斎藤元彦支持者たちの内部分裂が激化する夏──なぜ彼らはまとまれないのか?
県の財政問題ポストでフォロワー数が増えつつある斉藤元彦と、いつにも増して擁護・支持するリプやポストで快哉をあげる斉藤元彦信者たち。
と思っていたところ、以前からくすぶっていた問題が顕在化しつつあるらしい。
斎藤擁護アカウントとして有名な政治系配信者・香椎なつ。元々はゲーム実況者として活動していたが、2024年に兵庫県告発問題を解説してから一躍注目を浴びるようになった。
7月18日、そんな彼が、これまで伏せていた事案をまとめて公表した。
これまでお話ししてこなかった事案を、皆さんにお話しさせて頂きます。
— 香椎なつ(ryo) (@es_335_ryo) July 18, 2026
これまで、当方における刑事・民事での争いは、私が公表しているものとして川村元市議案件1件のみですが、
被告訴人としての刑事事案がもう1件、そして私からの民事案件が現在複数件ございます。…
彼が抱える民事・刑事の争いごと、その相手方の多くが、反斎藤派ではなく、同じ斎藤支持を名乗る側から来ているという。検討中を含めた民事は十件を超え、大半が親斎藤派とおぼしき人々を相手取ったものだと彼は書く。反対派からの刑事告訴もあるにはあるが、活動の妨げという一点では味方の側の言説のほうがよほど質が悪い、というのが彼の見立てだ。
敵より味方が厄介だ、と支持運動の当事者自ら語る、というのはなかなか出てこない類いの告白である。
同じ日、香椎はサキシルの新田哲史に宛てた長文も出した。
株式会社ソーシャルラボ
— 香椎なつ(ryo) (@es_335_ryo) July 18, 2026
サキシル 新田氏へ
【先の事案に関し、貴殿から何ら見解を示されなかったことについて】
ジャーナリストを自負されておられる貴殿の情報発信に対する姿勢とその信憑性に、極めて重大な疑義が生じていることを、ここに指摘させていただきます。… https://t.co/34E8d22udG
裏取りのない発信を重ねたうえ、当事者からの説明要求を黙殺しているとして、二十四時間以内の見解表明を迫り、応じなければ厳正に対応すると通告している。新田を起用し続ける各媒体(あるの?)への警鐘にまで踏み込んだ。
ただ、これは香椎の側の言い分で、新田が応じるのか黙るのかは、いまの段階では見えない(7/19現在)。どちらの言い分が正しいかには興味はない。むしろ、なぜ味方同士の刃傷沙汰がこうも続くのか、に興味が湧いてくる。
仲間割れの刃は、アンチのそれより刺さりが深い。敵の罵倒には、憎まれて当然という前提があるぶんし、受け流す口実にも事欠かない。ところが同じ旗を掲げていたはずの相手から「お前は本物じゃない」と攻撃されると、正しさそのものを疑われる。だからどちらも引けなくなる。香椎が反派の刑事事案より親派の言説のほうを「看過できない」と書くのは、そういうことだろうと私は読んでいる。
以外にも繰り返されてきた「仲間割れ」
味方割れは、今回が初めてではない。
そもそも2021年の知事選でも自民党が井戸前知事派と斎藤支援派で割れたときから、支持者の側にも「どっちが本物の改革者か」という分断が起きたという。パワハラ告発文書と百条委員会で県政が揺れた時期には、全力で庇う層と、議会対応や世間体を気にする層とで温度差があったらしい。
また、立花孝志が絡んだ局面では、彼のやり方を認めるか嫌うかで、支持者の内部がまた分裂した。手段を選ばず援護する側と、「あれはさすがに引く」という側とが、Xでブロックしあい、コミュニケーションが断絶した。
活動家個人をめぐる賛否も、そのたびにくすぶってきた。
街頭や募金の場での派手な動きで知られる「祖品(そしな)」氏と呼ばれる個人がいる。自身はSNS応援団を統括し動画拡散などで貢献、かつては毎日新聞でその活躍ぶりが取り上げられるほどだった。
だが、この目立ち方じたいが支持者のあいだで、運動の見え方を悪くすると眉をひそめる側と、純粋な行動派だと庇う側に、きれいに二分された。
また祖品氏をめぐっては、誹謗中傷訴訟の弁護士費用などに充てるとしてカンパを募ったことが知られる。本人が用途を明示して支援を呼びかけた一方、着手金や自己資金との関係、収支の報告を求める声が周辺から上がり、金の集め方と使い道をめぐって不信がくすぶった。
誰かが突出するたび、支持者の群れは自分たちの側を点検させられ、点検がまた互いへの疑いを濃くしていった。香椎と新田の一件も、その繰り返しの最新版というだけの話なのだろう。
考察──なぜ、斎藤陣営はまとまれないのか
反斎藤の側と斎藤支持の側とでは、集団としての成り立ちが違う。
その違いのどこかに、割れやすさの出どころがあるのではないか。
以下は、私なりの当てずっぽうを四つ並べたものだと思ってもらっていい。
「器」がない
アンチの側には、既存政党であれ労組であれ既存メディアであれ、人を束ねる器がある。現場でその中心にいるのが、ドンマッツ氏が会長を務める兵庫県政を正常に戻す会(正常会)で、斎藤元彦兵庫県知事の県政を批判・是正を目指す市民団体として組織化されている。
主な活動は定例会見のライブ配信・記録公開、街頭活動(「斎藤元彦展」など)、寄付募集、情報発信。財政悪化、公益通報者問題、パワハラ疑惑などを追及し、県政の透明化・正常化を求めている。YouTubeなどで積極的に動画を公開し、反斎藤派の中心的な役割を果たしている。
一方、斎藤支持のほうは、ネット発の個人発信者がゆるく寄り集まっただけで、そういう器を持たない。器がなければ、摩擦を裏で処理する場所もない。だから諍いは最初から公開の場に転がり出て、個人対個人の潰し合いになる。その面倒を引き受ける中心人物が、この陣営にはいない。だから、そのまま剥き出しの喧嘩を呼んでしまう。
元々斉藤支持を下支えしたのは、応援のLINEオープンチャットやグループが複数存在し、情報共有・応援活動の場としての複数のネットワークが機能していたからだ。主な内容は会見視聴報告、動画拡散、反論投稿の呼びかけなど選挙公報としても勝手連として機能していた。
ただ、この活発なグループは減少傾向にあり、XやYouTube中心に移行したようで、特定のグループは数百人規模で運営されていたが、内部対立や監視強化で一部閉鎖・非公開化が進んでいる。
また、器を作る試みは何度もあったが、どれも個人の人格に紐づいた小さく閉じた集団で、承認制ゆえ外から検証もされず、その運営者自身(祖品氏・
先述)が内部分裂の火種になった。つまり「器がない」のではなく「器が個人依存で乱立しては割れる」というのが実情だろう。
匿名性と顔出しの有無
ここが肝だと私は思っている。
この陣営で一番影響力のある発信者の一人である香椎からして、実名でもなければ顔出しでもない。名と顔を出して動いているのは、「躍動の会」など選挙で信を問う県議・市議か、N国党まわりの面々か、斎藤への抗議行動に噛みつく排外的な一群(配信者など)くらいのもので、支持の本体はほぼ匿名の海だと言っていい。
匿名が土台だと、責任の在りかはぼやける。誰が言ったのかを裁判所に開示させないと落とし前がつかないから、揉めごとは発信者情報開示と訴訟ばかりになる。味方からの訴えばかりが積み上がるのは、この匿名性の裏返しでもあるだろう。
そして皮肉なことに、この一件で名と顔を晒しているのは、元記者の看板を負った新田の側だ。特定できる者ほど、引用され、名指され、標的にされやすい。名を伏せたまま、名を出した相手に説明責任を迫る。その居心地の悪さも込みで、匿名の海はいつも宙ぶらりんのままだ。
「正しいやり方」が人の数だけある。
奥山教授筆頭に、菅野完氏、西脇弁護士、選挙ウォッチャーちだい氏など、元記者、資料と法に強い書き手から、ドンマッツ氏、難波文男氏ら街頭活動の猛者など、アンチ斎藤には、現役のプロや専門家などがバックアップしている。多層的ゆえに、裏付けや専門性など論理性において圧倒的優位であり、容易には崩れない。
一方新田ふうの分析・報道と、香椎ふうの暴露と法的対応は、担ぐ知事が同じでも、やり方の正しさをめぐって噛み合わない。共通の敵が目の前にいるうちは、この差は見ないふりでやり過ごせたが、状況が悪化すると、足を引っ張られている、邪魔されているのではないか、という疑念が積み重なる。
足元に、土地がない。
ここは推測だが、反斎藤の県民には、県政の実害という土台がある。誰が本物の県民の声かは、日々の暮らしが黙って証明してくれる。
ところが斎藤支持は全国から集まる象徴的な支持で、地面を踏んでいない層が分厚いようにみえる。祖品氏は大阪、新田氏は関東、ふくまろや香椎にいたっては定かではない。居住がなければ、自分こそ本物の支持者だという証しを、暮らしや現場では立てられない。要は県民としての支持の実体が見えないのだ。
以上をまとめるとこうなる。
四つは、たぶん一本に束ねられる。
斎藤支持を固く結んだのは「既存メディアという共通の敵」だった。ところがこの敵は、政党みたいに輪郭のはっきりした相手ではなく、抽象的で、倒したのかどうかもよく分からない。「再選」というかりそめの勝利を手にした途端、外へ向いていた熱の行き場が消え、群れは内側に敵を探しはじめる。昨日まで頼もしい多様さだと思っていた顔ぶれが、勝った翌朝には、どこか異物めいて見えてくる。
香椎がいま直面しているのは、個人同士のいざこざというより、ネット発の草の根運動が体質として抱えた問題点なのだと思う。結束を保つことと、正しさを競うこと。この二つは、共通の敵がいるあいだだけどうにか同居して、敵が薄れると引き裂かれていく。味方から次々と訴えられているという彼の状況は、その引き裂かれが目に見える形で表に出てきたものなのだろう。
で、この割れ方に出口はあるのか。
支持者どうしで殴り合わない、という程度の申し合わせを、熱だけで動いてきた群れが自前でこしらえられるか──分かれ目はたぶんそこにある。ただ、束ねる器を持たなかったことが、この運動の強さの源泉でもあった。スピード感と引き換えに手放したものを、勝ったあとから手にするのは、口で言うほど楽じゃない。
訴え合い潰しあっている今、われわれが外から眺めれば、同士討ちだけが、画面に残っている。
そういう状況だ。
