見出し画像

弱者ではない、だけ。

時折すごく思うことがある。
ここ日本において、強者であるという自覚のない強者がかなり多い。
欧米諸国や東アジアなどの先進国はどこも漏れなく弱者が声を上げやすくなっている。
性差別に関しても人種に関しても。
いわゆる多様性ってやつ。
弱者は自分たちが生きやすいように強者が生きやすいように作り上げた世界の改変をどこも要求している。

そう。
現存する社会は強者が生きやすいように作り上げた世界なのだ。
真に多様性を謳うのであれば、弱者の権利主張と同程度に強者が権利主張をしても良いのだ。
弱者強者というからややこしくなるが、
二つの勢力が権利主張をし、賛同者が多い方が勝つという民主主義のシステムに則っているという書き方をすれば特に違和感ないように私は考える。

欧米の性自認に関する討論番組を見ていると感じる。
彼らはマイノリティは勿論、マジョリティも自らの権利を主張する。
マジョリティが現存の社会の維持のために声を上げるのだ。
ここは日本と大きく違う。

島国である日本は主張する必要性がなかった国だ。
外圧が特になく、自国の存在が脅かされることがない思想的、宗教的に平和な国。
だからマジョリティがマジョリティの自覚がないのだ。

性自認という異国の文化思想が流入してきている現在、日本もこれに対応しようとしている。
だが人にも国にも向き不向きがある。
諸外国の目を気にし、何でもかんでも欧米各国に合わせる必要は全くない。
何を受け入れて何を残すのか。
何が正しくて何を信じるのか。
この軸が今最も問われている。

いいなと思ったら応援しよう!