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ロックが鳴り止む前に私たちができること──ブーイング1つで世界は変わる

権力は、いつも同じ顔をして終わる。

側近たちの拍手だけを聞き続けた男。戦車の前に祈りで立った市民。SNSの一本の動画から崩れた30年体制。形は違っても、最後の瞬間に共通しているのは、ひとつのことだ。

民衆が立ち上がり、声を上げ、権力は終わる。

そして音楽は、ロックは、その瞬間をずっと歌い続けてきた。

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第一章|ベニート・ムッソリーニ

20年以上にわたって、ムッソリーニは「強い指導者」として演出されてきた。演説では大衆が熱狂し、メディアは彼の言葉をそのまま伝えた。だが1943年以降、戦況の悪化とともに、その熱狂は急速に冷めていく。

1945年4月、北イタリアからスイスへの逃亡を図ったムッソリーニは、愛人クラーラ・ペタッチとともに、市民レジスタンス(パルチザン)に拘束された。
裁判と呼べるようなものはほとんどなく、翌日には銃殺刑が執行された。遺体はミラノのロレート広場に運ばれ、逆さに吊るされて市民の前にさらされた。
有名な写真なのでここでは割愛するが、戦後イタリアでは、この光景が「独裁者の末路」の象徴として、長く語り継がれることになる。
20年間「絶対的」に見えた権力が、わずか数日で消えた事実は、その後のヨーロッパ各国における、強権的指導者への警戒感の原点のひとつになった。

Meet the new boss, same as the old boss

The Who「Won't Get Fooled Again」の一節だ。新しいボスは、古いボスと同じだ──という、革命後の世界に向けた皮肉で、この章を締めたい。

The Whoは歌う。
ムッソリーニの崩壊は、独裁の終わりであると同時に、「次に来る権力もまた、同じように監視しなければならない」という教訓の始まりでもあった。

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第二章|ニコラエ・チャウシェスク

Bob Marley「Redemption Song」

マーリー自身、病に侵されながらこの曲を録音したと言われている。その静かな弾き語りには、悲壮さよりも、ある種の覚悟がにじむ。

Emancipate yourselves from mental slavery

自由は、誰かが与えてくれるものではない──「数」と「祈り」による革命と、この言葉は、不思議なほど呼応している。

チャウシェスクは25年間、秘密警察セクリタテ」を通じて、国民の生活を管理し続けた。公の場では、組織された群衆が彼の演説に拍手を送ることが、長年「当たり前の風景」だった。

1989年12月、ブカレストのバルコニーから演説していたチャウシェスクは、いつもと同じ拍手を期待していた。

しかし、群衆の一部からブーイングと怒号が起こる。生中継のテレビカメラは、その混乱と、チャウシェスクの表情から余裕が消えていく様子を、そのまま映し続けた。

数日後、夫妻は逃亡先で拘束され、即席の軍事法廷を経て、その場で銃殺された。東欧の中でも、もっとも血の流れた政権交代として、その後も長く記憶されている。

「拍手しか聞いてこなかった指導者」は、最初のブーイングに耐えられない。

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第三章|フェルディナンド・マルコス

1986年、フィリピン。
前年の大統領選挙における大規模な不正が明らかになったことをきっかけに、市民の怒りは一気に膨らんだ。教会やラジオ局からの呼びかけに応じ、数百万人がエドゥサ通りに集まった。

政権側が送り込んだ戦車に対して、市民は武器を持って対抗するのではなく、花やロザリオを手に、戦車の前に座り込んだ。やがて軍の一部が離反し、マルコスは大統領宮殿を追われ、ハワイへ亡命した。

銃声のほとんど聞かれない、稀有な革命だった。この「ピープルパワー革命」は、その後の東欧革命やアラブの春における「非暴力での体制転換」のモデルケースとして、繰り返し参照されている。

Patti Smith「People Have the Power」。

The people have the power to redeem the work of fools

パティ・スミスが歌う「愚か者たちの仕事を、人々の力で正していく」という言葉は、まさにこの瞬間のためにあったように聞こえる。

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第四章|ホスニ・ムバラク

How long, how long must we sing this song?

U2「Sunday Bloody Sunday」の、この問いかけから始めたい。

2011年、エジプト。
それまでの独裁の終わり方と、ここから少し変わってくる。きっかけは、警察の暴力で命を落とした若者の写真がSNSで拡散されたことだった。

組織化された反体制派だけでなく、それまで政治的な活動と無縁だった、ごく普通の市民たちが、タハリール広場に集まり始めた。連日、数百万人規模のデモが続き、18日間の抗議の末、30年間続いた体制は終わった。

この、いわゆる一連の「アラブの春」と言われる出来事以降、「SNSが独裁の維持を難しくする時代」という言い方が、各国の政治分析でも使われるようになった。情報を統制すること自体の難易度が、決定的に変わった瞬間でもあった。

広場に集まった市民たちの間で、繰り返し流れていたのが、この曲だった。
ボノは「これは政治的な歌ではない」と言い続けた。だが、暴力ではなく声によって変化を求めるという姿勢そのものが、もっとも政治的だった。「いつまで、この歌を歌わなければならないのか」──この問いかけそのものが、普遍的だったからこそ、北アイルランドという特定の文脈を超えて、世界中の抗議の現場で歌われ続けてきたのだろう。

もうひとつ、この章に置きたい曲がある。
Public Enemy「Fight the Power」だ。

ロックが「声を上げ続けることの普遍性」を歌うのに対し、ヒップホップは、もっと直接的に「権力そのものに抗え」と叫ぶ。
タハリール広場に集まったのが、それまで政治と無縁だった若者たちだったことを考えると、U2の問いかけと、Public Enemyの直接性は、世代も国境も越えて、同じ広場で鳴っていたとしても不思議ではない。

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第五章|ムアンマル・カダフィ

42年間、リビアを支配したカダフィは、「私こそが国家だ」と公言していた男だった。豊富な石油資金を背景に、強力な治安部隊を維持し、反対派を徹底的に抑え込んできた。

2011年、チュニジア・エジプトに続いてアラブの春の波がリビアにも及ぶと、各都市で反政府デモが武装蜂起へと発展した。

途中で一曲、挟んでおきたい。
The Clash「Rock the Casbah」。

中東の音楽文化への規制をモチーフにしながら、パンク特有の軽快なビートで「規制されても、人々は鳴らし続ける」ことを歌っている。リビア国内でも、体制側が押さえつけてきた表現や音楽が、内戦の混乱の中で一気に噴き出した、という側面があった。

NATOの介入もある中で内戦は長期化したが、最終的に首都トリポリが陥落し、カダフィは故郷シルトに逃れた。そこで市民軍に拘束され、その直後に生涯を終えた。

42年という統治期間は、当時の国民のほとんどが「カダフィのいない国」を知らないという状態を生み出していた。それでも、終わりは訪れた。永遠に見えた時間も、終わりは常に「突然」やってくる。

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第六章|スハルト

インドネシアのスハルトは32年間、強権体制を敷いた。経済成長を背景に体制への支持を維持してきたが、1997年のアジア通貨危機で状況は一変する。物価が急騰し、生活が直撃された市民、特に学生たちの不満が一気に噴き出した。

Marvin Gaye「What's Going On」
学生たちが街頭に出る前、社会のあちこちで静かに広がっていた「これは、おかしいんじゃないか」という空気──それを、声高な抗議ではなく、問いかけるような優しさで歌った曲だ。

各地の大学から始まったデモは、やがて首都ジャカルタの国会議事堂前を学生たちが占拠するまでに拡大した。軍内部からも体制離れの動きが出始め、最終的にスハルトは自ら退陣を発表した。

32年という、ほとんど「永遠」のように見えた体制が、わずか数カ月の抗議で終わった。退陣後のインドネシアは、その後20年以上をかけて、民主的な選挙制度を定着させていく道を歩んでいる。

Power to the people, right on

John Lennonは、この言葉をそのままタイトルとサビにした。行進のための歌として書かれたというこの曲のシンプルさは、学生たちが街頭に出て、行進し、声を上げ続けたという、スハルト体制の終わりの光景に、よく似合う。マーヴィン・ゲイの「問いかけ」と、レノンの「行進」──ソウルとロックが、同じ時代の前半と後半を担っているような構図だ。

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最終章|高市早苗と斎藤元彦は、なぜ問題なのか

ここまで見てきた6人は、いずれも独裁者と呼ばれた人物だ。彼らが独裁者だと言いたいのではない。日本は民主国家であり、選挙によって選ばれた政治家を、独裁者と同列に語ることは正確ではない。

実際のところ、独裁の「始まり方」には、ある共通点がある。

権力者が説明責任を軽視する。 支持者がそれを許容する。 メディアが萎縮する。 そして市民が「どうせ変わらない」と諦める。

このプロセスが進んだとき、民主主義は、ある日突然崩れるのではなく、時間をかけて劣化していく。

森山元幹事長が独裁者と評した高市早苗

政策の方向性そのものより、異論や批判にどう向き合うか、という姿勢こそが問われている。

Come senators, congressmen, please heed the call

Bob Dylan「The Times They Are A-Changin'」の一節だ。

議員たちよ、この声を聞け──1964年に歌われたこの言葉は、2026年の日本にも、そのまま通じる。時代の変化は、いつも権力者の予想より早くやってくる。それを「聞く」側に立つか、最後まで「聞かない」側に立つか。その違いだけが、後の評価を分ける。

菅野完が人殺しと怒鳴った斎藤元彦

正直に言うと、ここまで書きながら「自分は何様なんだ」と思う瞬間が何度もあった。それでも書く。書かなければ、結局はチャウシェスクの前にいた群衆と同じになる。

議会での3号通報の扱いや、公文書公開請求への対応のあり方が、繰り返し問題になっている。説明責任という、民主主義の最も基本的な部分が、後回しにされているように見える。

ここで、一曲だけ、毛色の違う曲を挙げたい。Charles Mingus「Original Faubus Fables」

1957年、人種隔離政策を強行したアーカンソー州知事フォーバスを、ミンガスは曲の中で名指しで揶揄した。

Name me someone who's ridiculous

「滑稽な人物を、誰か挙げてみろ」──という掛け合いの中で、知事の名前が呼ばれる。現役の知事を、ミュージシャンが音楽の中で直接風刺した、数少ない実例だ。当時のレコード会社は歌詞入りでのリリースを渋ったというが、それでもミンガスは録音を残した。

そしてその兵庫県庁前で毎週金曜日に必ず行われる「金曜日県庁前抗議集会」。この場で必ず歌われる唄がある。

「ウィシャルオーバーカム(We Shall Overcome)」は、アメリカの代表的なプロテストソングだ。日本語では「勝利を我等に」と訳され、直訳すると「我らは打ち勝つ」となる。1950年代から60年代にかけてのアメリカ公民権運動において、人種差別撤廃や平等を求めるシンボルとして広く歌われてきた。つまり、この活動は、いま神戸で問われている問題、すなわち不義の根底にあるレイシズムや不平等への政治的怠慢への抵抗であるということだ。


チャウシェスクは拍手しか聞いていなかったから、最初のブーイングに耐えられなかった。スハルトは、学生たちの声に最後まで向き合わなかったから、突然のように見える終わりを迎えた。ミンガスが鳴らしたのは、ブーイングよりもっと前の段階──「おかしい」と、誰かが名前を挙げて言うこと、その第一歩だった。

ここで思うのは──声を上げ続ける限り、権力者はそれを無視できなくなる、ということだ。

ロックは、長い間「反抗のポーズ」だと思われてきた。だが、今回振り返った6人と9曲が示しているのは、その逆だ。ポーズで終わった体制はひとつもない。声を上げた市民、行進した学生、揶揄した音楽家──彼らは皆、最後まで「自分の足で立っていた」。

私たちに戦車も、広場を埋める数百万人も、必要ない。投票所に行くこと、おかしいと思った瞬間にそれを言葉にすること。それだけで十分、ロックだ。

肩書きや、組織や、これまでの「当たり前」が崩れたとき──残るのは、自分自身の言葉と行動だけだ。

How does it feel, to be on your own

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