あり得たはずの歴史──1968年と1989年、そして若者のエネルギーの行方
「あり得たはずの歴史」について
歴史に「もしも」を持ち込むべきではない、とよく言われる。歴史学は起きたことを研究する学問であって、起きなかったことを論じても意味がない、と。
しかし僕はこの考えに同意しない。
「あり得たはずの歴史」について考えることは、単なる空想ではない。それは、歴史の偶然性と構造性の両方を理解する、未来のためのトレーニングだ。
NHK 映像の世紀バタフライエフェクト
「世界が揺れた2つの年 1968と1989」
1968年と1989年について考える時、僕は繰り返し「あり得たはずの歴史」に思いを馳せる。特に、中国の文化大革命と天安門事件について。
なぜか。可能性が実在していたからだ。そして、その可能性がわずかな差異によって実現しなかったからだ。
1968年という記号
1968年は世界史の転換点として記憶されている。
パリの五月革命、プラハの春、アメリカの反戦運動、日本の全共闘運動。
世界中で若者が街に出た。
この現象を「世界同時革命」と呼ぶ人がいる。しかし、僕はこの言葉に違和感を覚える。なぜなら、同じ年に中国で起きていたことは、西側の「革命」とは全く異なるベクトルを持っていたからだ。
中国では文化大革命(1966-1976)が進行中だった。紅衛兵と呼ばれる若者たちが、毛沢東の号令のもと、「旧世界」を破壊していた。
表面的には似ている。若者の反乱、権威への挑戦、既成秩序の否定。しかし、ベクトルが真逆だった。
西側では、若者が権力に「対して」立ち上がった。中国では、若者が権力に「よって」動員された。
この違いは決定的だ。そして、この違いが1989年の帰結を決定づけた。
ロックミュージックという「共鳴」
ここでロックミュージックについて考えてみたい。
1968年に、ロックは単なる音楽ジャンルではなかった。それは一つの世界観であり、身体的な体験であり、コミュニケーションの様式だった。
ロックが持っていた本質的な特徴は何か。それは「共鳴」だ。
ライブハウスで、ミュージシャンが音を出す。その音波が空間を満たし、聴衆の身体を揺らす。聴衆は歓声や拍手で応える。その声がまたミュージシャンを揺らし、さらに激しい音を引き出す。この相互的な共鳴の連鎖が、ライブという場を成立させる。
これは「商品の売買」とは異なる。レコード産業はロックを「商品」に変えようとした。しかし、ロックの本質は共鳴にあった。互いに響き合うこと、身体を震わせ合うこと。
だからこそ、ロックは反体制文化になり得た。共鳴は統制できない。誰かが音を出せば、それは勝手に広がり、他者を揺らす。権力が管理できない物理現象だ。
そして重要なのは、この共鳴が「自律的な空間」を作り出したということだ。
自律性という問題
ここで「自律性」について考える必要がある。
1968年から1989年の間に、西側と東欧では何が起きていたか。市民社会が育っていた。より正確に言えば、「権力から自律した空間」が少しずつ広がっていた。
ロックバンド、ライブハウス、地下出版、読書会、サークル活動。これらは一見些細なものに見える。しかし、これらが持つ共通の特徴は、国家権力から独立しているということだ。
レヴィ=ストロースは、未開社会を「冷たい社会」と「熱い社会」に分類した。冷たい社会は変化を抑制し、熱い社会は変化を内包する。この比喩を借りるなら、1960年代から80年代の西側社会には「隙間」があった。権力が完全には統制できない「冷たい」領域が残っていた。
中国にはこの「隙間」がなかった。
文化大革命は、まさにこの「隙間」を徹底的に潰す運動だった。
すべての自律的な空間—家族、友人関係、趣味のサークル、知的コミュニティ—が「階級闘争」の名のもとに破壊された。
残ったのは、権力に完全に従属した個人だけである。
身体の記憶
では言語についてはどうか。
母国語を話す時、僕たちは文法を意識しない。言葉は自然に口から出てくる。これは幼少期からの無数の実践を通じて、言語が身体化されているからだ。自転車に乗れるようになった人が、何年ブランクがあっても乗れるのと同じである。
社会にも「身体知」がある。民主主義や市民社会は、頭で理解するだけでは機能しない。身体的な習慣として内面化される必要がある。
例えば、「異議を唱える」という行為。これは単なる知識ではない。実際に異議を唱え、それが受け入れられた経験を通じて、身体に刻まれる。
西側と東欧の社会には、不完全ながらもこの「身体知」があった。
デモをする、議論する、批判する、結社を作る。これらは長い時間をかけて身体化された技法だ。
中国では、文革の10年間でこの「身体知」が破壊された。異議を唱えた人は迫害され、批判的思考は罪とされた。身体は恐怖を学習した。
1980年代、改革開放によって少し自由が戻った。
ロックミュージシャン崔健が「一無所有」を歌い、学生たちが議論を始めた。
しかし、おそらく、
10年では「身体知」を再構築するには短すぎた。
東欧には20年の蓄積があった。中国には10年しかなかった。
この差が、1989年の結果を分けたのではないか。
なぜ中国は徹底的だったのか
ここで根本的な問いに向き合わなければならない。なぜ中国の革命は、ソ連や東欧よりも徹底的だったのか。
僕の考えでは、これは「屈辱の深さ」と関係している。
アヘン戦争から100年。中国は西洋列強に蹂躙され続けた。租界、不平等条約、義和団事件の惨劇。中華帝国としてのプライドは完全に打ち砕かれた。
この屈辱は、日本が経験したものよりはるかに深い。日本も不平等条約を結ばされたが、植民地化は免れた。
が、中国は国土の一部が外国の支配下に置かれた。
深い屈辱は、徹底的な自己否定を生む。
五四運動(1919)以降の中国知識人の言説を読むと、伝統文化への激烈な批判が目立つ。
「儒教が中国を弱くした」「旧習俗を打破せよ」。
これは単なる啓蒙主義ではない。屈辱を内面化し、自己を全否定することで新しいアイデンティティを獲得しようとする欲望だ。
毛沢東の「継続革命」論は、この欲望の極限形態だった。
人間性そのものを改造できると信じた。過去のすべてを否定し、ゼロから「新しい人間」を作り出せると。
これは愚かで傲慢である以上に、「絶望そのもの」でもある。
「あり得たはずの歴史」の核心──同じ若者の怒り
ここで最も重要なポイントに到達する。
文化大革命の紅衛兵と、1968年の西側の若者たち。彼らの怒りは本質的に同じだった。
若者には特有のエネルギーがある。それは純粋さ、理想主義、現状への不満、「世界は変えられる」という確信。このエネルギーは価値中立的だ。それ自体が善でも悪でもない。
問題は、このエネルギーがどこに向かうかである。
西側では、このエネルギーは創造に向かった。
ロックバンドを作り、詩を書き、コミューンを作り、議論をした。
冷戦が終結する出口があったからだ。
中国では、このエネルギーは破壊に向かった。
それは出口がなかったからだ。
紅衛兵の多くは、本物の理想主義者だった。彼らは党官僚の特権、都市と農村の格差、腐敗を見て、本気で怒っていた。「平等」を信じていた。
しかし、その怒りを表現する創造的な手段がなかった。ロックバンドを作ることも、自由に議論することも、デモをすることも許されなかった。
残されたのは、毛沢東が指し示す「敵」を攻撃することだけだった。
同じエネルギーが、ギターではなく暴力に向かった。歌ではなく、「批判闘争会」に。コミューンではなく、武闘に。
ここに「あり得たはずの歴史」がある。
もし彼らの手にギターがあったら。もし自由に歌い、議論できる広場があったら。歴史は違っていただろう。
この可能性は、空想ではない。実在していた。わずかな条件の違いが、それを実現させなかっただけだ。
構造の問題
ここで構造的な問題に目を向ける必要がある。
なぜ中国には「出口」がなかったのか。
第一に、革命の徹底性である。
中国共産党は、権力から独立したすべての社会的基盤を破壊した。
地主階級、伝統的知識人、宗教組織、商人階級。私有財産も廃止された。
東欧の社会主義は、ソ連に押し付けられたものだった。だから既存の社会構造がある程度残った。カトリック教会、伝統的な結社、知識人のネットワーク。
これらが「隙間」を作った。
中国では、革命が内発的だった分、徹底的だった。
第二に、経済構造である。
すべての人が「単位(ダンウェイ)」に所属し、国家に経済的に依存していた。経済的自律性がなければ、思想的自律性もない。これは単純な唯物論ではなく、身体的な事実である。
第三に、地政学的条件である。
東欧はソ連の衛星国だった。だから1980年代にゴルバチョフが方針を変えると、連鎖反応が起きた。中国は独立した大国で、外部の変化に左右されなかった。
第四に、そして最も重要なのは、文化大革命という「時間」である。
1968年から1989年の21年間、少なくとも1978年の改革開放までの10年間、西側と東欧が市民社会を育てていた時、中国は逆のことをしていた。自律的な空間を破壊していた。
この10年の差が決定的だった。
民意か?西側のせいか?
しばしば「中国が独裁的なのは、儒教文化のせいだ」という議論を聞く。あるいは逆に、「すべては西側の帝国主義のせいだ」と。
たしかに西側の暴力は実在した。
アヘン戦争、不平等条約、租界。これらは「文化」では説明できない外部からの暴力である。この事実を否定することは、歴史修正主義である。
しかし同時に、その暴力への応答は選択だった。
日本と中国は異なる道を選んだ。
インドも中国も半植民地状態を経験したが、異なる帰結に至った。
選択には理由がある。清朝が異民族王朝だったこと。広大な国土の統治の困難さ。伝統的エリートの硬直性。そして何より、屈辱の深さ。
しかし、選択は選択だ。
毛沢東という個人の思想と性格も大きかった。
歴史は構造だけでなく、むしろ偶然や「個人」に左右される。
重要なのは、「すべて〜のせい」という単純化を避けることだ。
西側の暴力が条件を作り、歴史的・文化的背景が可能性の範囲を規定し、その中で特定の選択がなされ、それが意図しない帰結を生んだ。
これが歴史の真実である。
世界的連帯とは何だったのか
1968年、世界的連帯があったように見えた。同じ音楽、同じスローガン、同じ理想。
しかし、その連帯は表層的だった。
真の連帯は、感情的共鳴だけでは成立しない。構造的理解が必要だ。
なぜ彼らには自由があり、僕たちにはないのか。この問いを共有すること。そして、その構造的な違いを理解すること。
1989年、東欧の民主化を見て、多くの人が「歴史の終わり」を語った。自由民主主義の勝利だと。
しかし、天安門事件はその楽観を打ち砕いた。
歴史は終わっていない。構造は簡単には変わらない。市民社会は一朝一夕には育たない。
真の連帯とは何か。
それは感情的共鳴と構造的理解の統合である。普遍的理念と個別的文脈の緊張関係を生きることだ。文化的表現と政治的実践を両方含むことである。
そして最も重要なのは、自律的な空間を育て、守る持続的な努力だ。
これには時間がかかる。20年、30年、50年。しかし、諦めなければ、可能性は残る。
若者のエネルギーの行方
今、世界中で若者が怒っている。気候変動、格差、政治への不信。
このエネルギーはどこに向かうのか。
歴史は教えてくれる。同じエネルギーが、創造にも破壊にもなり得ると。
決定的なのは「空間」だ。
怒りを表現する空間。創造する空間。対話する空間。失敗が許される空間。試行錯誤できる空間。
もしこの空間があれば、エネルギーは創造に向かう。なければ、破壊か諦めに向かう。
文化大革命の教訓は何か。
若者のエネルギーを利用してはならない、ということだ。毛沢東の罪は、若者の理想主義を自らの権力闘争の道具にしたことである。そして、その後彼らを見捨てたことだ。
紅衛兵の多くは、今も苦しんでいる。
「なぜあんなことを」と。彼らは加害者であり、被害者である。
若者のエネルギーは、若者自身のものでなければならない。大人の役割は、それを導くことではなく、空間を提供することだ。
「あり得たはずの歴史」から学ぶこと
冒頭に戻る。
なぜ「あり得たはずの歴史」について考えるのか。
それは、可能性が実在していたことを確認するためだ。
そして、同じことが今も起きているからだ。
文化大革命は、本来なら中国版の「1968年」になり得た。若者の純粋な怒り、理想主義、変革への情熱。これらはすべてあった。
足りなかったのは、それを創造に変える「空間」だけだった。
もしギターがあったら。もし自由に歌える広場があったら。もし議論が許されていたら。
歴史は違っていただろう。
今、世界で起きていること
そして今、僕たちは同じ構造を世界中で目撃している。
日本はどうだ?
若者たちは怒っている。低賃金、将来不安、政治への不信。既成政党は機能不全に見える。
その怒りが、どこに向かっているか。
ある者は諦めに向かう。
政治から距離を置き、個人的な生き残りに専念する。
ある者は単純な答えに飛びつく。
「すべて〇〇のせいだ」という説明に惹かれる。
参政党のようなポピュリズム政党が支持を集める。
なぜか。創造的な出口がないからだ。自分たちで何かを作り出す空間がない。
紅衛兵と同じ構造だ。怒りはある。しかし、それを建設的に表現する手段がない。
アメリカは?
分断が深まっている。左派と右派が対話できない。互いを「敵」と見なす。
これも同じだ。共鳴する空間が失われた。異なる意見を持つ人と、同じ場所で音楽を聴き、議論し、共に何かを作る経験がない。
身体的な共鳴がなければ、抽象的な「連帯」は生まれない。
ヨーロッパ、韓国、世界中で。
若者の怒りがある。気候変動、格差、戦争、未来への不安。
この怒りは正当だ。問題は実在する。
しかし、そのエネルギーがどこに向かうかは、決まっていない。
歴史は繰り返すのか
「あり得たはずの歴史」は過去の話ではない。
今、同じ分岐点に僕たちは立っている。
若者のエネルギーは、創造にも破壊にも向かい得る。対話にも暴力にも。希望にも絶望にも。
決定的なのは「空間」だ。
もし若者に、自由に表現できる空間があれば?
議論できる場があれば?
失敗が許される余地があれば?
試行錯誤できる時間があれば?
エネルギーは創造に向かう。
もしその空間がなければ?
あるいは、その空間を権力者が奪おうとすれば?
既得権益層が若者を排除すれば?
エネルギーは破壊に向かう。
あるいは諦めに。
あるいは、単純な答えを提供する扇動者のもとへ。
僕たちの選択
問題は、僕たちが何を選択するかだ。
若者のエネルギーを恐れるのか、信頼するのか。
統制しようとするのか、空間を提供するのか。
対話の場を守るのか、分断を放置するのか。
異なる意見を持つ人が共鳴できる場所を作るのか、それぞれが別々の情報空間に閉じこもるのを許すのか。
身体的な共同性を育てるのか、バーチャルな分断に任せるのか。
実際に会って、音楽を聴き、議論し、共に何かを作る経験を大切にするのか。
自律的な空間を守るのか、すべてを市場か権力に委ねるのか。
金にならなくても、権力に都合が悪くても、存在し続けるべき場所があるのか。
文化大革命の教訓は明確だ。
🎗️──未来は開かれている
1968年と1989年を振り返ることは、過去を懐かしむことではない。今を理解し、未来を選択するためだ。
同じ若者の怒りが、制度と文化によって、天国にも地獄にもなる。
「あり得たはずの歴史」は、単なる空想ではない。それは実在した可能性だ。わずかな条件の違いが、それを実現させなかった。
そして今、同じ可能性が、同じ危険が、目の前にある。
日本でも、アメリカでも、世界中で。
若者たちは怒っている。その怒りは正当だ。問題は実在する。
しかし、その怒りがどこに向かうかは、まだ決まっていない。
僕たちが、どんな空間を用意するかにかかっている。
若者たちの手に、マイクを。 彼らの前に、広場を。 彼らの周りに、自律した空間を。
対話できる場所を。 失敗が許される余地を。 共鳴し合える時間を。
時間はかかる。しかし、諦めなければ、少しずつ変わる。
歴史は決定されていない。構造は強固だが、変わらないわけではない。
そして、「あり得たはずの歴史」から学んだことがある。
可能性は、わずかな差異によって、実現したり実現しなかったりする。
だから、わずかな努力が、決定的な違いを生むかもしれない。
問題は、僕たちが何を選択するかだ。
歴史は終わっていない。未来は開かれている。
(2025年10月)
