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プレイボールはまだ早い、もしくは遅すぎる──国民投票法改正案成立が、成立していないワケ

野球場が映る。
内野も外野も100人以上の野手が埋め尽くすなか、バッターが叫ぶ。
「これ、おかしいでしょう、不公平だよ」

ところが無情にも審判は「プレイボール」をコールする。

雑誌「通販生活」の製作したこの抗議動画を、私は改めて見た。最後、イギリスやフランスのように有料CMを原則禁止にすべきではないか、と字幕が問いかけて終わる。

作られたのは2018年。
民間放送連盟がその年の9月、憲法改正をめぐるCMの量を自主規制しない、と決めたことへの抗議だった。
8年前だ。
当時これを「大げさな」と受け取った人もいただろう。
いや多くの人が覚えちゃいないか。

だがその8年後の今日、2026年7月24日、参議院本会議で国民投票法の改正案が成立する見通しになっている。動画が鳴らしたプレイボールのコールはから、そのまま試合開始の合図に変わろうとしているのだ。

何が変わったのか──三つの微修正

まず、7月22日に参院憲法審査会を通り、今日成立するその改正案が何をするものなのか、正確に押さえておきたい。自民・維新・国民民主・参政の4党が共同提出した中身は、次の三つだ。

一つ、悪天候などで離島から投票箱を運べないとき、現地に開票所を設けられるようにする。
二つ、投票に立ち会う「立会人」の選任要件をゆるめ、人手を確保しやすくする。
三つ、これまでAM放送に限られていた憲法改正案の広報放送を、FM放送でもできるようにする。

読んで分かるとおり、どれも投票の現場をまわすための事務手続きだ。公職選挙法にすでにある規定に、国民投票のルールを合わせにいく。反対する理由のほうが見つけにくい、地味で真っ当な整備である。採決では、提出4党に加えて立憲民主党と公明党も賛成にまわった。反対したのは共産党とれいわ新選組で、理由は「改憲も改憲手続き法の整備も必要ない」という、賛否以前の立場からのものだった。

つまり今日成立するものそれ自体は、揉める要素をほとんど含んでいない。問題は、成立するものではなく、成立しないまま置き去りにされたもののほうにある。

置き去りにされた宿題

国民投票法には、2007年の成立当初から今日まで、埋まっていない穴ぼこがいくつもある。そのうち最も大きいものが、まさに通販生活が8年前に指を差したCMが指摘した話だ。

現行法は、テレビとラジオの有料広告を投票日の14日前から禁止している。資金力のある側がメディアを買い占めて世論を一方向へ押し流すことを防ぐための線だ。ところが、この線はテレビとラジオにしか引かれていない。
ネット広告──SNSのタイムラインに流れる広告、動画の前に差し込まれるCM、検索結果に並ぶバナー、そのすべてに規制がない
14日前どころか、投票の前日まで、いくらでも打てるのだ。

2007年ならまだよかったのかもしれない。だが広告費の主役はとっくにテレビからネットへ移った。いまや資金のある陣営は、テレビでの14日間の沈黙を守りながら、その裏でネット広告を無制限に流し続けることができる。しかもネット広告は、誰にでも同じものが見えるテレビと違って、特定の年齢や関心の層をねらい撃ちできる。
あなたに見えている改憲賛成の広告が、隣の人には見えていない。反対の広告も同じだ。何がどれだけ流れているのか、外から誰にも見えない

そこへ生成AIが登場した。
事実でない映像や音声を、本物と見分けのつかない精度で作れる時代だ。投票日の数日前に、誰かの偽の発言動画が拡散されたとして、それを打ち消す時間も手立ても、いまの法律は用意していない。海外の国政選挙ではもう現実に起きていることだが、日本の国民投票法にこの手の情報操作や外国からの介入を止める歯止めは、ない。

そしてもう一つ、最低投票率がない
有権者の何割が投票すれば有効、という下限が定められていないため、極端な話、投票率が3割でも、そのうちの過半数が賛成すれば憲法は変わる。全有権者の15%ほどの賛成で国の最高法規が書き換わる計算になる。
それを民主主義だー!正当だー!と叫べるのか──この一点も、20年近く宙に浮いたままなのだ。

「必要な措置を講じる」という定型句

これらの宿題は、今回も手をつけられなかった。

代わりに採択されたのが、7項目からなる付帯決議である。インターネットやAIの急速な普及によって主権者の自由な意思が歪められ、国民投票の結果が正当性を欠くことのないよう、法改正をはじめ必要な措置を講じる──そう書かれている。

問題意識としては、まっとうだし、書いてあることに文句はない。だが付帯決議には法的な拘束力がないのだ。いつまでに、誰が、どうやるのか。その肝心なところが、どこにも書かれていない。「必要な措置を講じる」という一文は、役所と国会が「今はやらない」と言うときの、最も丁寧な言い回しである。

賛成にまわった立憲民主党の小西洋之氏でさえ、討論でこう述べている。
これで国民投票法が完成するわけではまったくない、と。
賛成しながら未完成だと言う。
なんだろう、この居心地の悪さは。
まさに今回の採決の性格をそのまま映している。手続きの整備には反対しづらい、けれど本丸の規制は伴っていない、だから賛成はするが釘だけは刺す──その賛成に何の意味があるのか?。

ネットの改憲慎重派からは、その一部野党の賛成に対して「与党のペースに乗せられた」「チェック機能が働いていない」という声が上がっている。気持ちは分かる。
ただ私は、事務手続きの整備そのものに反対するのは筋が悪いと思う。
立会人の要件をゆるめること自体は、投票を成り立たせるために要ることだ。

批判すべきは、整備に賛成したことではなく、整備だけが進んで規制が置き去りにされているこの順番のほうである。

順番が逆なのではないか

家を建てるとき、土台と柱を先に作って、玄関マットは最後に敷く。国民投票法でいえば、CM規制や資金の透明化や最低投票率が土台と柱で、立会人の要件やFM放送が玄関マットだ。ところがこの8年、いや2007年からの積み残しを見るかぎり、私たちはマットばかり敷き替えて、土台には手をつけていない。

なぜ土台に手がつかないのか。
うがった見方だが、土台の話は、いま多数を持っている側にとって都合が悪いからではないか。ネット広告を規制すれば、資金と発信力のある側の優位性が削られる。最低投票率を設ければ、低投票率のまま押し切る道が塞がれる。つまり土台を整えることは、整える力を持っている側が自分の有利を手放すことを意味する。手放したくない者が、手放すかどうかを決めている。これでは進むはずがない。

もちろん、これは私の見立てにすぎない。与党側にも「まず現実的にできることから」という言い分はあるだろうし、それ自体が不誠実だとは限らない。ただ、8年前の通販生活の動画から今日までの時間の長さを思うと、「まずできることから」がずっと玄関マットで止まっている事実の重さは、無視できないのである。

主権者に残された仕事

私は改憲そのものに反対だとここで言うつもりはない。
憲法を変えるか変えないかは、最終的に国民が決めることだ。私が引っかかっているのは、その手前にある。変えるか変えないかを国民が決めるとき、その判断の材料が、資金力とアルゴリズムとAIによって、フェアでない形で配られてはいないか、ということだ。

土台が傾いたまま試合を始めれば、どちらが勝っても、その結果に「国民が選んだ」という重みを持たせることはできない。憲法という、国のいちばん硬い骨を書き換える一票なら、なおさらだ。

通販生活は8年前、まだ試合が始まる前にサイレンを鳴らした。早すぎたのではない。むしろ、あれだけ早く鳴らしてなお、8年かけて土台の議論が一歩も進まなかったことのほうが深刻だと思う。
今日(こんにち)の成立は終わりではない。
付帯決議に書かれた「必要な措置」が、定型句のまま何年も放置されるのか、それとも本当に法になるのか。
目を離していいのは、そこが埋まってからだ。

プレイボールはまだ早い、もしくは遅すぎた。


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