戦争の話
「きのこォ? そんなの好きな人いるの?」
「きのこの山 たけのこの里 ファミリーパック」を手にしたわたしが、職員室の同じ島の同僚に「どっちがいい?」と聞きながら配る。
そんな放課後ののどかな光景。
そののどかさをぶち壊すには十分すぎる言葉が、わたしの耳に刺さります。
「絶対たけのこ」
「あ、僕もたけのこです」
きのこを蔑む言葉に便乗する同僚たち。
「よろしい、ならば戦争だ」
彼らに向かって、そんなひと言が言えたなら。
きのこの尊厳を守ってあげられたのかもしれません。
きのこ派の矜持を守る、何よりも尊い戦いを起こすことができたのかもしれません。
しかし、わたしは生来戦いを好みません。
宣戦布告を意味するその言葉を飲み込み、わたしは2連になった小袋を切り離してたけのこの里配りに従事するしかありませんでした。
きのこ派の歴史というものは、差別と迫害との戦いの歴史でもあります。
「たけのこの方が美味しいから」というたけのこ派どものなんともボヤっとした感想のもと、蔑まれ不当に虐げられてきた民。
それがきのこ派なのです。
きのこの山は、とても素晴らしいお菓子です。
カリカリサクサクのクラッカー部分と、香り高くしっかり濃いめのチョコレートの比率がなんとも言えず絶妙です。
クラッカーにはほのかな甘みがあり、香ばしく焼き上げられ、十分に主役たる華やかさを有しています。
にもかかわらず、チョコレートを引き立てる脇役に徹する謙虚さ。
チョコレート部分が実は二層になっていて、上部と外縁部でミルクの配合率が違うことに、たけのこ派どもは気がついていません。
ボヤっとしたたけのこ派どもにはわからない繊細さです。
選ばれしものにしかわからない、わかられなくても構わない。
そんな気高き孤高の精神を抱くお菓子、それがきのこの山なのです。
一方、たけのこの里はどうでしょう。
チョコレート部分はボヤッと粉っぽく、くすんでいかにも不健康そうです。
きのこのチョコレートはツヤツヤで、まるでオニキスのような高貴な輝きを放っているというのに。
見た目からして一歩どころか5000歩くらい遅れをとっています。
それに、クッキー部分。
あれも何だか湿気っていますし、チョコレートの層が薄すぎます。
チョコレート菓子と名乗るには、詐欺めいていると言っても過言ではないでしょう。
たけのこ派どもがあんなに大きな顔をしていられること自体が、本来なら間違っているのです。
それに、ここnoteの街の路地裏では、きのこを慕う者たちが、好き勝手に騒いで遊んでいます。
最近ではその路地裏の喧騒が表通りにも届いているようで、何やら面白そう、と迷い込んでは出られなくなる人々も増えているようです。
きのこ課長が毎日一生懸命に交通整理をしてくれていますが、それでもどんどん人が流入し始め、なんのはなしか分からない話を、好き勝手にしているのです。
これは、今後世界において、この路地裏がメインストリートになるという可能性を十分に秘めている証左であるということができるのではないでしょうか。
つまり、今はたけのこ派どもに蹂躙されているきのこ派も、いずれたけのこを駆逐し、表舞台で輝く日が来るということなのです。
同志、きのこ派よ。
今こそ立ち上がるときです。
我々は、穏健にすぎたかもしれません。
争いを好まず、ひっそりときのこへの愛を語っていられたらそれで幸せ、と安穏としていた結果、今のこのたけのこ派どもの傍若無人で無秩序、身勝手きわまりない振る舞いを招いてしまいました。
団結してきのこの素晴らしさを語り合い、聖戦を起こすのは、今なのです。
おろかでボヤっとしたたけのこ派どもに正義の鉄槌を下すのは、今なのです。
たけのこ派どもにきのこ派の力を思い知らせてやりましょう。
同志、きのこ派よ。
あなたの参戦をわたしは心より歓迎いたします。
参加しています。49日め。

