『何も起きない夜日記』(月と文社)に寄稿しました
エッセイを寄稿しました。
5/15くらいから、書店店頭でも販売される予定です。
何も起きない夜日記
ISBN:9784911191064
定価:1,800 円+税
本書は素人のエッセイを集めたアンソロジーです。ここで言う素人とは、文筆を稼業とはしていない、という意味です。文章の技術の話ではありません。月と文社(つきとふみしゃ)という出版社の代表・編集者の藤川明日香さんが声をかけた、17人それぞれの視点で、ある平日の夜のついて日記的な記述(その日の晩御飯やルーティンなど)と平日の夜につらつらと考えていることが織り交ぜられながら綴られています。
昨年月と文社から刊行された『私の孤独な日曜日』では、タイトルの通り、無名の人びとによる、ある日曜日に関するエッセイ集でしたが、今回は「平日」というテーマということで、この2冊を比べて読むとおもしろいです。
私はこれまで「エッセイ」というジャンルはあまり読んだことがありませんでした。実のところ、敬遠していました。エッセイという響きに偏見を抱いていたのだと思います。勝手に、
(1)のんびりとした暮らしや気分が綴られた
(2)読書負荷の低い文章群
のことをエッセイと呼ぶのだと思い込んでいました。
(2)読書負荷が低いという点は今も異存はありませんが、あたかもそれが悪いことのように考えていた自分が恥ずかしい。すぐに読めること、頭に入ってくる文章を書くことはとてつもなくすごいことです。私にはそれができません。今回チャレンジしてみましたが、そこに到達することができませんでした。それに、人は毎日忙しく、忙しいなかでそれでも何かしらの動機で読んでくれようとしたとしたら、疲労や倦怠が言葉との交流を遮断していくよりも速く、言葉が読者に届くような、そんな軽さを持った文章というものはとても重要だと思います。その点で、本書は読みやすい。たとえば、この本の主題である「何も起きない平日の夜」に惹かれてこの本を読み始めると、そのテーマへの関心が持続しているうちに読み切ることができます。小説や専門書ではこうはいきません。主題に辿り着くよりも前に力尽きてしまいます。
そして(1)についてですが、本書はハートワーミングなやさしいエッセイではないと思います。もっと抉った感情をそれぞれのやり方で探っているように感じます。その点において、私の書いたエッセイは全然自分の感情を抉ることはできていません。長いあいだ執着していたあるイメージについて改めて考えることができたので、もしそれについて興味を持ってくださる方がいればうれしいですが、まだまだ奥底にあるたくさんの記憶や感情を捉え損なっていると思います。エッセイの深みに直面したような心地がします。
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最後に、エッセイに書こうか迷って、書かなかった話を書きます。この本のテーマを聞いたときにまっさきに思い出したことです。
大学に入ったばかりのころ、私は流れで自主映画制作サークルの新歓ブースに来ていました。当時、映画を特段好きだと思ったこともなかったのですが、大学内のサークル一覧が載った冊子を開いた最初のページに記されていたサークル名に「浪人」という単語が書いてあり、浪人生向けのサークルなのだと早とちりした私はそのサークルのブースまで足を運びました。
映画サークルのブースへ行くと、上級生から「どんな映画が好きなんですか?」と聞かれました。具体的な作品名が思いつかず、「何も起きない映画があれば見てみたいです」と答えました。その場の思いつきの回答ではありましたが、当時から感じていたことでもありました。ドラマやハリウッド映画のようなドラマチックで起承転結のある物語がうるさいと思っていました。それに、あまりにも自分の日々の生活のありようと違っていて、そのような起伏ある世界というのがどうも信用できずにいたのです。すると、その先輩は、「じゃあ、アンディ・ウォーホルの撮った『エンパイア』とか見てみたらどうですか?本当に何も起きないですよ」と云う。
『エンパイア』という映画は、アメリカの画家・アンディ・ウォーホルが1964年に制作した実験映画で、ニューヨークのエンパイアステートビルを定点カメラで撮影したスロー映像です。長さは8時間以上あります。YouTubeにアップされていたので、家に帰って見てみましたが、鳥や飛行機がビルの背後に映る空を横切る以外には本当に何も起こらず、これは見続けることができないなと思い始め、30分くらいで断念しました。何も起きないとは、どういうことなのか、よくわからなくなりました。
それからなし崩し的に映画サークルに入ることになったのですが、今度は逆に、会う人会う人に「何も起きない映画でおすすめありますか?」と私の方から先輩や同級生に質問するようになりました。いろいろな答えが返ってきました。イランのアッバス・キアロスタミという人の撮った『友だちのうちはどこ?』(1987年)という映画や、ジャック・タチの『プレイタイム』(1967年)などなど。勧められた映画はなるべく見てみましたが、どれも何かしらは起きていました。当然です。人が動いていて、それを映像に撮っているのですから、その時点でそれは何かの出来事です。そして、映画という方式は、何かを起こしてしまうという点が面白いと思いました。
何も起きないこと。何かが始まる予感はあるけれど、まだ起きていない均衡状態、もしくは、頭の中だけで起きていること。現実には反映されていないけれども、何かが起きている。
それって言葉かも、って思いました。
大学は文学部だったので、文学概論のような授業をとりました。フランスの小説の変遷についての講義で、ヌーヴォー・ロマンという前衛運動が第二次世界大戦後のフランスにはあったらしい。ミシェル・ビュトールという人が書いた『心変わり』(1957年)は、恋人に会いに行く男が列車に乗っている2時間のあいだ考えていることを細かく書いていて、こんな書き方もあるんだって思いました。サミュエル・ベケットという劇作家・小説家が書いた有名な戯曲『ゴドーを待ちながら』(1954年)は、ゴドーを待つ人たちの会話劇で、ゴドーは来ませんでした。このあたりでだんだんと飽きてきてしまい、何も起きないことがますますよくわからなくなってしまいました。
そのあとにも文学や映画、音楽などを通して、何も起きないものを探しているのですが、現時点では、自分が具体的にどんなものを何も起きないものと思っているのかもよくわからないですし、何も起きないものとはどのようなかたちであり得るのかもよくわかりません。だから日々それを探していこうと思っています。
だいぶ話が本筋から逸れてしまいました。
つまりは、今回の『何も起きない夜日記』というテーマが、自分にとってすごく切実に考え続けているものだったということです。だから、今回このアンソロジーで他の方にとっての何も起きなさを垣間見ることができてありがたいなあという気持ちなのです。
1人でも多くの人が本書に出逢うことを願っています。
