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あるべきものがそこにないとき、世の中に取り残されている気がする

おっぱい、おっぱい、おっぱい。
わたしは自らもおっぱいを晒しながら琥珀色のお湯にゆらゆらと揺蕩い、ぼやぼやする視界の中、同じ湯にたくさんのおっぱいが出入りするのをぼやぼやと眺めている。
たまに利用する市境のスパ施設は、市街地が近いということもあってか、いつでもそれなりに賑わっていた。
エステルームの予約がなかなかとれなくて、わたしはこの日も皮膚の表面にこびりついているであろう古びた角質を落としてもらうことはかなわず、ただモール泉に身を委ねる。
おっぱいに倦んで向かいの大きな窓に目をやると、日はとうに沈み、でも完全に闇に覆われたというわけでもなくて、昼の名残が低いところにある雲を青みがかったピンク色に染めていた。

おっぱいと一口に言っても、その形は千差万別。
ぱん、と張ったものもあれば、空気の抜けた風船がぶら下がっているみたいなものもある。
まぁるい綺麗な形のものもあれば、横から見た時に上の方が欠けた月のように見えるものもある。
若い女の桃色の乳輪、そんなものは幻想。老婦人ほど淡い色彩の乳輪を持っている。乳輪の色が女性ホルモンの分泌量に左右されることを考えれば、当然のことだ。そもそも黄色人種の乳輪は、濃淡は別として総じて茶系の色である。

たまにキョヌウ族がいると、目で追ってしまう。持ち主と目が合う前に視線を逸らすことがマナーだ。見ていることがバレるのは良くない。
かく言うわたしもキョヌウの末裔なので、時おり視線を感じる。離れ乳なのでブラジャーを外すと迫力は7割減になるけど、それでも掴もうとすると手のひらには収まりきらない山をふたつ、体の正面に貼り付けている。
視線の主の方へ目を向けると、彼女もまたキョヌウであることが多い。
キョヌウは惹かれ合う。そして互いの、気軽に口にすると「自慢話?」と思われそうでなかなか吐露できない苦労や、金銭的負担の大きさを視線で労い合う。そこに言葉はいらない。

まれに、おっぱいのない人もいる。大きさの問題ではなく、疾患により切除した人。わたしの祖母、フミヱさんもそうだった。

毎年どこかしらへ夫婦で旅に出るような人だった。
お兄さんが沖縄で戦死しているそうで、数年に一度、沖縄へも訪問していた。わたしも平和のいしじに刻まれているという大伯父の名前をVHSの映像で見せてもらったことがあるけれど、そこで初めてフミヱさんの旧姓を知った。
でも、それも、彼女がおっぱいを失うまでの話。
体力面でも厳しくなったのだろうとわたしの母や伯母が「飛行機に乗るようなところじゃなくても、じいさんと一緒に温泉にでも行ってくれば?」と居住地の近くにある温泉街を勧めても、頑なに出かけようとはしなかった。

「人に見られるしょ、みっともない」

おっぱいのない自分を恥じていた。
そこに当然あるべきものを失くした自分と、あるべきものをあるがままに有するその他の人々と。
いたたまれない。身の置き所がない。
わたしはおっぱいを失ったことはないけれど、「周囲が当然のように持っているものを持っていない」状況にある。
ここで言う「周囲」とは、わたしのある意味特殊な稼業のこと。この界隈では、特殊合計出生率が半世紀くらい前の水準で推移しているように思う。
「みっともない」と卑下するほどではないにせよ、いたたまれなさや取り残されている感覚は、わたしの胸にしつこく居座っていた。皮膚の中に埋まってしまった棘のように、抜くこともできずにじくじくと地味な主張をしている。普段は忘れていても、誰かが妊娠したとか、職場に赤ん坊を連れてきたとか、子育ての話で盛り上がっているとか、折に触れてその棘の存在を思い出す。
フミヱさんも、おっぱいのことを考えずに過ごすよう努めていても、何かの拍子に揺さぶられていたのではないだろうか。

女性にとっておっぱいを失うことは、「子どもは産めません」と宣言されることと同じくらいかそれ以上に、自らのアイデンティティを揺るがす出来事に違いない。
見た目からしてすっかり変わってしまうのだから。
わたしも確かに自分のキョヌウを愛していて、だから「何着てもマヌケに見える」と文句を言いつつも、小さく見せるブラなんかには手を出さない。自分で自分の身体を否定したくない。
明日おっぱいを失うと言われたら、やっぱり自信なんて無くなってしまうし、何をしていてもどこにいても「わたしにはおっぱいがないんだ」とそのことばかりを考えてしまうだろう。


フミヱさんの金婚式にあたる年。
母、伯母と孫の中で唯一社会人だったわたしがお金を出し合い、近場の個室露天風呂のある旅館でお祝いをすることにした。
引きこもりがちだったフミヱさんは久々のお泊まりにとても喜んでいて、わたしと母の間に横たわるちょっとした亀裂も、そこに架かる不安定な細い一本橋も、その一泊二日の間だけは元から何もなかったみたいに穏やかだった。
また来年も来ようね、と言っていたけれど、それは叶わず、翌年フミヱさんは家族や親族に見守られながら静かに旅立った。

フミヱさんの不在に祖父も母も伯母も孫たちも慣れてきたころ。
祖父の傘寿や米寿などの節目節目に、あの旅館でお祝いをする習慣が生まれた。
わたしはその頃にはもう嫁いでいたので、あのとき以来参加したことはないけれど、親子水入らずで、時には弟も交えて、家族の歴史を重ねている。


先日、母からLINEが来た。要約するとこんな感じ。

「じいさんももう歳だからいつまでも一緒にいられるわけじゃない。毎年正月にお泊まり会をすることにした。できる限り参加するように」

言いたいことは分かる。
だけれど、わたしにはわたしの家族がいて、夫はともかく、パグ姉妹はその旅館には連れて行けない。
そして何より、最大の懸念事項がある。

それは、VIOをやってしまっている、ということ。


なんのはなしですか


還暦を迎えた母や伯母には、そんな部位をどうこうする発想はない。
それこそ、

「あの姉妹に見られるしょ。みっともない」

という話になってくる。
赤の他人に見られることはなんでもないのだ。
あの姉妹と一緒に大浴場に行き、覆うものが何もないむきだしの股を晒すことがとんでもなくばつが悪く思える。彼女らの性格からして、「なにそれ」と汚物を見る目で吐き捨てられるのは明白である。
十年以上も前に嫁いだ娘がとぅるとぅるのお股になっていることを知ったら、母はどう思うのだろう。夫に何かよからぬプレイを仕込まれているとか、夫の性癖がちょっとアレだとか、盛大にそんな勘違いをし、「それに反発することなく従っている変態女」像を脳内で作り上げるのではないだろうか。どっちが変態なのか、分かったもんじゃない。
わたしはただ、生理の不快感から解放されたかっただけ。でも、ないならないで、ナプキンが直に貼りつく感じもあって、どちらがよりまし・・かについては議論の余地がある。

祖父の年齢を考えると、母の言うことももっともである。
次の正月はあっても、その次はないかもしれない。無下にするものでもない。パグ姉妹は夫におまかせして、わたし一人だけが参加すればことはまるく収まる。
問題なのは、開き直ってつるんとした股を晒すか、生理と重なったふりをして部屋風呂で済ますか、だ。

あるべきものがそこにないとき、どうするのが正解なのだろうか。
その問いに対する明確な答えを、わたしは未だ持ち合わせてはいない。