【メンバーシップ記事】「整える」とは、完璧になることではない― タロットとともに考える、「中庸」に戻るということ
「心を整えたい。」
「生活を整えたい。」
「人間関係を整えたい。」
最近、この「整える」という言葉を耳にする機会がとても増えました。
けれど、改めて考えてみると、「整う」とはどんな状態なのでしょうか。
乱れが一切ないこと。
いつも前向きでいられること。
感情に振り回されないこと。
完璧に管理された生活を送ること。
そんなイメージを持つ人も多いかもしれません。
私も以前は、整うとは「理想的な状態になること」だと思っていました。
不安が少なく、迷いもなく、感情も安定している。
そんな状態をどこかで目指していたのです。
しかし、タロットと長く向き合う中で、その考え方は少し変わっていきました。
タロットは未来を当てる道具として語られることが多いですが、私はそれ以上に、「今の自分の偏りに気づかせてくれる鏡」だと感じています。
そして、その鏡を通して見えてきたのは、「整える」とは完璧になることではなく、自分を中庸へ戻していく営みなのではないか、ということでした。
人は、気づかないうちに偏っていく
私たちの心は、常に揺れています。
忙しさが続けば、行動に偏ります。
傷つけば、防御に偏ります。
不安が強くなれば、未来ばかりを見ます。
疲れているのに頑張り続ければ、「休むこと」から遠ざかっていきます。
そして不思議なことに、偏っているときほど、自分ではそれに気づきにくいものです。
白か黒か。
成功か失敗か。
続けるか辞めるか。
好きか嫌いか。
そんな極端な考え方に入っているとき、心の余白はとても狭くなっています。
本当は、その間にたくさんの選択肢があるはずなのに、視野が細くなってしまうのです。
タロットを見ていると、こうした「偏り」が象徴として現れることがあります。
だからこそ、カードは「正しい答え」を教えるというより、「今のあなたは少し傾いていませんか」と静かに問いかけてくるのだと思います。
中庸にしたい、という願い
私は「中庸にしたい」とよく思います。
常にポジティブでいたいわけではありません。
常に冷静でいたいわけでもありません。
ただ、どちらかに大きく振れすぎたとき、戻ってこられる自分でいたいのです。
嬉しいことがあっても、舞い上がりすぎない。
悲しいことがあっても、世界の終わりだと思い込まない。
頑張れる日もあれば、休みたい日もある。
その両方を認められる自分でいたい。
中庸とは、無感情になることではありません。
むしろ、感情を感じながらも、その感情に完全に支配されない状態です。
私はこれを、「揺れながらも戻れる力」だと考えています。
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