なぜ地方競馬の重賞はG1ではなく"Jpn1"なのか?
筆者はDMMバヌーシーで3頭の一口馬主であり、クラブからのレース登録通知を日常的に受け取っている。ある日、出走予定一覧を眺めていて、表記の一つに目が止まった。「JpnⅠ」「JpnⅡ」という記載だ。
気にせずに今までは地方競馬に投票していたが、そもそも、なぜ地方競馬の重賞は「G1」ではなく「Jpn1」なのか。一口馬主になってはじめて、この表記の意味を意識することになったわけだ。調べた結果を、産業構造の論点として整理する。
※この記事は生成AIで執筆している。「なぜ?」を掘り下げ、自分自身が学ぶため。
結論|「Jpn」は日本独自格付けという意味
まず結論から述べる。
「Jpn」は日本独自の格付けを示す記号である。国際競馬統括機関連盟(IFHA)が定める基準を満たした国際格付けが「G」。その基準を満たしていない、あるいは外国馬に開放されていないレースに対して日本が独自に付与する格付けが「Jpn」である。
つまり「Jpn1」と「G1」は、レースの実質的なレベル差を表すものではなく、国際制度上の分類の違いを示している。
なぜ2007年に「Jpn」が生まれたか
2006年11月、日本は国際セリ名簿基準書の「パートI国」昇格を発表した。2007年から正式にパートI国となる。競馬主要国の仲間入りを果たした瞬間である。
しかしパートI国には厳格なルールがある。外国馬に開放されていないレースに「G」表記を使ってはならない。
当時、地方競馬のダート重賞のほとんどは外国馬に開放されていなかった。そのままだと全てのG表記が使えなくなる。そこで日本独自に導入された表記が「Jpn」であった。国際ルールに適合しながら、日本国内の格付け秩序を保つための制度設計である。
唯一のG1、東京大賞典の例外性
地方競馬のダートグレード競走のなかで、唯一G1と表記されているのが東京大賞典(大井競馬場、12月末開催)である。
1997年に統一グレード制度の下で南関東G1として格付けされ、2011年に国際競走として開放。同年にIFHAから国際G1として認定された。地方競馬で施行される競走としては初の国際G1である。
大井競馬場には検疫施設が整備されており、外国馬の受け入れ体制が他の地方競馬場より進んでいた。この物理的な条件整備が、G1昇格を可能にした。東京大賞典ができた理由は、他の地方競馬場ができない理由の裏返しでもある。
他の地方競馬場にとってハードルは何か
外国馬を迎えるには、検疫施設、輸送体制、招待費用など多額のコストと設備が必要である。中央競馬(JRA)と比較して、地方競馬場にはこのインフラが不足していた。
もう一つの論点は、早期の国際開放が地元ダート競馬の振興を阻害するリスクである。海外の強力な馬に賞金がさらわれれば、日本のダート競馬市場が育つ前に衰退しかねない。地元の馬を守りながら産業を育てるという保護主義的な側面が、Jpn表記には含まれていた。
ダート三冠整備|2024年の構造転換
2024年、3歳ダート三冠が創設された。過去30年で最大のダート改革である。
羽田盃(大井、4月):南関東SIからJpn1に昇格
東京ダービー(大井、6月):南関東SIからJpn1に昇格
ジャパンダートクラシック(大井、10月):旧ジャパンダートダービー、7月開催から10月に移設・名称変更
三冠全勝には8,000万円のボーナスが設定された。JRAのクラシック三冠に倣った設計である。
この改革の意図は明快だ。JRAのトップ3歳馬を大井競馬場に集める仕組みを作り、レースレベルを押し上げ、将来的にG1昇格を可能にする。JRA所属馬と地方馬が同じ舞台で戦う設計は、ダート競馬産業全体の価値を引き上げる構造転換である。
2028年からJpn段階廃止、2033年に完全国際化
NAR(地方競馬全国協会)は、2028年から段階的に「Jpn」表記の使用を取り止め、2033年にすべてのダートグレード競走を国際競走化する方針を発表している。
つまり「Jpn」という表記は、今後数年をかけて消滅する予定である。
この計画を支える要素は三つある。第一に、国際厩舎(検疫施設)の整備。第二に、賞金額の底上げによる有力馬の参戦インセンティブ。第三に、レーティング基準の達成である。
川崎記念が2024年から4月開催に移行したのも、この文脈である。従来の1〜2月開催では、ドバイワールドカップ(3月末)と時期が被り、有力馬が海外遠征で国内レースを回避していた。4月に移すことで、ドバイから帰国した馬が川崎記念に出走できるローテーションが成立する。
制度改革とカレンダー改革が同時に進行している。
レーティング115の壁
国際G1として認められるための客観基準は、レースレーティングである。
G1:上位4頭のレーティング平均が115以上
G2:同じく110以上
G3:同じく105以上
この基準を、過去3年連続で満たす必要がある。1回の高水準では足りない。
現在の日本ダート界は、この115の壁を超える地力がある。2023年、ウシュバテソーロがドバイワールドカップを制し、1着賞金696万ドル(約9.2億円)を獲得。2025年、フォーエバーヤングがサウジカップ連覇に加え、日本調教馬として初めてブリーダーズカップ・クラシックを制覇。総賞金は45億円を突破し、日本馬歴代1位となった。
フォーエバーヤングは2025年JRA賞年度代表馬にも選出されている。ダートのみを走った馬が年度代表馬となったのは史上初である。
世界最高峰のレーティングを持つ個体が存在することで、彼らが国内のJpn1に出走するだけで、そのレースの平均レーティングは底上げされる。
Jpnからの卒業が意味するもの
Jpn表記がG表記に切り替わるという事象は、単なる名称変更ではない。日本ダート競馬という市場の国際商品化を意味する。
海外の有力馬主・生産者・馬券ファンが、日本のダートレースをG1として認知する。これにより日本馬の市場価値が上がる。セリの落札価格、種牡馬料、一口馬主クラブの募集価値、競馬メディアの国際展開価値。すべてに波及する。
JRAのダート体系改革、地方競馬のJpn廃止計画、日本馬のサウジ・ドバイ・アメリカでの勝利。この三つの変数が同時に走っている現在、日本ダート競馬は「ローカル産業」から「国際商品」への移行期にある。
まとめ
「Jpn」は、日本が国際ルールに適応する過程で生まれた過渡期の記号である。
2007年にパートI国となった時、日本競馬は国際秩序の一員として振る舞うことを選んだ。しかし地方競馬のインフラと国内市場の保護を考えると、すぐには全面開放できなかった。この折衷案が「Jpn」であった。
それから約20年。日本馬は世界のダートG1で連戦連勝し、検疫施設の整備が進み、ダート三冠という新しい舞台も整った。Jpnが果たすべき役目は、もうすぐ終わる。
数年後、地方競馬の重賞一覧からJpn1は消え、G1が並ぶ。その瞬間は、日本競馬の産業構造が国際商品として完成する転換点になるであろう。
