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嘘をつきすぎた男

そいつは笑顔がかわいいやつだった。話がうまいやつだった。女にモテるやつだった。酒がたくさん飲めるやつだった。そして、嘘つきだった。

もう何年も前に、高円寺のある飲み屋に通うようになった時の話だ。その店は7、8人も入れば満員になるようなところで、来る客のほとんどが常連。料理の味はそこそこで、それほど安くもないんだけど、とにかく喋って笑って時間を潰したい人たちがいつもいる、中央線にありがちな店だ。その店に、俺は新参者としてふらっと入った。今となってはなんで足を踏み入れたのか覚えていない。たぶん酔っていたんだと思う。入ってすぐは内輪の会話に若干戸惑ったが、常連や店主がよくしてくれたこともあって、何度か通うようになり、俺は次第にその店の端くれに席を占めるようになった。

そこで出会ったのがトモキ(仮名)だった。三十代から四十代がほとんどを占める常連の中で、二十代半ばのトモキは飛び抜けて若かった。若いだけではなくて、愛嬌があって、話しが面白くて、調子がよくて、女にモテた。第一印象は人懐っこい猫。どこのコミュニティにもいる「生意気な後輩」で、年上に舐めた態度を取ってても可愛がられているような奴だった。

新参の俺に対してもあっという間に馴れ馴れしい態度を取ってきたが、それは決していやな感じではない。むしろトモキをきっかけに他の常連とも会話を交わすようになって馴染めたので、ありがたいくらいだった。

トモキはほとんど毎日のようにその酒場にいた。早い時間にいることもあれば、遅い時間にかなり酔っぱらって現れることもあった。ちゃんと働いてるのかと思ったが、別の人と今日は足場を組んでどうこうとか話をしていたし、作業着で飲みに来ていることもあったので、現場系の仕事なのだろうと思って、特に気にしなかった。中央線の飲み屋は何をやっているのかわからない人間で溢れ返っていて、1年以上顔を合わせてるのに何の仕事をしているのか、何歳なのか、そもそも本名さえも知らない場合はざらにある。あえてそれを聞くのは野暮というものだった。

「この前、ウーロンハイ100杯飲んできたんすよー」

トモキは飲みながら、こんな与太話を言ってくるような奴だった。どこの飲み屋でも、真偽が不明な話が飛び交うことはよくあることだ。1日でウーロンハイを100杯飲むことは、おそらく人間には無理だろう。10杯でも結構な量だが、できないことではない。ただ、その10杯を飲んだ話を目一杯膨らませることはある。それが20杯になるか100杯になるかは、その人の匙加減次第だ。

飲み屋では大なり小なりそういうことが毎夜行われている。自分も膨らませたことはあるし、人の盛った話を聞いたこともある。酔っぱらいに殴られて目に青あざを作っていた奴が、新しい常連が店に来るたびに話を盛っていき、最終的には「酔っぱらいが殴ってきたのを避けて、腕を掴んで関節技をかけ、相手の肩を外して逃げた」という話に発展していったことがある。じゃあ、お前のその青あざはどうやってできたんだよ。

トモキは酒場の「盛り」が強めの男だった。カブトムシを200匹育てていて、それを売って小遣いを稼いでる。アメリカに留学していた時に向こうのカーレースにドライバーとして出て100万円稼いだ。100人の女と寝たけど、全部相手からの逆ナンだった。毎日腕立て500回してる。ヤクザの事務所の内装の仕事をしたら、支払いとは別に小遣いで200万円もらった。

「ぼくの話、いつか本にしてくださいよ」

トモキは冗談交じりに俺に何度もそう言っていた。はいはい、と俺はいつも流していた。ホラだということを知っていたからだ。カブトムシは100匹になったり400匹になったりしたし、100人の女は500人に増えたりもした。だいたい盛るのが100個単位というのが、大雑把な感じが出ていてよかった。

他の常連客もトモキからそういう話を聞いていたが、真偽を正すようなことは誰もしなかった。面白かったからだ。トモキは抜群に話がうまかった。よく考えたらたいした内容ではなくても、話の持っていき方や、表情、間の取り方が絶妙で、初めて聞く人はたいてい笑った。俺が同じ話をしても、もっと受けが悪いだろう。げらげら笑えれば、ある程度の「盛り」は酒場では正義。だから、「またなんか言ってるよ」くらいの感じで、トモキのホラは流された。

もちろん、トモキは始終そういう話をしていたわけでもなかった。他の常連が真剣な話をしている時にはちゃんと神妙に話を聞いて頷いていたし、必要であれば黙ることもできた。また、自分の家族の些細なことを照れながら話すこともあった。トモキは妻子持ちだった。生まれたばかりの子どもを溺愛していて、スマホの待ち受けはその子の写真だった。目鼻立ちのくっきりした、かわいい子だった。

「いっしょに風呂入ってると、笑ってかわいいんすよね」

そう言いながらはにかんで笑った顔は、普段は見せない、実にいい顔だった。そのせいで、ふと頭に浮かんだ「こんなに飲み歩いてていつ風呂に入れてるんだろう?」という疑問は飲み込んだ。

しばらくして、トモキは姿を消した。毎日のように通っていたのが徐々に来店する間隔が空き、やがて全く店に来なくなったのだ。何があったのかと常連たちは噂し合ったが、トモキから事情を聞いている人は1人もいない。何人かはLINEに連絡を送ってみたが、反応はない。「何かあったんじゃないのか」とトモキを特にかわいがっていた常連の一部は心配そうだったが、LINEが既読になっている以上、大人が大人に対してそれ以上できることは少ない。だんだんと会話に出てくる回数も減り、トモキがいない空間に慣れていった。

「トモキ、何やってるんだろうなあ」

すっかり話題に上らなくなった頃、常連の1人が急に思い出したかのようにトモキのことを口にした。トモキを一番かわいがっていた、50代後半のおっさんだ。それがきっかけでトモキのことをみんなで話していると、1人の客が「それって、トモキのことですか? カネダトモキ。あの、俺と同い年くらいの」と会話に参加してきたのだ。彼は何度かこの店で見かけた痩せて背の高い男で、金色に髪を染めた今風の若者だった。

「クソ嘘つき野郎ですよね」

その金髪の若者はそう言い放つと、何がおかしいのか1人でげらげらと大声で笑い出した。嘘つき、という強い言葉に一瞬ぎょっとしたが、トモキの盛り癖を思い出すと、納得がいった。

それまで常連の話を聞いているだけだった若者は、堰を切ったようにトモキの話をした。金髪の若者は高円寺の別の店でトモキと知り合ったそうだ。話の内容は、その若者が通っている店でトモキがついていた嘘のことだった。嘘の一部は俺たちも知っているものだったが。しかし、自衛隊に2年いたとか、パチンコで200万円買ったとか、ヤクザに気に入られて500万の車をもらった、とか聞いたことのない話もあった。そして、数ヶ月その店に入り浸って散々嘘をつき、その嘘の辻褄が合わなくなると消えたそうだ。

「なんか、その前の店でもそういう消え方したらしいすね」

話を聞いて、常連の中には「あー、俺も怪しいと思ってたんだよね」と言う人がいて、みんなが同調した。その人だけでなくて、みんなが口に出さないまでもトモキの話を嘘だと知っていたからだ。トモキが吹くホラをみんなで楽しんで、それで特に問題はなかった。どちらも納得ずくの出来レースみたいなものなのに、なぜ消えたのだろうか。みんなが不思議がっていた。

「え? 子ども? いや、いないはずっすよ。そもそも結婚してないし。いや、マジっす、俺のツレがあいつと同じ高校なんで」

しかし、他の常連と話していた金髪の若者がそう言うと、その和やかな雰囲気が変わった。 え? 結婚してないの? なにそれ!? と女性の1人が素っ頓狂な声を上げる。じゃあ、あの子どもの写真は誰、俺は嫁さんの写真見せてもらった、とそれぞれが大声を上げ、店内は騒然となった。その騒ぎの中で、金髪の男は苦笑していた。

結局、トモキが言っていたなにもかもが嘘だということがわかった。妻子がいる→そもそも結婚してない、土建業で働いてる→たまたまちょっと知り合いを手伝っただけで無職、留学経験→日本を出たことがない、地方出身→東京生まれ東京育ち、などなど。あげればキリがないほどだった。もしかしたら名前も本当だったかどうか定かではない。

「なんでそんな嘘ついたのかなあ」

トモキと一番くらいに仲が良かった女性の常連客は、ため息をつきながらそう言っていた。なぜそうやって自分を大きく見せたかったのか、大きく見せてどうしたかったのか、すぐにバレることはわかりそうなものなのになんでそんな嘘をついたのか。誰もその理由はわからなかった。たぶんトモキにもわかっていなかったのだろう。その店は、それからしばらくして業態変更によって閉店した。そこの常連とは、一部を除いてほとんど会うこともなくなった。

数ヶ月後、冬の寒い日の昼間に中野の北のほうを1人で歩いていると、偶然トモキに出会った。トモキの髪の色は青くなっていた。ほとんど顔は思い出せなかったが、会えばすぐにトモキだとわかった。トモキは一瞬「あ」と言って真顔になった後に、すぐに笑顔で話しかけてきた。

「いやー、昨日の夜テキーラ10杯飲んで気絶しちゃって」

元気にしてたか尋ねると、また例のノリで盛った話を聞かせてきた。俺もにこにこ笑いながら、その話に相槌を打つ。相変わらず、トモキの話術は抜群だった。リズム感よく話を進められると、腕のいいマッサージ師に肩を揉まれたように気持ちがいい。顔も自然と緩み、リアクションもオーバーになる。話を聞きながら、トモキはまだ嘘をついているんだろうな、と思った。今はどこの店にいるのかわからないけど、そこからもいずれ消えるんだろう。

「本、書いてくださいよ、俺の本」

そう言って、トモキは手を振って去っていった。それがトモキに会った最後だった。もう会うことはないような気がしたし、それでいいと思った。

トモキは本を書いて欲しいと俺に何度も言っていた。だから、俺は文章に書いてみることにした。お前が誰だかわからないけど、書いたらもしかしたら誰かわかるようになるかもしれないと思ったからだ。でも、書いたら余計にわからなくなった。なあ、トモキ、一体、お前は誰だったんだ?

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