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私が海外展示会に通い続けるのは、未来予想図を判断材料に変えたいからだ

未来は、ニュースになったころには、もう少し古くなっていることがある。日本でようやく議論が始まる技術を、海外の展示会ではその前から、当たり前の顔で並べている場面を何度も見てきた。

私は新機能を見に行っているのではない。CESやMWCロサンゼルスで見ているのは、どの技術が次に勝つかではなく、どの空気がもう戻らないかである。

会場を歩くと、説明より先に混雑が教えてくれることがある。人が集まる場所には理由があり、その理由はたいてい、日本で言葉になるより少し早く動き始めている。


日本だけ少し遅れて、波の名前を知る

生成AIの活用率を眺めていても、日本はまだ慎重で、立ち上がりが遅い国に映ることがある。海外では仕事の道具として根を張り始めたものが、日本では試験導入の段階にとどまりやすい。

これは生成AIだけの話ではなく、新しい技術が広がるたびに繰り返されてきた風景でもある。向こうで先に仕事へ入り、日本では少し遅れて言葉になり、ようやく理解されたような顔をする。

会議室では慎重な言葉が並ぶのに、外へ出ると、もう誰かがその技術で実績を作り始めている。日本が遅れているというより、波の名前を知ってから泳ぎ方を考える癖が抜けにくいのかもしれない。

気づいたときには、海外ではすでに実績が積み上がり、語り方まで整っていることが珍しくない。そのころ日本では、導入するべきかどうかを、ようやく会議室で話し始めていたりする。

会場には、2年後の空気が先に置かれている

だから私にとって海外の展示会は、製品を見に行く場というより、未来予想図を見に行く場に近い。CESは技術全体のうねりが一度に見える場所であり、MWCロサンゼルスは通信を起点に次の常識を読む場所だった。

CESでは、暮らしに入り込む直前の技術が、まだ熱を帯びたまま並んでいることが多い。MWCロサンゼルスでは、その技術が接続やネットワークの上で、どう社会実装へ向かうかが見えやすかった。

同じ未来でも、展示会が違えば、見える断面も少しずつ変わってくるのだと思う。片方では夢の輪郭が見え、もう片方では、その夢を現実へ渡すための配線が見えてくる。

パンフレットや登壇資料だけでは分からないことが、展示会の床にはたくさん落ちている。説明員の忙しさ、質問の濃さ、商談席の埋まり方に、その技術が持つ温度が静かに表れる。

新しいものは、機能表の上ではどれも魅力的で、だいたい似た顔をして見えることがある。けれど現場では、話題で終わるものと、必要へ変わるものの差が、混雑としてはっきり現れる。

1度見ただけでは、未来はまだ読めない

ただ、海外の展示会は1度や2度行っただけで、分かった気になる場所でもないと思っている。大事なのは、自分の読みが翌年にどう当たり、どう外れたかを確かめることのほうである。

同じ展示会を毎年見ると、去年は飾りのようだった技術が、今年は商談の中心へ移っていることがある。逆に、あれほど目立っていたのに、1年後には静かに消えているものも少なくない。

定点観察とは、単に新機能を追いかけることではなく、熱の移動を見続けることだと思う。どのブースに人が集まり、どこで足が止まり、何に時間が使われるかに、市場の本音がにじみ出る。

機能の説明はよどみなくても、ブースの前に人がいなければ、その未来はまだ遠いのだと思う。反対に、説明が粗くても人が群がっているなら、時代はそちらへ体を向け始めている。

そこで初めて、自分の感覚がただの期待だったのか、それとも潮目を読めていたのかが分かってくる。未来予想図の解像度は、1回の感動より、同じ景色を何年も見比べたあとに上がっていく。

難しいのは、見えた未来を社内へ持ち帰ること

未来予想図の解像度を上げること自体は、実はそこまで難しいことではないのかもしれない。歩いて、見て、聞いて、記録すれば、ある程度の輪郭までは誰でも持ち帰ることができる。

本当に難しいのは、そのあと社内で、見えた景色を動く理由へ変えていくところにある。戻ってすぐに、まだ早い、前例がない、失敗できないという声が、未来より先に立ち上がることがある。

そうした言葉は慎重さとしては正しくても、ときに機会を遠ざける力にもなってしまう。私は、難しいのは未来予想図の精度より、社内の抵抗勢力に勝つことだと何度も感じてきた。

展示会では誰もが未来の話を聞いているのに、社内へ戻ると急に今日の都合だけが強くなる。見えてきた変化を試す理由へ変え、実績の種として持ち帰るには、思った以上に体力が要る。

早く始めた人だけが、説明ではなく実例を持てる

それでも新しい技術は、早めに始めた側へ、静かな追い風を残すことが多いように思う。先に動いた人には、経験が残り、試行錯誤が残り、やがて実績として積み上がっていく。

後から追いかける側は、まず追いつくために時間を使い、そのぶん視界が近くなりやすい。先に始めた側は、そのあいだに2つ目、3つ目の事例を増やし、自分たちの言葉で語れるようになる。

市場では、その差があとからじわじわ効いてきて、印象の差に変わっていくことがある。詳しい会社として覚えられるのは、最初に完璧だった会社より、最初に動いていた会社だったりする。

未来は、見た人より持ち帰った人に近づく

だから私は、海外の展示会をただ見学する場ではなく、判断材料を拾う場として見ている。CESもMWCロサンゼルスも、見て終わる場所ではなく、持ち帰って戦うための場所だった。

未来は、遠くで光っているあいだは、まだ他人事として眺めていられるのだと思う。けれど一度その輪郭を見てしまうと、見なかったころと同じ判断には、なかなか戻れなくなる。

展示会で見た景色は、情報として覚えているだけでは、ただの見聞で終わってしまう。けれど持ち帰って意思決定に変わった瞬間に、その景色はようやく自分たちの時間に入り始める。

展示会で見た景色は、案外その場ではなく、戻ってからの判断で未来になるのかもしれない。

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