入院日記 | 08.06 | はっきりとは書けないこと
生きていて、どんな人と関わり合うかってわからない。何を考えているのか、何が好きなのか、何が趣味なのか、何が嫌いなのか、話してみないとぜーんぜんわからない。人と関わることは「ジャーナリング(手帳に思うことを書いてするやつ)」に似てるなって思った。今日の友人たちとのやりとりのなかでそう思った。
誰かが言葉に出来ないことを誰かが言葉にしたり、否したりして、迷いを解決したり、後ろ向きな考えを前向きに修正したりして支え合う、みたいな。改めて読み返すと、女子高生みたいな生きかただ。でもポジティブに前に進めるなら、女子高生でもゴリラでもどんな生きかたでもいいじゃんね。
お互いを知ってしまったからにはそうやって生きていってもいいんじゃないか。

わたし、地震や台風、その他のしつこいニュースって苦手でなるべく見ないようにするんだけれど、それはある意味自分を守ることになるし構わないって思っている(申し訳ないけども)。今回の地震もわたしのようなこんなひとりの人間が出来ることはほとんどない。産地のお野菜を買って食べるとか、名物のものを食べるとか、そうやって繋がりそうなことをしたいなとは感じる。大きな企業が大きな声で「こんなことしてますよ」っていうのはいいことなのだろうか。よくわからない。小さなひとり(と、自分で自分を小さいものと認めてしまうのもどうだのだろう)ができることってなんだろうって、いつもこういうことがある度に感じる。「いつもどおりに過ごす」というのも支援のうちに入るんじゃないかと勝手に思ってる。
