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「軋轢」の美学──東京ロッカーズという戦場でフリクションが鳴らした魂の叫び

今更ながら、映画『ストリート・キングダム』の話をしたい。

あの「東京ロッカーズ」の熱狂が、スクリーンの向こうで甦ってきて、こっちもそんな気分になった。

1970年代後半、中学生から高校生だった私は、神奈川県央のなんの面白みのない住宅街から、音楽雑誌のモノクログラビアに映る彼らを、遠い国の出来事のように、しかし痛烈な羨望とともに眺めていた。

新宿LOFTという「聖地」の重い扉をはじめて叩いたのは、大学に入ってからのことだ。その時すでに、東京ロッカーズは別の何かに進化──あるいは霧散──していた。だからこそ、この映画が描き出す「あの瞬間」の空気感には、かつての田舎の少年が抱いた幻想と、大人になってどころか初老の私が見つめるリアリズムが交錯して、胸を熱くさせられた。

スタッフやキャストたちの愛と勇気と情熱がびんびんと伝わってくる。
宮藤官九郎さんの脚本ゆえ、少しコメディに寄りすぎているきらいはある。だがそれもまた彼の美学なのだろう。
彼より5歳年上の私からすれば、当時の新宿LOFTは単なるライブハウスではなく、文字通りの「戦場」だった。

日本の音楽が、押し寄せるコマーシャリズムと剥き出しのアイデンティティの間で、血を流しながら繰り広げる苛烈な戦争の最前線。
私もその戦争に巻き込まれ、メジャーな音楽を遠ざけインディを愛好し、ロック兵士の一員として、片田舎でラジカセ抱えて戦っていた。

その戦地で、一組、独異なスタイルで他を圧倒し、唯一無比の存在感を放っていたのが「軋轢」──そう、フリクション(Friction)だ。


ニューヨークの風を「摩擦」に変えた孤高の魂

フリクションは、東京ロッカーズ・ムーブメントにおいて、他のバンドとは明確に異なる「異物」だった。その核心にいたのが、ボーカル&ベースを担うリーダー、レック(RECK)である。

レックは1970年代前半、マルチ・アート集団で活動した後、1977年にニューヨークへ渡る。
そこで彼が目撃したのは、ジェームス・チャンス率いるコントーションズ、リディア・ランチのティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスといった、初期ノー・ウェイヴの凄まじい現場だった。既存のロックの文法を根底から破壊し、不快感そのものを音楽として提示するその姿勢は、レックの内側に眠っていた何かに確実に触れた。

帰国したレックは、ドラムのチコ・ヒゲ、元はぐれ雲のギタリスト恒松正敏(ツネマツ)と、伝説的な3ピース編成を組み上げる。
バンド名は、NYのテレビジョンの楽曲から借用した「摩擦(Friction)」

都市の孤独、情報の過密、人と人が触れ合う瞬間に生じる鋭利な痛みを音にする──そんな「覚悟」みたいなものが、すでにバンド名の選択に滲み出ていた。


『軋轢』という名の歴史的到達点

1978年、S-KENスタジオを起点とした「東京ロッカーズ」のライブイベントで、フリクションは瞬く間にシーンの頂点に立つ。新宿LOFTのステージに立ったレックは、ベースを武器のように構え、空間そのものを切り刻んだ。

1979年のオムニバス盤『東京ROCKERS』に収録された彼らの演奏は、当時のリスナーの鼓膜を文字どおり切り裂き、

1980年、坂本龍一プロデュースによるファーストアルバム『軋轢』が世に放たれる。

坂本の計算された洗練に対し、レックが「ライブのエッジが削がれた」と不満を口にしたというエピソードは語り継がれている。
プロデューサーとアーティストの間に走った、まさしく「摩擦」そのものだ。だが結果として、このアルバムは日本初の本格的なパンク/ニューウェイヴ・アルバムとして歴史に刻まれた。

「I Can Tell」の冷徹にうねるベースライン。

「Automatic-Fru.」の焦燥感。

「Pistol」の破壊的なリフ。

「百年」では諧謔の刺激。

レックの、英語を極限まで解体し日本語と混ぜ合わせたような独特の詠唱スタイルは、感情を排しているようでいて、その奥底に狂おしいほどの熱を秘めていた。

パンクでありながら、決して「洋楽パンクのコピー」ではない。
ノー・ウェイヴの不協和音とポストパンクの硬質な冷たさ。それが新宿LOFTという閉鎖空間で増幅されたとき、そこには誰も介入できない絶対的な宇宙が生まれていた。


流動する摩擦、それぞれの道

フリクションの特異性は、その「流動性」にもある。恒松正敏、チコ・ヒゲといった強烈な個性が脱退した後も、レックはメンバーを入れ替えながら活動を続けた。茂木恵美子、ヒゴヒロシ、イマイアキノブ、サトウミノル──それぞれがフリクションという場でレックと火花を散らし、その後E.D.P.S.、ソロワーク、あるいは絵画へと、固有の表現を切り開いていった。

そして2006年以降、元BJCの中村達也との2人編成で再始動したフリクションは、もはやバンドという概念を超えている。二人の間に張り詰める緊張が、そのままステージの空気になる。メンバー交代は弱体化ではなかった──それはレックが、「摩擦の相手」を常に更新することで、自分自身が鈍らないようにしてきた、彼なりの生き方だったのだと今は思う。


「自分の音を鳴らす」ことの、途方もない孤独と強さ

フリクションが提示した最大の意義とは何か。
それは「自分自身の音を鳴らす」という一点に対する、揺るぎない執着だ。

「いかに洋楽を模倣し、いかに売るか」というコマーシャリズムの波が日本のロック界を飲み込もうとしていた時代、彼らはその波に背を向け、己の内側にある得体の知れない衝動を純粋に磨き上げた。

ライブはエンターテインメントではなく、自己のアイデンティティを証明するための戦いだった。その姿勢は、時代が変わっても色褪せない。コマーシャリズムとアイデンティティの狭間で今も揺れている表現者にとって、フリクションの存在はひとつの答えではなく、正しい問いを突きつけてくる。


再び、スクリーンのアティチュードへ

そして映画『ストリート・キングダム』に戻る。

私がこの作品で最も深く感銘を受けたのは、間宮祥太朗が演じたレック(劇中名DEEP、バンド名「軋轢」)の完成度だ。

サングラスの奥に潜む、獲物を狙うような冷徹な眼差し。銭湯の裸のシーンでさえ消えない殺気。ステージに立った瞬間、ベースを武器のように構え空間を切り裂くスタンス。「演じる」のではなく「憑依させる」という高い集中力──間宮はあの時代のレックを、理解した上で身体ごと体現していた。

そしてそれは間宮だけではない。他のバンドを演じた役者たちもまた、当時のロッカーズへの解像度の高いリスペクトを全身から放っており、誰一人「コスプレ」に見えなかった。役者たちが、あの時代を生きた人間の体温と緊張を、きちんと自分のものとして引き受けていた。

宮藤官九郎の物語では、その根底に流れる「正しいアティチュード」──安易な妥協を許さないカッコ良さ──は、一点の曇りもなく表現されていた。フリクション(軋轢)のシーンが過度に美化されることなく、しかし孤高の存在感を保っていたことに、長年のファンとして、そして同じ業界の経験者として、私は深い敬意を表したい。

神奈川県央のなんの面白みもない住宅街から、憧れの眼差しで新宿を見つめていたあの頃の自分に、今の私はこう伝えたい。

「あの戦場は本物だったし、彼らが鳴らした音は、今も君の血の中に流れている」と。

摩擦(フリクション)は、熱を生む。そしてその熱こそが、時代を切り拓くエネルギーになる。
あのラストシーンで間宮祥太朗が見せたアティチュードの正しさこそ、東京ロッカーズが後世に手渡した、最も重要な遺産なのだと──私は確信している。

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