世界一周記録*台北時間③汗だくになりながら、自由広場を歩いた日
台湾時間は今回で最後・・・(じゃなかったー!)
市内観光です。
国立中正紀念堂
市内中心部の街の喧騒とは打って変わって、静かということではないけれど、人間が小さく見える、本当に広い空間でした。町中は大きなビルに挟まれて、ビルが大きいのか分からないくらい密集していたので、ここでは建物の大きさや細部まで見ることができ、わくわくする場所でした。

この記事のトップ画像で分かるように、門の前に広場があり、写真で伝わるか分かりませんが、それぞれの建物までの移動が、炎天下の中なので普通以上に遠く大変でした。遮るモノがないので、太陽の光は一直線、てやつですね。世界一周1国目だったので、日本の慣れでマスクしていることもちょいちょいあった気もしますが、暑すぎて一瞬でマスクを外した覚えがあります。
余談ですが、紀念堂の表記、記念の使い方として日本では『記念』が正しい表記ですが、台湾や中国の「中国語(華語)」では『紀念』と書くのが一般的だそうで、固有名詞としては『国立中正紀念堂』となるそうです。
同じではないけれど、センターという英語がアメリカ英語だとcenterでイギリス英語だとcentreで綴りが微妙に違うものだと、もしかしたら中学時代に習ったことがあるような無いような、全く知らなかったくらい忘れてた?ことで、日本の外に出て漢字や英語の表記で「???」となることがあるので、まだまだ知らない・忘れている知識が多いです。まあもともと知識人ではないので、すべてが新鮮で学ぶことしかないですが笑
暑すぎて買った自販のジャスミン茶。日本人の感覚で買うと衝撃を受けます。海外慣れている人はご存じかと思いますが、冷たいお茶は基本甘いモノが多いです。あの清々しいジャスミンティーを期待して飲んでしまうと吹き出す可能性も笑 昔行ったイギリスやインドでも経験したはずなのに、本当に忘れていた・・・正直、全部飲んだか覚えていない。ちゃんと書いてあるのにね、ハニーとか蜜とか。
当たり前だけど、私は日本人なんだなと思いました。(旅にはお茶のティーバッグ持参してます)


↑ココが中正紀念堂ですが、上まで登るのも結構大変だった。暑いから?私は真夏に行ったのでしょうか?(知らない)
中では人が集まっていて、集まるところには集まる理由があるので見ていたら、兵士の交代式の時間が決まっていて、それ待ちの人たちでした。私も一緒に待って、観覧させていただきました。日本では見たことないけれど、海外に行くとちらほら見る光景ですが、何度見てもかっこいいですよね。
前の方はぎゅうぎゅうになるので、私は後ろから生還しているタイプです。女性にしては身長が165cmあるので、後ろからでも結構見えるのはありがたかった。
正面の玉座には、中華民国初代総統・蒋介石(蔣中正)。
日本では、世界史的には『近代中国の革命・統一・内線・冷戦・台湾統治という巨大な歴史の流れを体現した人物』として知られている人、と出てくる。正直、パッと出てくるほど歴史が得意な人間ではないので、チャッピーに頼りきりですが、いつも勉強させて貰っています。
歴史をたどると、1949年に中国で国内内戦の結果、2つの政府が誕生、それが中国本土で中国共産党が勝利した『中華人民共和国』と、蒋介石率いる中国国家党が台湾へ撤退した『中華民国』政府。この瞬間から2つの政府が並立する状況が始まったのだそうです。私たち(平成初期生まれ世代)って、中国と台湾ってどういう関係だって習ったのか・・・覚えていないのですが、誰か覚えていますか?
国連が認める国の代表は、最初は第二次世界大戦の勝者である中華民国(台湾側)で、『中国=台湾』だったのだが、先ほど揚げた国内内戦で負け、世界が『中国の人口・領土の大部分は北京政府だ」と判断したことで、1971年に国連が『中国=北京政府』と決定したのだそう。

先ほど述べたのは一般的に綺麗な面だけでしたが、歴史的には蒋介石の功績と問題点という2つの視点がありました。
功績(良い評価)としては、『抗日戦争(日本との戦争)を指揮した中国側の最高指導者』『台湾移転後の土地改革・工業化を進め、経済成長の土台を作った』 こと。
問題点(批判される評価)としては、『台湾で戒厳令(軍が治安を握る状態)を38年間続けた』『白色テロ(政治弾圧)』で多くの人が逮捕・処刑された』こと。
今のご時世、一般人が政治に口出しするのは普通か?見解を述べるのは問題ないか?いまいち怪しいところだなと思うのでなんとも言えませんが、調べるまで正直知らないことが多かった。
批判無しにトップに立ち続ける人は本当に少ない(居るのか分からない)けれど、歴史を変えた?歴史の出発点を作った人?何だろうとは思う。蒋介石の政治の白色テロで亡くなった人がとても多かったそうで、いろんな見方があるのは当然だなと思う。
ものすごく深掘りしたわけでは無いし、当時住んでいた人間でもないので大きくは言えないが、今も昔もどの世界でも、人の命は同じ重さであってほしい。
なーんてことを考えています。

立ち位置によって左右が変わるので難しいですが、この写真の右側の建物『国家音楽ホール』の前では、学生さん?趣味で来ている若者?がダンスをしていました。ヒップホップ系かな。建てた人もココでヒップホップを踊る人が来るなんて思いもよらなかったでしょう。
過去と現在の共鳴が新しい時代を作るんだろうな。
台湾旅は最初、2編で構成できると思っていたのに、思い出すと思い出や気持ちがあふれ出しすぎて全然収まらない・・・。
次に続きます・・・
またね!
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