【BTS】「ユンギオッパ」と「ユンギさん」に見る距離感の違い【日韓文化差】
「オッパ」呼びが好きすぎる
言語に現れる文化差が凄く好きな私が、初期から並々ならぬ興味を持っている言葉、それが「オッパ」です。
常日頃考えているのですが、最近また積もり積もって溢れてきたので、記事にまとめてみます。
韓国語の「오빠(オッパ)」は、年上男性への親しさや愛情、甘えを含む呼び方です。「カッコいい人は全員オッパ」って言われたりもするらしいので、とりあえず年齢関係なく推しはオッパなのかもしれません。

相手の懐へ飛び込んでいく「オッパ」
私は日本人ファン(イルアミ)なので、韓国人ファン(本国アミ)がアイドルを「オッパ」と呼ぶ感情を真に理解することはないと思うのですが、この言葉には対象との距離の近さを感じます。
言葉自体の意味、使われるシチュエーション、実際にペンミなどでバンタン(BTS)に呼びかける声からは、親しみと甘え、身内っぽさとほのかな独占感、という要素――つまり、「私達そう言える関係だよね!」と確信しながら堂々と距離を詰めていく対峙姿勢の強さを受け取ってしまうのです。
自分にとっては「若さゆえの勢い」からはみ出して文化差を感じる近さなので、目撃する度のけ反ってしまいます。凄いな!
相手を神棚に乗せる「〇〇さん」
これと真逆なのが、「ユンギさん」に代表される「さん付け」です。イルアミの書き込みでよく見ますね。
ナムさんの場合は「さん」付きで愛称みたいになってるのでちょっと横に置いときますが、本国アミの「オッパ」が私にとっての超プラス距離感とするなら、イルアミの「さん付け」はその真逆の超マイナス距離感だと感じます。
自分も日本人なのでうっすら想像できるのですが、私たちは心の一部を明け渡すくらい誰かを好きになった時(リアルの恋愛関係除く)、わりと「その生き方も考え方も好き!」的な方向に行きやすくないでしょうか。
見た目などの表層的な部分だけではなく精神性の部分を尊び、それこそが真の理解であり愛だとする価値観がある。気がする。
この方向に行った時、生まれる感情は、「好き好き愛してる!」という情熱的なものと言うよりは、「尊い」「生きていてくれてありがとう」的な感謝を含む崇拝に近くなります。何でかわかんないですけど、日本人はすぐ拝みます。
その場合拝む対象っていうのは気分的には神棚に乗ってるわけであって、既に神界に片足かけてるわけですよね。
距離が遠いか近いかで言うと、めっちゃ遠いと思います。すごく好きでサランヘヨなんだけど心の距離が謎のワープをするんですよね。

ここまで行くと、気軽に「ホビホビ~💜」とか言えなくなって「ホソクさん……」になるんじゃないかと思います。
「好きすぎて、陰からそっと見ることしかできません」的な推し方も同じ分類なのですが、すごく日本人らしい心性じゃないでしょうか。
余談ですが、「ユンギさん」って書いてる人を発見すると、「おっ」と正座してから読みます。なんつーか、深海の底から呼びかけるような決意を感じ取るから。勝手にすみません。
だから、好きが深まった時「オッパ!」ってダッシュで距離詰めていく本国アミを見ると、後ずさりしながら「すげえ!」「私にはできない……!」っていう驚きが生まれるのではないか、と想像しています。
日本語に「オッパ」はあるのか
私からすると、「オッパ」はめっちゃ距離が近い言葉です。
仮に日本人が同じことをやろうとした場合、それはどの言葉に当たるのでしょうか。
「グク兄」「お兄ちゃん」とか色々想像するんですが、何かしっくりこない。
距離の近づけ方で言うと業界人の「ちゃん付け」が似てる気もしますが、これは日本人としては「馴れ馴れしい」の範疇にも入りがちなので、「オッパ」の持つ「お兄ちゃん」感がないですね。
日本人は韓国人に比べるとプライバシーエリアが広いので、「親しみ」と「馴れ馴れしさ」は紙一重。自然に相手との距離を詰めるという技は、天性の愛嬌スキルを持ってる人でないとなかなか困難です。
結論からすると、日本には置き換えられる言葉がなく、それが日韓の文化差なのであるということになります。
感覚的に言うと、「ホビ」「グク」などの愛称自体が、既にイルアミにとっては「オッパ」レベルの距離詰めであるという気がします。愛称をつけて呼ぶという行為は、私たちにはかなりの親しみ表現であり、「ウリ推し」感覚なんじゃないでしょうか。

「オッパ」は ”私と推し” を繋ぐ言葉
「オッパ」でもう一つ感じるのが、これは「2人の関係性」を表す言葉っぽい、という点です。「私とあなた」の関係であって、他人は関係ないわけです。
この「"私たち"の世界」的感覚が、身内感とか甘えた感じとか独占欲とかそういうものをひっくるめた、独特の距離感を生んでいるように思います。
ウォッチャー属性もあって推しに対して当事者になりにくく、「推しとファン」という構図でものを考えがちな私には、これが珍しいです。
私は自分を「ファンの1人」と捉えているので、個対個の発想があまりありません。だから逆に「オッパ」的距離感が珍しく、興味を惹かれるんじゃないかと思います。
ペンミ映像での本国アミからの声掛けとか見てると、「今ここにいるのは私と推しだけ!」的なためらいのなさがあって、めっちゃ面白いです。

日本人て感情を拍手で表現しがちだけど、その時も空気を読んで、叩く音の大きさや速さを変えたり止めたりするじゃないですか。
その場合感情表現は「個対多」であって、自分は集団の一部なんですよね。1人で立ち上がって「ブラボー!」って拍手する、みたいな自己主張はかなり難しい。歌舞伎の「〇〇屋!」な声掛けも、古くからの贔屓筋がやってこそであり一般人には許されない感があります。
こういうところにも、集団主義が強い日本との文化の違いを感じて、大変興味深く思います。
最近ホビがよくライブ配信してくれるので、それに伴いARMYの書き込みコメントを目にする機会も増えたのですが、「Oppa!」な書き込みもそこそこ見ます。欧米アミはオッパ感覚に馴染みやすい、とかあるんでしょうか。
「オッパ」はアイドル側も一人称として使うことがある、というのがまたいいですね。
テテがアユクデで韓国相撲に挑んだ際、「オッパ行ってくるから!」って言ったことがあるんですが、あれは「個対個(無限)」のキュン死発言であったと取れてしまい、今更ながら罪作りな推しに萌えます。

リアコ系の人は「オッパ」に親和性があるのか
「推しと私」な個対個の関係性を選ぶ人は、日本人でも結構いると思います。
バンタン系記事を見ていても、「推しと対等でいたい」「推しに認知されたい」「推しのことを全て知りたい」といった、個としてアイドルに向かい合う人はたくさんおり、個人的には、ある意味リアコ適性がある人なんじゃないかという仮説を立てています。
ただ、この人達なら「オッパ」適性があるのか、と言えばそうでもない、というのがイルアミの不思議さ。
「ユンギオッパ!」が推しに向かって猪突猛進していく姿勢だとすれば、「ユンギさん……」は推しが眩しすぎて後ずさりしてるくらいの印象なんですが、後者でもリアコ属性の人はいるわけですから、「距離感の遠近」という物差しで想像してたら実は端が繋がってループしてた、みたいなことになります。謎ですね!
一生研究していきたい
「好き」という気持ちと推しに対する距離感は、私にとっておそらく一生の研究課題です。
自分はコイバナをするタイプではないので、他人の恋愛事情にも興味がなかったのですが(優先順位として低いだけなので、コイバナが嫌いなわけじゃないです)、このファンダムに来てからというもの、延々とARMYのバンタン愛を読んでいるため、大変勉強になります。
お国柄や文化差も加わって人の濃い感情がぐつぐつ煮えてるバンタン釜を覗き込んでいると、色んな推し方があるものだなあと心から感心します。
とりあえず「オッパ」は憧れです。
自分が使う日は来ないにしても、ファンが使う「オッパ」には目を光らせてしまいます。たまにバラエティで共演者が言ったりもするので、見逃せません。毎回興奮するわ(変態)

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