写真の感想を言ってくれたりすると作ってよかったなとホクホクした気持ちになる。
私の作ったZINEは赤字価格とはいいつつ、写真ZINEなので文章を中心としたZINEよりも印刷費が嵩んでいることもあって、他のブースで販売されているZINEよりも割高だった。他は高くても1000円ちょっとだったりするが、その倍程度の価格だ。まあ見知らぬ人が作ったものに対して一期一会でお金を払うことを考えると、普通1000円くらいまでだろうなと思うが、それでも私のZINEを買っていただいた方がいて本当に感謝しています。自分が作ったものが他人様の本棚に収まるというのはとても嬉しいことだなと思う。できればお一人ひとりがどんな方で、どんなところがいいと思って買っていただいたのかをお聞きしたかったが、そんなことを根掘り葉掘り聞いてくるのは気持ち悪いので聞けなかった。興奮を隠してお売りしていました。
自分のブースの前に人が少ない時間には他のブースを回って色んな方と話すことができ楽しい時間を過ごせた。面白そうなZINEもたくさん買えた。終わってからも誰かと作ったZINEについて話したいという気持ちになるが、特にそんなこともなく名残惜しく会場を後にした。
某日
子どもの成長する姿からは目を離したくないなと思うし、現実問題としても走り回る子どもから目を離せない毎日を送っている。育児をしていると親は1人で好きなように過ごせる時間を持ちにくい。
子どもの成長を見守るのも大切だが、親としてではなく1人で気が向くまま過ごしたいという気持ちを消し去ることはできなかった私はパートナーに「今度の誕生日に物はいらないので、1人になれる時間が欲しい」と伝え、3泊4日で沖縄旅行に行かせてもらうことになった(とは言え私たち夫婦は共に育児休業中の身なので、世間の子育てされている方よりは比較的1人の時間は取りやすい立場だと自覚しているが…本来は誰にだってこのような権利はあって然るべきだと思う)。
何故沖縄かと言うと、一つは去年沖縄に一人旅をしたのが良い思い出だったのと、もう一つは好きな折坂悠太さんのライブが那覇でありそれを見に行けるから、という理由。
加えて、折角沖縄に行くのであればということで、昨年の沖縄(とイギリス)旅行を通じて作ったZINEをどこか沖縄のお店に置いてもらいたいなと思い、勢いで那覇のレコード屋BON VOYAGEさん(以下、親しみを込めて愛称ボンボとさせてもらいます)に連絡したところ会っていただけることになった。面識もない中で「是非!」と返事いただいたボンボ店主のゴウさんに感謝です。ボンボにZINEを置いてもらいたいと思った理由などはこちらに書いたので、よければ見てみて下さい。
そのような経緯でパートナーと子どもたちに見送られる中、ZINEを入れたトランクを引いて神戸空港から沖縄に向けて飛び立った。細かく旅程を書くのは無粋かもしれないが、自分でもどうだったか忘れたくないので書き残しておこうと思う。
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那覇空港には15時前に着いた。その日はニイニイヨン音楽祭というのが那覇で開催されており、ちょうど15:20からHOMEという沖縄を拠点とするバンドのライブが始まるということだったので、トランクを引いたまま見に行く。デパートの1階の広場みたいなところにステージが組まれていたため偶然通りかかった人も見ることができる立地だったが、ライブ終盤でステージ前でカチャーシーを踊るお年寄りの方が表れていた。HOMEのライブで沖縄ならではの光景を見れてよかった。

HOMEのライブ後、宿に荷物を置いて風呂に入った後、再度ニイニイヨン音楽祭へ。ニイニイヨン音楽祭は2019年2月24日に行われた辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う沖縄県民投票を機に、毎年開催されているイベントということで、音楽ライブ以外にもトークショーが開催されていた。その時間は玉城デニー知事が「沖縄の基地問題の「いま」を聞く」というテーマで登壇しているということで見に行った。
沖縄の美しい海を写真に撮ってZINEにしたりしているが、写真を撮っていた時も空軍機が大きな音を轟かせて海上を飛んでいるのを見ていた。沖縄の綺麗な上澄みだけを搾取しているんじゃないかという意識も少なからずあったため、基地問題について知りたいと思っていた。が、開始から50分くらい経って会場に着いたので、その時には話題は他に移っており肝心の話をあまり聞けなかった…。ゆっくり風呂入ってたからだ…と思って聞いていたが、最後の方で知事が「非核三原則は堅持」「核廃絶に向けて、唯一の被爆国である日本は国際社会でリーダーシップを発揮しないといけない」と言っており、それはそうだよなと思った。私は生きていないだろうが、子どもがまだ生きているであろう2100年とかには核兵器がない世界になっていればいいなと思う。非核三原則堅持を明言しない高市首相からすれば、これは理想論なのでしょうか。
基地問題についてもこれを機に本を読もうかと思う(後日、沖縄ではないが、横須賀の米軍基地に配備されているイージス艦がイランへの攻撃に加わっており、トマホークを発射しているというニュースを見てめちゃくちゃやるせない気持ちになった)。
17時半頃にトークショーが終わり、今日19時開演の折坂悠太さんのライブまでは時間があるので早めに夕食を食べるかと思い、ヱイクラという大衆居酒屋に入る。早い時間だったが満席。ほとんどのメニューが400円以下と安い中から、豚足、納豆の素揚げ、ちくわ磯部上げを注文。こういう一人で酒を飲む時間が欲しかったんだよなと落ち着いて過ごし、ライブの時間に合わせて店を出る。
開演の19時に合わせて会場の桜坂劇場という映画館に着くが、人気がなく様子がおかしい。もしかしてライブの日を間違えたかと思って焦って会場をウロウロすると、ライブ中と書かれた扉を見つけて気が付く。開演時間を間違えていた。18時開場/19時開演だと思っていたが、17時開場/18時開演だったのだ。沖縄まで来てこんなミスを犯した自分が情けない。酒を飲んでしっぽり落ち着いてたからだ…。とりあえず中に入ると映画館なので観客はみな前を見て座っており、そんな状況で1時間も遅れて間を縫って自席に向かうのは気が引けたため、入り口付近の壁に沿って立ってみることにした。皆が前を向いてステージを見ているのを横から見ているという状況で、そこからは観客に歌いかける折坂さんの影と座ってステージを見つめる観客が正対して見えたのだった。

ライブでは折坂さんが「春が来ますね。でも、春は苦手です。それまで積み上げてきたものが一斉になかったことになってしまうから」と言って"春"を歌ったことが印象的だった。本当に春って優しい雰囲気をもいっていながら、そういう無慈悲なところがあると思います。あとは最後に歌われた"坂道"。この歌が歌われている間は身体が軽くなるような気分になる。
終演後、サイン会があるということで購入したCDを持って列に並ぶ。前に並んでいた方は「サマソニに一人で来られていた折坂さんと一緒にご飯を食べた、あの時の者です。あの時は地べたなんかに一緒に座っていただいてありがとうございました」と話しており、折坂さんも「あの時の!」とリアクションされていたが、私はもちろんそんなエピソードは持ち合わせておらず「毎週ラジオ聞いています。歌もラジオを末永く続けてください」と無難なことをお伝えし、サインをいただく。こういったサイン会におけるサインを書いてもらってそれを受け取るまでの数十秒で何を話せばいいのかいつもわからない。
「桜坂劇場」の看板とともに沖縄の少し早い夜桜が照らされているのを眺めて宿に戻る。

某日
ボンボにZINEを持って伺う予定の日。8時頃起床して風呂に入り、散歩をする。昨日訪れた桜坂劇場の目の前にある希望が丘公園でも桜が咲いていた。すでに満開は過ぎているように見えたが、色の濃いカンヒザクラが青空に映える。

待ち合わせ時間の10時にボンボへ向かい、初対面の店主ゴウさんに挨拶する。ゴウさんは私のインスタもフォローしてくれており、こういった形でお会いできて嬉しいと言ってくださった。ZINEもお見せするとその場で取り扱っていただけると返事をいただく。そしてボンボの店内にはこれまでに企画したライブやイベントのフライヤーやご友人のアーティストの方の作品が飾られていたが、そこに私が渡したZINEのポストカードも早速加えていただいていた。本当にありがたい。
そのまま開店前の店でレコードを見させてもらい、レコメンド文に「セサミストリートのカバーがおすすめ!」と書かれていたスライ・ダンバーという方のレゲエのLPを視聴させてもらう。ゆるいピアニカが最高だったし、これならシャキーラばっかり聴いている子どもも聴いてくれるかなと思い購入。
その他、Kanoparoさんという方が野口文さんのバンドに3日間同行して撮った写真集を購入し、YUKI KIKUCHIさんというゴウさんの友人の方が滞在先のLAで友人の方や風景を撮影した写真集をゴウさんからプレゼントしていただいた。Kanoparoさんの写真もYUKI KIKUCHIさんの写真も人がとても魅力的に撮られていた。被写体の方と撮影者の親密な関係性が伝わってきて、見知らぬ人のこんな私的な表情を見ていいのかとドキッとしてしまうような自然で優しい表情が写されているのが印象的だった。被写体の方との関係性も含めてその人にしか撮れないものだと思わされたし、そういった魅力的な写真を撮れるのは尊敬してしまう。


その後は「もしお時間があれば」と誘っていただき、店に飾られていた絵を描いているうららさんという方の展示を見にコザまで行くことに。特に予定も決めていなかったし飾っていた絵も素敵なものだったのでありがたくお誘いに乗らせてもらった。出会って間もない中でそこまで誘っていただいて嬉しかったし、人に対する間口の広いオープンマインドな方なんだなと思った。
ゆいレールと高速バスを乗り継いでコザまで向かうが、その間はゴウさんと話したり話さなかったりしながら過ごし、ゆったりとのどかな時間を過ごした。その道中で、私はインスタやZINEに載せたる写真に「これは使わない」と決めている小さなこだわりがあるのだが、ゴウさんに「こういう写真って撮らないんですか」と正に指摘してもらえたことが印象的で、見てくれているんだなと思って嬉しかった。

コザにて展示会場に着き、うららさんに挨拶させてもらうがとても明るくポジティブな雰囲気をまとった方だった(その際、ゴウさんはスマートに私のことを「友達の(私)です」とうららさんに紹介してくれていた)。うららさんの作品はどれも独自の鮮やかな色使いで描かれており美しかった。その中でも説明書きがなく抽象的な絵だったけれども、書かれている内容が何故だかまっすぐ伝わってくる絵が一枚あってしばらく前で眺めていた。比べるのもおこがましいが、子どものお絵描き教室を通じて自分の想像力のなさに落胆した後だったので、ゼロからこういった絵を描けることを尊敬した。
また別の絵をゴウさんとうららさんと囲んで見ていた時、うららさんが「この絵は誰にでも見てもらえる場所に飾ってもらいたい」と仰っていたのに対して、ゴウさんは「どこかお店とかにおいてもらえたらいいですね。実際、ボンボにも飾っている絵を見て(私)も来てくれたことだし」と答えていたのをよく覚えている。本当にどこかいい場所に飾ってもらえたらいいなと思ったし、ボンボのようにお店として場所が存在することの重要性を思った。わたしのZINEだってボンボに置いてもらっているからこそ、見知らぬ人まで届く可能性があるのだ。
↑うららさんのアカウント
会場にはゴウさんの友達でもあり、音楽を作っているポールさんという方がうららさんのお手伝いをしていたので挨拶させてもらったが、ポールさんもめちゃくちゃナイスガイだった。話していると自然と笑顔になるような方で、ポールさんとゴウさんと私の三人で撮ってもらった写真の私がとてもいい笑顔をしていた。いい波長をもっている人には素敵な友達が集まるんだなということを感じた。
↑ポールさんのアルバム
コザでゴウさんにタコス屋などを案内してもらい、同じようにバスとゆいレールを乗り継いで那覇に戻った。





那覇に戻ったのは日が暮れる頃だったが、最後にその日ボンボの店番をされていたゴウさんのお父さんに挨拶をして、ゴウさんとはお別れした。今朝までは想像していなかった一日を過ごし、素敵な出会いもあった充足感とともに宿に戻った。
某日
前の日は結局宿に戻ってから夕食を食べに出かけ、再度宿に戻ったがすんなりと寝ることが出来ず夜中に飲みに出かけたため、その日起きたのは11時だった。午前中のうちにバスに乗って海を見に行こうかと思っていたが全然ダメだった。それどころかめちゃくちゃ雨が降っている。昨日までは晴れてたのに。どのみち海なんて行けなかったのか…と思い、浮島のアーケードのある商店街を散歩する。
まずは牧志公設市場の向かいにある古本屋ウララという店へ。沖縄関連書籍を多く取り扱っており、そこから子どもへのお土産に絵本を購入。海と星空が綺麗に書かれた絵本だと思って買ったが、帰ってから気が付いたがそれは歌手のCoccoさんによるものだった。
他には店主の方が書かれた、この本屋が立地している市場本通りにかかるアーケードの再整備にまつわる「アーケードの本」などを購入。牧志公設市場の建て替え工事に伴って一度はアーケードが撤去されたが、それを市民団体が中心となって2024年8月に再整備したということ。市場本通りではウララさんを含めたほぼ全てのお店が道にはみ出して商品を陳列しているがそんな商店街にとって沖縄の強い日差しを遮ってくれるアーケードは絶対に必要だろうし、実際に今日私も雨をしのいでアーケードの下を歩いてきたので助けられている。


購入した本を持ってアーケードの下を歩き、カーサムーチー(沖縄の伝統的な餅)やブルーシールアイスを食べたりして雨が止むのを待つがなかなか止まず。歩き疲れたのでハイカラ堂という足つぼマッサージの店に入る。店主の方に昨日希望が丘公園で桜を見たという話をしたら、与儀公園というところが桜キレイですよと教えてもらったりする。すっきりして店を出て、店主の方の自然な会話が素晴らしかったなと思っていたら、同様のことがGoogle Mapのレビューに多数書かれていた。おすすめです。
その後もA&Wへ行ったりお土産を見たりして過ごしたが、土産物屋では最近大人の真似をしてスマホで遊ぶ子どもに「ハイサイフォン」というおもちゃのケータイを購入した(無事喜んでもらえました)。

気付けば16時になり、まだ曇っていたが雨は止んできていた。ここで、翌日は昼の飛行機で帰る予定なので海を見に行けるのは日没までの今のタイミングしかないと思い、美らSUNビーチ行きのバスに乗り込む。前回沖縄に来た時に見た海の景色が忘れられず、やっぱり見たいと思ったのだった。晴れてくれればいいのだが…50分程揺られて到着したところ、相変わらずの曇りと小雨だった。
傘を差しながらビーチへ向かう。こちら側は雨が降っているが、日の沈む方向はかろうじて雲の隙間から夕陽が覗いており、西日が差し込んでいた。雨が降っていようが海は変わらずきれいだった。以前、9月に来た時には海水浴をする人、砂浜で走りこむ近所の中学生、BBQ場で賑やかに過ごす人、三線の練習をする人など様々な人がいたが、今は同じ時間帯なのにも関わらず誰もいなかった。心細い気持ちで西日が海面を色付けるの眺めていた。傘に降る雨音を聞きながら。


思い返せば、この旅では前回来た時よりもいい写真が多く撮れなかった。それは前回が沖縄に相応しい夏で、今回が(春も近かったが)冬ということもあるだろうが、自分の中で旅先の新鮮な見え方が今回は失われてしまったということが大きいのだと思う。複数来ていたらそれは当然だろう。違う場所に行けばいいんだろうが、やっぱり前回行ってよかったところはまた行きたくなる。実際、美らSUNビーチだって来たのは2回目だし。次に一人旅する機会があった時はまた違うところに行きたいなと思う。もちろん今回できたボンボとのご縁も大切にしたいが、今度は沖縄ではない場所にも行きたい。
ビーチを後にしてバスの時間までしばらく時間が空いていたのですぐ近くにあるイーアス沖縄豊崎というショッピングモールに入ると、スーパーで買い物する人や学校終わりの学生、退屈そうなアパレルの店などがそこにはあった。さっきまであんなにキレイな海を眺めていたのにと不思議な気持ちになったが、遠く離れた場所にあるが見慣れたその景色に少しホッとした。そして、この日2回目のA&Wに入りルートビアフロートを飲んだ。めちゃくちゃうまかった。





バスに乗って那覇に戻ると、20時の閉店まで15分だけ時間があったのでGood Music Recordsというレコード屋に駆け込む。オールジャンルのレコードが並べられておりとても15分では見切れなかったが、謎の使命感で一枚LPを購入。旅先のレコード屋ではとりあえず一枚はレコードを買ってしまう。

宿に戻り風呂に入り、一息をついた時には22時頃。寝るにはまだ早いので飲みに出かける。
昨年HOMEが希望が丘公園で飲食やアパレル、雑貨などのお店に出店してもらい、バンドもアコースティックライブをするというイベントを開催したのをインスタで見ていたが、そこに出店していたバーをGoogl Mapにピンしていたのを思い出してそのお店へ向かう。ご夫妻でされていたが旦那さんが尼崎出身ということで、昔尼崎でバイトしていたということを話すと隣に座ってらした常連さんがそのバイト先が入っているショッピングモールにこの前行ったと仰っており、びっくりした。沖縄でまさかそんなローカルな話をすることになるとは。また、HOMEと折坂さんを見たということを話したりしていたら、HOMEのボーカルの方が飲みに来て少し話させて頂いたりもした。事細かに夜の話を書くのは無粋だが、沖縄での最後の夜を楽しく過ごさせてもらった。

某日
この日は12時台の飛行機に乗る予定なので、前日のように起きたら11時ということのないように目覚ましで7時に起床。足ツボマッサージ屋で教えてもらった与儀公園まで散歩し、コーヒーを飲みチェックアウト。この旅での出来事を反芻して名残惜しく空港に向かったが、この日は特に書き留めておくようなこともなくあっさり那覇から飛び立つ。





家族から離れて一人の時間を過ごし、やっぱりこういう時間は大切だよなとしみじみ感じていたが、神戸空港に降りるとパートナーと子どもが迎えに来てくれていた。ありがたい。
引き続き父親業をやりながらまたどこか旅できたらいいなと思う。
