【古代遺跡を巡る旅⑩】 山鹿・八女:チブサン古墳の装飾美と、古代豪族「磐井」の魂
1. 保存状態に驚く「鍋田横穴群」
朝8時、冷え込む空気の中を30分歩き、まずは鍋田(なべた)横穴群の27号墳を目指します。
ここは、今日のメインである、「チブサン古墳」への途上にあります。
数十ある横穴の中でも、目的の27号墳は最も目立つ場所にありました。
1500年もの間、いたずらされることもなく、この道端に存在し続けてきたということだけでも驚きです。

右側は自然災害で崩落しているものの、左側の装飾は驚くほど鮮明に残っています。
レプリカも精巧ですが、本物が放つ「触れられる距離」の迫力には敵いません。

2. 氷点下の貸切拝観、装飾古墳の傑作「チブサン古墳」へ
次に山鹿市立博物館に向かいます。
ここの博物館からスタッフの方に、チブサン古墳に案内してもらうのです。
今回の旅のスケジュールは、この土曜10時のチブサン古墳拝観予約を軸に組み立てたと言っても過言ではありません。

今週は数年ぶりの大寒波。あまりの寒さに他の予約者は全員キャンセルされたそうで、なんと私一人の**「貸切状態」**となりました。
5年間のカナダ生活で寒さへの耐性がついたのか、私は至って平気で、スタッフの方の解説を独り占めできる贅沢な時間になりました。
スタッフに案内され、ついにチブサン古墳へ。

ガラスが少し曇っていたのですが、内部の装飾は、想像以上に鮮明でした(写真は不可)。
茨城県の虎塚(とらづか)古墳の装飾に似ていて、この距離を越えた共通性は、偶然では説明がつきません。
1400年前の描き手が込めた情熱が、そのまま伝わってくるような感動がありました。
ちなみに「チブサン」という名は、石室内の二つの丸い文様が「乳房(ちぶさ)」に見えることに由来するそうです。古墳の形ではなく、文様そのものが名前の由来だったのですね。

3. 聖域に刻まれた近代の傷跡「オブサン古墳」
すぐ近くのオブサン古墳も案内頂きました。
こちらは装飾こそ失われていますが、石室の中に入ることができます。
驚いたのは、石室の入口に残る銃弾の跡です。西南戦争の際に陣地として使われたそうで、古代の聖域が近代の戦場となった歴史の断片が刻まれていました。
貴重な遺跡が受けた傷跡を目の当たりにし、複雑な感慨を抱かずにはいられません。

4. 山鹿の人の温かさに触れた「八千代座」の対応
山鹿市内に戻り、次に向かったのは江戸時代の情緒を残す芝居小屋、八千代座です。

ここでは、1時間毎の説明会に参加したいのですが、次のバスとのかねあいで、タイミングがあわないうえに、15分しか滞在出来ません。
その旨をスタッフの方に説明し、料金は払うので15分だけ入れてほしいとお願いすると、
「そんなに興味があるなら」と、私のために15分ほどで館内を案内してくださいました。

山鹿で出会う方々は、皆さん本当に温かい。
「山鹿温泉に来たら八千代座へ」ではなく、
**「八千代座を見るために山鹿温泉へ」**と言えるほど、ここは素晴らしい場所です。
「るろうに剣心」の撮影があった影響で、撮影スポットとしての人気も高いそうですが、老若男女問わず、豊前街道の街並みとセットでぜひ訪れてほしいスポットです。

5. 磐井の「乱」ではなく「戦い」 —— 八女・岩戸山古墳の誇り
午後はバスで福岡の八女市へ移動し、本日の最終目的地、岩戸山古墳を訪れます。
6世紀の九州の雄、**筑紫君磐井(つくしのきみいわい)**の墓とされる前方後円墳です。
併設の資料館(無料とは思えない充実ぶり!)では、磐井を「反乱者」ではなく、大和朝廷の侵攻から故郷を守ろうとした**「地元の英雄」として扱っています。
こちらでは「磐井の乱」ではなく「磐井の戦い」**と呼ぶそうです。

スタッフの女性との会話も心に残りました。
私が大阪弁丸出し(西に行くと自然と出ます)で質問すると、「大阪の人は、九州が反乱したと思っているのでは……」と心配しています。
彼女に、「いえ、むしろ北九州こそが古代日本の夜明けの地だと思っています」と伝えると、そこから一気に歴史談義に花が咲きました。

来年は「磐井の戦い」から1500周年の節目。
色んなイベントが計画されているそうです。
地元の方々の熱い誇りを感じるひと時でした。

全ての見学を終え、夜は博多へ移動。
初日に泊まったサウナ付きカプセルホテルが満室だったのは誤算でしたが、別のカプセルホテルも、手頃で快適です。
いよいよ明日は九州最終日。九州の古代の息吹を最後まで噛み締めたいと思います。
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