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ブゴニア 感想

ランティモス監督の作品は本当に苦手なんです。

「女王陛下のお気に入り」の性グロ描写がキツすぎて、今思い出しても気分が悪くなるし、「哀れなるものたち」もまだエンタメ寄りだったとはいえ、根幹の不快さは変わらず、正直見ていて辛かった。
なんならエマ・ストーンの顔を見るだけで若干の拒絶反応が出るレベル。

なのに!本作はめちゃくちゃ楽しめた!
SFでもあり、ミステリーであり、コメディであり、サスペンスでもある!
当監督の作品の中で、本作が最も好きな一本となりました!

まず導入。
養蜂を趣味にするテディは、蜂群崩壊症候群の背後に巨大な陰謀があると確信し、従弟ドンを巻き込んで製薬会社CEOミシェルの誘拐を計画する。
妄信は加速し、自らに化学的去勢まで施す。
冒頭からタイトルカットに至るまでのわずか10分で、かなり説得力のある下敷きを敷いてみせる。
もうこの時点でかなり没入していた😂

実質的な主人公はテディ軸で進行する。
彼は、起承転結の転の部分、地下での凄惨な人体(アンドロメダ)実験のシーンに至るまで、一貫して妄信的な狂人として描かれる。

この男、対話の余地が一切ないのも仕掛けとして機能している。
普段は職場で普通に会話できるし社会性もあるのに、陰謀論のスイッチが入った瞬間、人格が切り替わって異常性、暴力性を爆発させる。

背景として、病気の治験で植物人間となった母から陰謀論的な憎しみを刷り込まれていた過去が描かれ、製薬会社=ミシェルに敵対心を抱く、という最低限の共感を誘うプロットも用意されている。
そして本人の中では「世界を救う」という大義と個人的妄念が結びつき、呪いじみたエンジンを積んで爆走する。
悲しい過去を差し引いても、十分に危険な人物造形だが…

その危険人物がミシェルを捕まえた後、いかにも英雄譚の裏で流れてそうな壮大な劇伴を流しながらチャリで滑走するシーンを2〜3回差し込んできて、マジで笑ってしまった😂😂

一方、本作の仕掛けの中心であるミシェルは、約1時間半にわたって被害者に徹する。
対話による意思疎通を図ろうとする彼女に対して、テディは一切耳を貸さない。
拷問(宇宙人検証)も相まって、基本的には気の毒な被害者として映る。

物語の終盤に至るまで、観客は提示された情報の範囲内で、どうしても表層的なジャッジしかできない構造になっている。
社会的地位のあるミシェルと、貧困層のテディ&ドンという対比も効いていて、加害者・被害者を自然とラベリングしてしまう。

だが、この早合点こそが本作最大のフリであり、観客自身がエコーチェンバーの中で判断を固めていく過程を疑似体験させられる。

多様性を尊重し、右に倣う我々への皮肉でもあるだろう。
さらに、月食(真実)が近づくにつれて地球が平面として描かれていくビジュアルも示唆的で、フラットアースを信じる人々と、映画から与えられた情報だけでミシェルを「人間」と判断する観客は、本質的に何が違うのか?
と、嘲笑うように矮小な地球のカットを映し出す。

うーーーーーん!!!!!!!
ムカつく!!!!!!!!!!笑

そして観客の認識を揺さぶる最大の要因は、エマ・ストーンにある。
「もしかして本当にエイリアンなのでは?」という疑念を最後まで残しつつ、同時に被害者としての説得力も自力で補強していく。

極限状態の被害者でありながら、場面によってはただ怯えるだけではなく、主導権を握っている風にも映る。

特に目の演技が強烈で、恐怖に怯えてるようにも、人間を観察している視線にも捉えられる。
強調された瞳と坊主頭のビジュアルも相まって、エイリアンという可能性も捨てきれないのが実の面白い。
※容姿でラベリングしてしまうのは監督の思うツボだが…

だからこそ、彼女は可哀想な被害者にも見えるし、「間違っているのは我々ではないか」とも思わせてくる。
この両義性こそが、本作における演技とテーマの核を担っている。

そして、上記のフリを存分に活かしたラストの宇宙人告白〜テディ爆破までのプロットは痛快で、人類は容赦なく絶滅させられる。

タイトルは、牛の死骸から蜂が生まれるというギリシャの古い信仰らしいが、ラストで人間が滅びた後、蜜蜂のアップのカットが差し込まれる。
人類が消えたあとに蜂が戻る描写があるので、地球は再生する・循環させる、ということなのだろうか。

対話の余地がない人類に対し、動物は生かし、人間は殺す。
そんな裁定をもう一度下す宇宙人皇帝様、ひいてはランティモス様からの、身も蓋もないリセット宣言みたいなラストだった。

従弟のドンくん、ピクサーの「星つなぎのエリオ」の主人公と思想が似通ってて胸が痛くなる。
テディみたいな兄がいたら、エリオもドンのような人生を辿ってただろうな。

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