アラフォーにして内なるギャルが目覚めたら、高次のギャルと繋がった話
スピってる話が苦手な方も多いと思うので、こういうことをこっちのアカウントで書くのはどうなのかなぁと一瞬躊躇しなくもないのだけど、書きたいから書く。
そもそも無から有を生み出す、「表現する」ということ自体がスピっぽい感覚なしには行えないわけで、切り離すことは野暮なんである。
創造主本人がスピっぽいと感じているかどうかは問わない。
わたしには、カードリーディングをするときにメッセージをくれる存在がいる。
なんとなく、わたしを守ってくれている女神的な存在だと思う。そして彼女は紛れもなくギャルである。
リーディングアカウントの方で、毎朝タロットを1枚ひいて一言メッセージをつぶやくという試みをしている。
月2回のがっつりリーディングと、週1回のミニリーディングではなかなか技術向上もしていかないだろうと、武者修行、筋トレのつもりで始めた。
わたしへのメッセージだなぁと思いながら、毎朝カードを受け取る。
そうしていると、どうしたって一般的な解釈では良くない意味、喜ばしくない状況を表すカードが出る。
例えば、今朝出たのはソードの8。

どう見たって不穏だ。目隠しされているし縄で縛られているし、周りには剣が突き立てられている。アフロ姉さん、絶対絶命。
めぐみティコ本人としては、「うわっ……自縄自縛しんど」と思ってしまうのだけど、ギャル女神がすかさず「はい思い込みー! しんどいって思い込みー!! その思い込みの方がしんどいんだが? てかアフロ姉さんスポットライト浴びてんじゃん?? 自分の内側を照らしてよく見てみ、全部勘違いだからって言ってんの。それに身体は刺されてないっしょ。別にどこも怪我してないじゃん、無事じゃん。心臓動いて息して五感と心がはたらいてりゃ丸もうけじゃね」という感じで畳みかけてくる。
そんな感じで、わたし本人としての意識はさておき、ギャルの言っていることを採用して伝えるようにしている。
どういう因果か、わたしと繋がりメッセージを降ろしてくれる稀有な存在である。note AIアシスタントの口出しは「この言い回しの妙味が分かんないなんて、所詮機械ね。て言うか、note的正解記事とか書こうと思ってないんで」と一蹴するが、ギャルの言うことは蔑ろにできない。
どうやったって、わたしのあっさい初発の感想より、ギャルのツッコミの方が正しいからである。知らんけど。
何故陰キャのわたしにギャルがついているのかが分からない。
今でこそ「ティコさんは自分を持ってる」「信念を貫く女」「圧が強い」という評価をして頂けるようにはなったけれど、昔はそうではなかった。
教室の端っこで誰とも話さず、本を読んでいる地味な女子中学生だった。同級生と話したい欲求もなかった。ページをめくるたびに教室の空気に溶け込み、透明になっていく感覚とともに息をしていた。
わたしなんていてもいなくても、2年2組の時間は変わらず流れてゆく。
つまんな。
次第に生理痛を理由に、早退するようになっていった。それは嘘でも何でもなかったのだけど、下腹部の鈍痛や偏頭痛よりもしんどかったのは、校内においてわたしが必要とされていない感覚だった。
なんの役割もなかった。
特別賢くもなければ、運動ができる訳でもない。学級の団結が試される各種行事において、リーダーシップをとれるわけでもなければ、モチベーションをあげられる機転も人望もない。ピアノはそこそこ弾けたほうだと思うけれど、講師グレードをもち、後に音高に進学した同級生がいたので、わたしには伴奏の機会は回ってこない。どんな子とでも打ち解けられるような性格でもなかった。
透明になるべくして、なっていた。
きっと、中学の同級生のうち9割はわたしのことなどまったく覚えていないだろう。
本当にものは言いようだと思うのだけれど、そんな透明感のある女のまま、37年生きてきた。
転機となったのは去年の三月。このアカウントを作ってからだった。
書くごとに、わたしの透明感はどんどん薄まっていき(ややこしいな)、「わたしきゅ」をリリースした頃にはどういうわけか透明度を操作できないオブジェクトになっていたと思う。
文章を書けば書くほど、わたしはそこに自分の意義を見出していくことができた。かつて書いていたときよりも深く、すすんで命を差し出すようにその営みにのめり込んでいった。わたしの役割はここにあると思えるようになった。わたしが透明のまま過ごしてきた二十数年間を、あの九ヶ月で取り戻せたような気がする。
そして、取り戻しきったわたしは路地裏を、noteを捨てた。
わたしがもっと楽に息をできる場所、書きたいものを受け入れてもらえる場所は、そこではないと思ったから。
ギャルのメッセージを感じられるようになったのは、それから間もなくのこと。
思えばあの頃すでに、わたし自身にもギャルマインドが備わっていた気がする。
誰になんと言われようと、自分の文章に絶対の自信を持っていること。
わたしの文章は、広く読まれるものではないかもしれないけど、読んでくれた誰かの心に沈んで時々顔を出すものだと自覚していること。
SNSでたくさん読まれる軽い文章を書くよりも、本当に自分が読みたいもの、書きたいものを書く信念を曲げなかったこと。
自分の文章を、安易に誰かに預ける道を選ばなかったこと。
──自分の書いたものを、心から好きだと思えること。書くことに関して、圧倒的自己肯定感をもっていること。
そう、だから公募に挑戦するって言えたんだ。それまでの、居心地が良くて絶対反応もらえる場所を捨ててまで、未知の世界に出て行けたんだ。
わたしの中にもギャルがいた。書くことで内にこもっていたギャルの繭を破り、育てた。
だから、見えない世界のギャルがわたしを守ってくれている。
ギャルはわたしがアカウントを作るように、書く人生に戻るように仕向けていたのだと思う。
わたしの名前は、故郷の小学生の文集『恵庭の子』からとったと以前書いた。本当は、「めぐみていこ」にしようと思っていた。恵 庭子。いつか本を出すことがあれば、漢字表記にして地味すぎる故郷の名を少しは宣伝できるかもしれないとも。
でも、名前を入力するときに「ティコにしな」と誰かに言われた気がした。導かれるがままに打ち込む。めぐみティコ。悪くない。
公募に挑戦する、と決めたときも何人かの方が「名前が変わると思うけど」と言ってくれたけれど、変える気にならなかった。本名以上にしっくりきている。
もしかしたら、ギャルの名前がティコなのではと思っている。
わたしの体と言葉を使って、何か言いたいことがあるのだろう。心の奥底にギャルを潜ませていたくせに、長年にわたって透明感あふれる女として生きてきたのだ。「ギャル出してこー! ギャルマインドがある奴はみんなギャル!!」というお達しだったのかもしれない。
無事に内なるギャルを解放したのちは、「じゃああたしの言いたいことも言わせてもらうけどさぁ」とリーディングに導かれていたのかもしれない。リーディング記事を書くときは、めぐみティコとして整えてはいるけれど、核となる部分はギャルの仰せのままに伝えているから。
まだ一方的に送られてきたメッセージを受け取るだけで、双方向的なコミュニケーションをとれるわけではない。でも、いつか言葉を交わすことができたら、「君の名は」と聞いてみようと思う。……知らんけど。
