名前の漢字が少し違うだけで、同じ人間が複数人に分裂する社会|データ上の別人問題
〜9月1日 17:30
渡辺さんという苗字がある。この渡辺の辺には、旧字体や異体字が数十種類存在すると言われる。戸籍に登録されているのがそのうちのどれかによって、この人は、コンピューターの中で別々の人物として扱われることがある。
銀行の口座はナベ。病院の診察券はナベ。役所の記録はナベ。字はどれも微妙に違う。本人にとっては、当然すべて自分である。だが、機械にとっては、そうではない。文字列が一致しなければ、それは別の文字列でしかない。
同じことは、外国籍の人にも起きる。ミドルネームをどこで区切るか。長音を伸ばす記号で書くか、母音を重ねるか。姓と名のあいだにスペースを入れるか、詰めるか。手続きごとに違う書き方をすれば、記録は静かに分裂していく。
私たちは、自分が一人の人間であることを疑わない。だが、データの世界では、その前提は保証されていない。名前の書き方が少し違うだけで、一人の人間が複数人に分かれてしまう。逆に、同姓同名の別人が一人に統合されてしまうこともある。
本稿が扱いたいのは、この、データ上の別人問題である。これは技術的な不具合の話ではない。私たちが誰であるかを、社会がどうやって確かめているのか。その根本に関わる問題だ。順を追って解き明かしていきたい。
第1章:文字が「●」に変わるとき
まずこの問題が抽象的な懸念ではないことを、具体的な事実から確認したい。
マイナンバー制度をめぐって健康保険証や銀行口座に別人の情報が結びつけられる誤りが相次いだことは、広く報じられた。厚生労働省の調査では2021年10月から2022年11月末にかけて、保険証との結びつけ誤りが7300件あまり確認されている。原因の一つとして挙げられたのが同姓同名や生年月日が同じ別人を、誤って登録してしまったことだった。
だが、それ以上に象徴的な現象がある。文字そのものが、記録の途中で消えてしまうという事態だ。
住民記録には外字や旧字、異体字を含む名前が数多く登録されている。ところがその情報を医療保険側のシステムへ取り込む際、対応できない文字が黒丸に置き換わることがある。全国保険医団体連合会は、医療機関の窓口で漢字氏名が黒丸として表示される事例が相次いでいると報告し、その割合が患者数の2割に及ぶという指摘も紹介している。
考えてみてほしい。自分の名前の一文字が、画面上で黒丸になっている。その状態で、本人確認が行われる。
このとき、照合作業には二重の困難が生じる。黒丸を含む名前と、黒丸を含まない名前を突き合わせなければならない。一致するかどうかを、機械は判断できない。人が目で見て推測することになる。そして、推測が入る場所には、必ず誤りが混じる。
さらに、名前の読み方でも同じことが起きている。漢字で智美と書く人が、サトミなのかトモミなのか。東海林という姓がしょうじなのか、とうかいりんなのか。読みは漢字だけでは決まらない。にもかかわらずカナの氏名も記録に登録され、照合の材料として使われる。
つまり、この問題の出発点は、単純な入力ミスではない。私たちの名前が持つ豊かさが、システムの扱える範囲を超えているという、構造的な不一致にある。
ここで注意したいのは、黒丸に置き換わった時点で、情報が失われているということだ。元の文字が何であったかは、その記録からはもう分からない。一度落ちた情報は、後から復元できない。名前の一部が欠けた状態のまま、記録は次のシステムへ渡り、そこでまた別の処理を受ける。欠損は、下流へ流れるほど直しにくくなる。窓口で違和感に気づいた人が、その場で原本にさかのぼれるとは限らない。
第2章:名前は、識別のために作られていない
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8月2日 17:30 〜 9月1日 17:30
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