わたしたちは運がいいね
今日は91回目の母の誕生日。GHへは小さなプレゼントを持参して、いつものように、30分ほど取り止めのない話をした。だんだんと言葉の意味がわからなくなってきていて、「カレンダー」とか、それをぶら下げている「紐」などを目の前にしても、「?」という様子であった。
ただし、会話はギリギリで成り立つ。これがとても面白い。
もう一つ重要なこと。木々が風に揺れる様子や空の色、雲の流れなど、つまりは自然にたいして、ただただ驚嘆して、目をうるうるとさせながら、いいねぇ、ほんとにきれいだねぇ、といったふうに言葉を連発している。逆に言うとそのぐらいしか出てこないのだが、しかしながら、それは実のところ、母は「非言語」の世界の豊さを知ってしまったとも言えるような気がする。なんというか、子どもが「わぁ!」といって、素直に驚きを表すようなものに近いのかもしれない。
母の部屋は1階のいちばん奥にあるのだが、GH内ではおそらく最もよい居室をあてがわれている。理由はわからない。窓から見える隣の家は、だいぶ立派な建物で、軒先の百日紅が夏の陽を浴びてきれいに咲きほこっている。うっすらとしたピンク色の花たちは見ていて飽きることがない。手前のにあるのは桜の木で、4月に入れば満開になる。ちょっと羨ましくもある。
ところで、今日は昔の話をした。母は、というか父もだが、さらに母方の祖父母、父方の祖父母も、植民地朝鮮からの引き揚げ者である(村松武司にならえば「朝鮮植民者」)。やがて戦争が終わり、みな日本へ戻ってきた。母の認知症は緩徐にだが確実に進んでいるけれども、「朝鮮」というワードは消えることがない。
母と叔父(母の弟)、そして祖母は、1946年のある大雨の降る夜に、現在の朝鮮半島の南北を分かつ38度線を命からがら越えて、そのまま南に降ってきて日本へと引き揚げてきた。当時の祖父には赤紙が届いていて、ロシアの奥地へと駆り出されていた。
そんな体験をすれば、自身の脳の奥底に記憶が刻まれるのは当然なのかもしれない。今日は自分が言葉を出すことのできる限界の地点で、何かを伝えようとしていた。いい時間だった。
(この話はとても長くなるので、今日は割愛しておく)
基本的にニコニコしていて、元々天然気質の人ではあるのだが、今日は帰り際に、窓の外を見ながら、いいねぇ、わたしたちは運がいいねぇ、と言っていた。そうかも。ありがたいことだ。私もそうである、か?
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その後、一人で地元の喫茶店へ。すると店主がよってきて、すっかりなくしたと思っていたワイヤレスイヤホンを、これ、前に落とされましたよね、最近お店に来られないから、と言って手渡してくれたのだった。
前後するけど、今日はコンビニでもいつも素晴らしい接客をされる方とも会えた。自身の仕事も進めることができた。夕方には吉祥寺で懸案だった眼鏡をようやく購入することもできた。連れと一緒にカレーも食べた。
共通の知人の仕事の話、別の知人はウズベキスタンへ行ったとか、あるいは別の知人はオレゴンに行ったとか。いろんな話をした。
今日は12000歩も歩いた。凄まじい暑さの、忘れ難い一日の記憶をとどめておく。
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最近のこと:
・中井久夫『治療文化論』途中!もう少し
・映画「この世界の片隅に」
いよいよ韓国朝鮮と日本の近現代史を自身の問題として勉強を開始するタイミング。社会福祉士資格、デザインのまなびも継続すること。
