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必ず最後にCANは勝つ──心配ないからね、ダモの不在は、信じることさ

愛は勝つ

KANがデビューしてからしばらく、カンといえばCanでなくKANだったね。

1992年にKAN(本名:木村和康)が「愛は勝つ」を大ヒットさせたあの頃、私はまだCanというバンドをよく理解していなかった。
日本のKANちゃん、この方は素晴らしい!

それはともかく。

私がCanを、つまりダモ鈴木のCanを「ちゃんと聴いた」のは1995年のことだ。ダモ鈴木という人物の存在を知ったのもそのころだから、熱心なジャーマンロックファンとは到底言えない、遅れてきたファンである。
しかも入口がプログレではなく、デトロイトやらU.K.テクノだったというのだから、Canの古参ファンからすれば「邪道」と言われるかもしれない。

ただ私には、そっちの方が正直な出会いだったと思っている。

実はその以前、70年代にホルガー・シューカイの「ペルシァン・ラブ」は発売当時から好きだった。

あの浮遊感、中東的な旋律とエレクトロニクスの奇妙な結婚。ああいう音楽は好きだった。でもそこからCanには行けなかった。なぜか。

脳がついていかなかったのだ。「なんやねん、これは?」的な。


90年代にカン違いもはなはだしい

プログレの文脈でCanを聴こうとすると、難しい。構成がない、ドラマがない、盛り上がって終わるカタルシスもない。「これはどこへ向かっているんだ」と思っているうちに終わる。70年代の私の脳みそはそういう反応をした。

ところが90年代に入って、ある日ふと聴いたら、するっと入ってきた。

なぜか。
ダンスミュージックに聴こえたからだ。

あの頃、U.K.からテクノ、アシッドハウス、ドラムンベースが怒涛のように押し寄せてきていた。繰り返すビート、ミニマルな反復、言葉よりもグルーヴが先に来る音楽。そういうものに耳が慣れた状態でCanを聴いたら、「あ、これ同じだ」となった。リーベツァイトのドラムが、クラブミュージックのビートと地続きに聴こえた。シューカイのベースが、ダブのグルーヴと重なった。

Canは70年代に「未来の音楽」を作ったとよく言われる。
でも私の体験は少し違う。時代の先を行っていた、というより、時代性そのものを超越していた。時代遅れでもない、時代の先でもない、「今」でもない。いつ聴いてもどこで聴いてもマッチする。それがCanのサウンドだ。

「ペルシァン・ラブ」が好きだったのに本丸のCanに辿り着けなかったのも、今なら理由がわかる。70年代の私には「文脈」がなかっただけで、音楽そのものはずっとそこにあった。Canが変わったのではなく、私が変わった。正確には、音楽の聴き方が変わった。


だも・ダモ・DAMO

そういう経緯でCanにのめり込んだ1995年、ダモ鈴木という人物を知ることになる。

ミュンヘンの路上で奇声を上げながらギターを弾いていたところをホルガーとヤキにスカウトされ、即興のライブで即加入。当時23歳。
このデビューもどうかしているが、去り方も負けず劣らず劇的だった。

後年の本人談では「ポピュラーになって雑誌の表紙に出るのが嫌だった」「サウンドが洗練されすぎて息苦しくなった」。
バンド側の証言では、結婚したドイツ人女性の影響でエホバの証人に入信し、布教活動に専念するため、というのが有力とされる。

そして有名なエピソード(笑)
リハーサル中に突然奇声を上げてスタジオを飛び出し、二度と戻らなかったという伝説まである。

……入り方も出方も、奇声つきとは。一貫してるな、ダモ。

残されたシューカイ、リーベツァイト、カローリ、シュミットの4人は、新しいヴォーカリストを探してオーディションを繰り返した。
でも誰もフィットしない。それはそうだ。
Canのヴォーカリストというポジションは「うまい歌手」ではなく、「4人の音楽に巻き込まれても正気を保ちつつ自分を失える人間」という、ほぼ矛盾した条件を満たさなければならない。そんな人間がオーディションに現れるわけがない。

で、結局どうしたか。「やめた」のだ。ヴォーカリスト探しを。
この潔い諦めが、すべてを変えた。


ドイツの純真

『Soon Over Babaluma』(1974年)は、その覚悟の一枚目だ。

カローリが主にボーカルをとり、シュミットが補佐する。
ダモとは全然違う。柔らかく、軽く、夢の中で聞こえてくる誰かの呟きのような声だ。
Dizzy Dizzy」のキャッチーなリフにしばらく揺られていると、あることに気づく。

これはCanが「ボーカルを埋めた」のではなく、「ボーカルを楽器の一つにした」のだ、と。声は旋律を担うが、意味を担おうとしていない。エレクトリック・ヴァイオリンと絡み合い、どちらが「歌」でどちらが「演奏」かわからなくなる。ダモの時代が「異界への扉」だとすれば、このアルバムは「異界から戻ってきた翌朝」の音楽だ。

そして翌『Landed』(1975年)

16トラック機材を初めて導入した作品で、音の透明度が上がり各楽器が鮮明に分離して聴こえる。「洗練されすぎた」と批判する声もあったらしいが、そういう人にはオープニングの「Full Moon on the Highway」のブギーを聴かせてやりたい。あれのどこが大人しいのか。

Side Bの「Vernal Equinox」は9分超の集団爆発で、言葉がなくても4人が互いを信頼していることだけが音で伝わってくる。

Unfinished」は13分、未完のジャムで終わらないまま終わる。これはすごい曲、タイトルまで正直なバンドだ。

この二枚に共通しているのは、私がテクノ経由で感じたあの「いつでもどこでもマッチする」感覚が、ダモ脱退後にさらに強まっていることだ。ボーカルが楽器化したことで、人間の声という「時代の刻印」が薄れた。リーベツァイトのビートと4人のインタープレイだけが残り、音楽が純粋な運動になった。だから古びない。


セカイでいちばん暑い夏

後期Canを「下降線」と片付ける人は多い。
プログレ経由でCanに辿り着いた人ほどそう言いがちだ。でも私はテクノ経由で遅れて来たせいか、あまりそう感じない。ダモ時代の三部作が頂点であることは認める。ただ、頂点の後が「下降」かどうかは、どこに立って聴くかによる。のちのジョン・マッケンタイヤ(トータス)などCanの弟子筋だと思っている。

ダモ脱退後のCanはむしろ彼らのコアに近づいている。
ボーカルという余分なものを削ぎ落として、リズムとグルーヴだけで世界を構築しようとした。それは90年代のクラブミュージックが追い求めたものと本質的に同じだ。Canは70年代にそれをやっていた。

……そういえばダモも信仰に行ったんだったな。

皮肉なことに、残された4人も別の意味で「信じること」で音楽を続けた。

ダモが神を信じたあの世界で一番美しい夏、Canは音楽を信じた。
どちらが正解かは知らない。ただ、Canが残した音源は今もここにある。プログレ経由でもテクノ経由でも、どこから来ても、いつ来ても、ちゃんと迎えてくれる。

それが時代を超えた音楽ということだろう。

追伸:ダモ鈴木は2024年2月、74歳で逝去された。奇声で入って奇声で出た男は、最後まで自分の道を生きた。安らかに。

心配ないからね、ダモの不在は。
信じることさ。
必ず最後にCanは勝つ。



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