中国に試された高市早苗──今そこにある軍事演習は”存立危機事態”なのか?
中国軍「正義使命-2025」演習
2025年12月29日、中国人民解放軍が台湾周辺で大規模軍事演習「正義使命-2025」を開始した。

陸海空軍にロケット軍を加えた総動員体制。
実弾射撃を伴う港湾封鎖訓練とのこと。
同戦区の報道官は
「『台湾独立』勢力と外部の干渉勢力に対する重大な警告だ」
と主張している。
また中国の王毅外相は30日、北京で開かれたシンポジウムで「日本の現職指導者が公然と中国の領土主権に挑戦した」と述べ、台湾有事は存立危機事態になり得るとした国会答弁を念頭に高市早苗首相を批判した。
王氏は「侵略戦争を発動した日本は反省するどころか、戦後の国際秩序に挑戦している」とも主張。日本の軍国主義復活を警戒すべきだと強調した。
これらが何への「返答」なのか、もはや説明は要らないだろう。
11月7日、高市早苗首相は国会で「台湾有事は存立危機事態になり得る」と答弁した。
中国は即座に反発。日中関係は急速に冷え込んだ。
そして年の瀬、中国はこのように軍事演習という形で「返礼」をした。
中国が年末に何らかの軍事行動を取る可能性は、おそらく以前からあっただろう。しかし高市首相は、その軍事行動を「正当化する完璧な口実」を、わざわざ最高のタイミングで手渡してしまった。
中国東部戦区の公式声明を見れば一目瞭然だ。「『台湾独立』勢力と外部干渉勢力への厳重な警告」──この「外部干渉勢力」が誰を指すのか、説明は要らないだろう。
何が問題だったのか
高市首相の答弁を「正しい」と評価する声もある。「もう戦略的曖昧さの時代は終わった。日本の立場を明確にすることこそが抑止力だ」と。
曖昧戦略の実践こそが力ある政治家の仕事、とはいえ確かに一理ある。永遠に機能するわけではない。
しかし、問題はそのタイミングと方法なのだ。
11月7日の答弁で高市首相が踏み込んだ部分は、用意された答弁資料にはなかった。辻元清美議員の質問主意書で明らかになった事実だ。つまり、アドリブだった。
事前の米国との調整もなく、中国への外交ルートでの説明もなく、国内での丁寧な準備もなく。国会答弁という公式の場で、日本の安全保障政策の根幹に関わる発言を、突然口にした。
外交は、緻密に構成されたオーケストラの演奏のようなものだ。一人のソリストが支持者に拍手されたい一心で譜面にない音を鳴らせば、全体のハーモニーは崩壊し、国益は台無しになる。
「立場を明確にする」こと自体は間違いではないかもしれない。しかし、準備なき明瞭化は、抑止ではなく挑発だ。
そして中国は、その挑発に軍事演習で応えた。
なぜアドリブで言ったのか
ここで考えるべきは、なぜ高市首相が準備なきアドリブで踏み込んだのか、だ。
答えは単純だろう。国内の支持者が喜ぶからだ。
高市政権を支えているのは、自民党内の保守強硬派とネット上の熱烈な支持者たちだ。彼らが求めているのは「強い日本」「中国に毅然とした姿勢」──わかりやすい対決の構図だ。
実際、答弁直後の保守系SNSの反応を見ればわかる。「ついに言ってくれた」「本当の愛国政治家」「中国に屈しない姿勢を評価する」──絶賛の嵐だった。
高市首相の頭にあったのは、外交的帰結よりも、この瞬間の「拍手」だったのではないか。
政治家なら誰でも支持者の期待には応えたい。それ自体は理解できる。しかし、外交には相手がいる。そして相手は、日本の支持者の期待など知ったことではない。
山崎拓元自民党副総裁は、この答弁を「中国の習近平国家主席に石を投げたようなもの」と評した。的確な表現だ。
しかし、投げた石が跳ね返って当たるのは、高市首相ではない。この国の一般国民なのだ。
岩盤支持層が求める「わかりやすい敵」
岩盤支持層の政治心理を理解する必要がある。
彼らが求めているのは、複雑な現実の冷徹な分析ではない。わかりやすい物語だ。
「中国は敵」「台湾は友」「日本は毅然と立ち向かうべき」「妥協は弱さの証」──この単純化された世界観の中では、高市首相の答弁は「英雄的行為」に見える。
しかし現実の外交は、そんな単純ではない。台湾問題には日中共同声明という歴史的経緯があり、米国の「戦略的曖昧さ」という微妙なバランスの上に成り立っている。日本の経済は中国と深く結びつき、軍事衝突は壊滅的な結果をもたらす。
こうした複雑な現実を無視して、「わかりやすい強気な発言」をすることは、岩盤支持層を喜ばせるかもしれない。しかし、国益を損なう。
SNS時代の政治家は、この誘惑に常にさらされている。140文字で切り取られる「強い発言」は、瞬時に拡散され、支持者を熱狂させる。しかし外交の相手は、その熱狂など意に介さない。
「明瞭化」という名の博打
ここで想定される反論に答えておく。
「戦略的曖昧さは崩壊している。立場を明確にすることこそが、中国の誤算を防ぎ、戦争を避ける道だ」という意見だ。
しかし、重要なのは順序だ。
明瞭化が抑止になるのは、そこに「圧倒的な実力」が伴っている時だけだ。防衛力の整備、同盟国との緊密な調整、国民の合意形成──これらを後回しにしたまま、言葉だけを先行させるのは「抑止」ではない。ただの博打である。
高市首相がやったのは、準備なき明瞭化だ。実力も体制も整えないまま、岩盤支持層が喜ぶ「強い発言」をした。これは抑止ではなく、挑発だ。そして中国は、その挑発に軍事演習で応えた。
「反省」という名の二枚舌
12月16日、高市首相は「従来の政府の立場を超えて答弁したように受け止められたことを反省点として捉える」と述べた。しかし答弁の撤回はしなかった。
この中途半端さが、すべてを物語っている。
完全に撤回すれば、支持者は「中国の圧力に屈した」と失望する。撤回を拒否すれば、国際的批判が強まる。だから「反省」という言葉だけ使って、実質は何も変えない。
これなら支持者には「圧力に屈していない」と映り、国際的には「配慮している」と言い訳できる。
しかし、この二枚舌が最悪の結果を招いた。中国は「日本は口先だけで実力が伴わない」と確信し、今後も同様の圧力をかけてくるだろう。そして支持者は「もっと強く出ろ」と圧力を強める。
高市首相はこの先、支持者の期待と中国の圧力の間で、さらに無謀な発言をする可能性がある。
誰が代償を払うのか
高市首相の答弁の代償を払うのは、誰か。
支持者たちはSNSで「首相を応援」し、保守系メディアで「中国の横暴」を批判する。しかし日中関係悪化の実際のコストは払わない。
高市首相自身も、支持基盤は固まり、短期的には政権は安定する。
代償を払うのは、一般国民だ。
日中関係悪化の影響はすでに出始めている。11月以降、中国政府は日本への渡航を控えるよう呼びかけ、中国の航空会社は日本行き航空券のキャンセル料を免除し始めた。日本企業の中国ビジネスへの影響も深刻だ。
経団連の会長は「日中経済交流の前提は政治の安定」と指摘せざるを得なくなった。アーティストのコンサートは相次いで中止。民間交流も見送られている。
市民の間でも、電気代の高騰、輸入食品の値上がりに頭を抱える人は多い。我々にとって「存立危機事態」とは、遠い海の向こうの話ではなく、今日明日の家計の中にある現実だ。
中国との取引に依存する中小企業、観光業で生計を立てる人々、東シナ海で操業する漁師たち──彼らは高市首相の答弁を支持したわけではない。
しかし、代償を払わされるのは彼らなのだ。
そして最も深刻なのは、この代償が今後、さらに大きくなる可能性があることだ。
中国は今回、軍事演習という「物理的な圧力」を見せた。次は何を見せるのか。経済制裁のさらなる強化か。尖閣諸島周辺での挑発行動の激化か。
高市首相の軽率な答弁は、こうしたエスカレーションの連鎖を始動させてしまった。
中国の責任と日本の稚拙さ
ここで誤解のないように言っておく。中国の軍事的威嚇は当然、批判されるべきだ。
台湾周辺での軍事演習の常態化、東シナ海での示威行動、経済的威圧──これらはすべて、国際法や地域の安定を脅かす行動だ。中国の覇権主義的な姿勢こそが、東アジアの緊張の根本原因であることは間違いない。
しかし、だからこそ慎重な外交が必要だった。
相手が強硬だからといって、こちらも無策に強硬姿勢を取れば、事態は悪化するだけだ。中国が悪いという前提は揺るがない。だが、その中国に対して、どう立ち回るかが政治の仕事だ。
高市首相がやったのは、準備なき強硬発言で中国を刺激し、軍事演習の口実を与え、日本の選択肢を狭めることだった。
中国の責任と、日本の外交判断の稚拙さは、別々に批判されるべきだ。中国を批判することと、日本の政策判断の失敗を批判することは、矛盾しない。むしろ両方を冷徹に見つめることこそが、真の愛国心ではないのか。
これは明らかな「メッセージ」だ
今回の演習のタイミングは、偶然ではない。
11月7日:高市首相が「台湾有事は存立危機事態になり得る」と答弁
11月中旬以降:中国が東シナ海に艦艇100隻超を展開
12月16日:高市首相が「受け止められ方について反省」
12月29日:中国が「正義使命-2025」演習を開始
演習の名称「正義使命」──これ自体がプロパガンダだ。「外部勢力の干渉に対する正義の行動」という意味を込めている。
陸海空軍にロケット軍まで動員。実弾射撃訓練。港湾封鎖のシミュレーション。これは単なる定例演習ではない。
中国はこう言っているのだ。「日本が台湾問題に関与するなら、こうなる」と。
そしてこのメッセージは、日本国内の世論にも向けられている。「高市首相の発言を支持し続けるなら、経済的な痛みを覚悟しろ」という警告だ。
中国は、日本の民主主義そのものを揺さぶろうとしている。国民が経済的損失に耐えかね、政権に圧力をかけることを期待しているのだ。
火薬庫の中でマッチを擦る愚
東アジアの安全保障環境は、「言葉」が「即座に軍事行動」を呼び出す段階に入った。
我々は火薬庫の中にいる。
この状況で高市首相がやったのは、支持者の拍手を求めて、マッチを擦ることだった。
台湾有事が日本の安全保障に関わることは、客観的事実だ。しかしそれを、アドリブで、準備なく、公の場で口にすることは、戦略ではない。
高市政権にとって、これは最初の、そして最も重い試練だった。
そして首相は失敗した。
問題は、その代償を払うのが、支持者でも首相本人でもなく、この国に住む我々一般国民だということだ。
この先、日本に必要なのは、140文字の喝采でも、勇ましいスローガンでもない。
冷徹な現実認識と、緻密な戦略と、そして何より、言葉の重みを理解した政治だ。
2025年の年末。日本は、支持率に溺れた政治が国益を損なう現場を、目撃している。
