「いいかげん」を知らない教員は要らない
教員は、真面目であることを求められる。
授業をきちんと準備する。
子どもの変化を見逃さない。
保護者に丁寧に対応する。
提出物を確認する。
行事を安全に進める。
学級の小さな乱れにも気を配る。
どれも大切なことだ。
学校は、いいかげんな仕事では成り立たない。
子どもの命を預かっている以上、確認を怠ってよい場面はない。
教員の一言で、子どもが傷つくこともある。
だから、真面目さは必要である。
しかし、真面目であればあるほどよいわけではない。
すべてを深刻に受け止める教員がいる。
子どものちょっとした失敗に、必要以上に反応する。
同僚の小さなミスを、組織全体の問題のように扱う。
保護者の一言を、いつまでも心の中で反芻する。
予定通りに進まないだけで、自分の指導力が否定されたように感じる。
真面目なのだろう。
責任感もあるのだろう。
だが、その真面目さが、周囲を息苦しくしていることがある。
子どもは、失敗しながら育つ。
忘れ物をする。
友達と言い合いになる。
集中が切れる。
約束を守れない日がある。
分かっていても、うまくできないことがある。
そのたびに教員が深刻な顔をしていれば、子どもは学校を安心して過ごせない場所だと感じる。
失敗するたびに大事件になる。
間違えるたびに人格まで見られる。
少しふざけただけで、すぐに問題化される。
そんな学級では、子どもは伸び伸びと試せない。
教員にも同じことが言える。
若手がうまくできない。
同僚の段取りが悪い。
会議で話が脱線する。
資料に誤字がある。
予定通りに物事が進まない。
そのすべてに正面から怒り、正しさをぶつけ、改善を求め続ければ、職員室は疲弊する。
もちろん、見逃してはいけないことはある。
安全に関わること。
人権に関わること。
子どもを傷つけること。
組織として放置してはいけないこと。
そこには、きちんと向き合わなければならない。
しかし、すべてを同じ重さで扱えば良いというわけでもない。
本当に大切なことを守るためには、どうでもよいことを手放す力が必要である。
「まあ、そんな日もある」
「ここは笑って流していい」
「今は深追いしない方がいい」
「完璧ではないけれど、十分進んでいる」
そう思える幅がなければ、教員自身も、子どもも、同僚も壊れていく。
「いいかげん」とは、無責任という意味ではない。
物事に、ちょうどよい加減を見つけることである。
強く言うべきときには言う。
流してよいことは流す。
待つべきときには待つ。
笑いに変えてよいことは笑いにする。
完璧でなくても、前に進んでいることを認める。
その加減を知らない教員は、真面目さによって人を追い詰める。
子どもに正しさを求めすぎる。
同僚に完璧を求めすぎる。
自分にも失敗を許せなくなる。
真面目さは、教育に必要である。
だが、真面目さだけで教室を満たすと、そこから笑いも余白も消えていく。
子どもが少しふざけられること。
同僚が弱音を吐けること。
自分も完璧でないまま働けること。
そういう「いいかげん」があるから、人はまた立て直せる。
教育に必要なのは、すべてを正しく裁く硬さではない。
大事なものを守るために、力を抜ける柔らかさである。
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