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【本文無料】モンテヴェルディの森を訪う①(読了約8分)

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モンテヴェルディと聞いてピンと来る人は、多分ルネサンスの音楽にいくらか興味がある人だろうと思います(1.)。バロック音楽という言葉を聴いて、それ以前にもルネサンス音楽があるらしい、という人なら知っている人もいるかもしれないですね。シンフォニー以前の、ポリフォニー(多声音楽)を特徴とするルネサンス音楽の雰囲気が、モンテヴェルディでは大いに洗練されて、完成形をみたと言っても過言ではないのではないかと思います。

ジョスカン・ドゥ・プレ、パレストリーナ、シュッツ、パーセルとルネサンスからバロックの流れを思い描いたときに、素晴らしい作曲家はもちろん多くいるはずで、ジェズアルドのような先駆的な音楽的試みがあったことも音楽史的には重要なはずですが、そのなかでもモンテヴェルディは僕にとって特別に感じられるのです。モンテヴェルディがいかに特別な作曲家であるかを論じることは僕の力に余るのですが、最近面白い冊子に出会ったので、この機会に紹介したいと思いました。

  1. 歌を習っている人であれば、イタリア歌曲を練習すると思います。僕も歌を習っていた時期があり、その時モンテヴェルディの”Lasciatemi morire”という歌を練習しました。なので、歌を習ったことのある人もモンテヴェルディの名前は知っているかもしれません。

Les 1001 voyages de Claudio Monteverdi (Les arts florissants, Paul Agnew)

つい先日、ブックCDを購入しました。モンテヴェルディに関する物語が、音楽とともに語られる『クラウディオ・モンテヴェルディの辿る1001の旅』というものです。音楽を志す少年カルロが、導きを求めてモンテヴェルディのもとに来、その出会いを通して成長する物語です。アマゾンMusicで購入して、ブックレットのpdfを入手しました。以下のページから購入できます。音声と音楽だけであればSpotifyなどの配信サービスでも聞け、僕自身それで興味を持ったのですが、挿絵や文字がないために、内容を理解するのが難しくなってしまいますので、今回購入に至りました。

以下ブックレットの記述に従ってモンテヴェルディの紹介をしてみます。

モンテヴェルディの生涯~教会にはポリフォニーを、劇場にはモノディーを~

1567年、クラウディオはイタリアのクレモナに誕生します。クレモナはアルプス山脈のイタリア側の麓にあり、ヴィオリン名器を産み出すStradivariやGuarneriといった家系で有名です。

クラウディオはIngegneriに弟子入りして音楽を学び、とりわけ歌と作曲に取り組んだとされています。若干15歳にして『Sacrae Cantiunculae/聖なる小歌品集』をヴェネツィアで出版し、1587年20歳で『マドリガル第1書』、3年後には『第2書』を出版します。1591年23歳でマントヴァ公爵の庇護下に入り、歌手、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者として音楽家のキャリアをスタートさせます。

1600年代初頭オペラ創成期には、オペラ『オルフェオ』(1607)をものし、教会音楽として『Vespro della Beata Vergine/聖母マリアの夕べの祈り』(1610)、マドリガル歌集3,4,5と代表曲を作曲していきます。ここで一度引退し、故郷に帰ったようですが、1613年にはヴェネツィア共和国の招きでサンマルコ教会の音楽教師として招かれ、その才能が広く知られることになりました。

この環境でクラウディオは晩年に、マドリガル歌集6,7,8を出版し、1640年に記念碑的作品である『Selva morale e spirituale/道徳的・聖霊的な森』(1.)を発表し、オペラ『ウリッセの祖国への帰還』(1640)『ポッペーアの戴冠』(1642)はオペラ創成期におけるランドマークとなりました。

  1. 「森」とあるのは、多種多様な方向性の音楽を詰め込んだ様を比喩的に表現したもののようです。森Silva, Selvaとは材料としての木材の宝庫であり、豊穣の象徴です。そのため、アンソロジーであったり、多様な小品をまとめた作品に「森」と名付ける用法は同時代の他の芸術家にもみられたようです。そして実際後年の作曲家達は、モンテヴェルディの森に入り込み、自身の道を模索したのです。

モンテヴェルディは教会音楽、オペラ音楽と、聖・俗どちらの領域においても音楽を開拓したと考えられ、彼の中ではPrima prattica第一の語法(ポリフォニー形式。響きの美しさを重視した宗教音楽向き)、Seconda prattica第二の語法(モノディー形式。感情表現に適した劇場音楽向き)と整理されていたようですが、それでも越境はあったようです。失われたオペラ『Ariannaアリアンナ』の代表アリア「どうぞ私を死なせてLasciatemi morire」はアリアとしてはモノディー、マドリガル歌集に取り上げられたらポリフォニー形式となっており、歌詞を宗教的なものに変えて『道徳的・聖霊的な森』の1曲として「聖母の涙」となったときには、神の子イエスが磔刑により絶命した十字架の傍らで嘆く聖母マリアの感情を表現するためかモノディー形式で歌われています。聴き比べてみたい方には以下にオペラ版、マドリガル版、宗教曲版、と並べてあります。

モンテヴェルディの森に踏み入った杣人たち

モンテヴェルディのLasciatemi morireに代表されるような嘆きの場面は、劇場というかりそめの空間に、真に迫る緊迫した情景を作り出すことに成功し、人々は大きく心を動かされ、心ある女性なら涙を流さぬものなどいないと言われるほどでした(1.)。モンテヴェルディの音楽の森に分け入った音楽家たちは数多くあり、Pergolesiの「Stabat mater dolorosa/母は悲しみに立ち尽くす」に描かれる聖母マリアの歎きにも、Wagner『トリスタンとイゾルデ』に歌われるLiebestod/愛の死の場面にも、その反響を見出すことはできるでしょう(2.)。そもそもオペラにおいて、登場人物の心情を情感たっぷりに吐露するアリアという様式を説得力をもって提示したのがMonteverdiだったと考えられるのです。(動画はPergolesiのStabat Mater演奏ですが、傑出したカウンターテナーの一人であるPhilippe Jarousskyと、バロックやルネサンスなどのEarly musicを多くレパートリーに持つEmöke Barathによるもの。PergolesiのStabat Materは情感豊かであり、それゆえ不謹慎なまでの官能性があります。悲嘆と恍惚の矛盾するコントラストはミケランジェロのピエタ像にもみることができるかもしれません)

  1. Suzanne G. Cusick, ‘There was not one lady who failed to shed a tear’: Arianna's lament and the construction of modern womanhood, Early Music, Volume XXII, Issue 1, February 1994, Pages 21–44, https://doi.org/10.1093/earlyj/XXII.1.21

  2. Ringer, Mark (2006). Opera's First Master: The Musical Dramas of Claudio Monteverdi. Newark, New Jersey: Amadeus Press.

モンテヴェルディは森、とそう言いました。森にある1000の杣道。そこに新たに一つ道を歩む杣人がまた現れる。それこそがブックレットのタイトルにある「1001の旅」の意味なのではないかとふと思いました。過去の偉大な先人と出会い、導かれ、新たな道を行く。ダンテ『新曲』でダンテがヴェルジリオ(ウェルギリウス)に導かれ進むように。ダンテはヴェルジリオに手を引かれ、地獄を案内され、煉獄を進み、かつての初恋麗しいベアトリーチェに天国に導かれ、もっとも美しい聖母マリア、イエスへと至るのでした。ここに恋愛という、最も個人的な人間関係が現れるのは僕には示唆的と思えます。聖なるものは俗なるものと無関係ではありえないのではないか、と。

結び

読んでいただきありがとうございました!よろしければいいね!とフォローの方もよろしくお願いいたします!
少年カルロの道行きはどうであったのか?そこまで今回書ききれませんでした!次回に続くということで!
なお、後書の部分を有料部分とさせていただきました。応援してもいいなという方は投げ銭よろしくお願いいたします。

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