言わなくても良いことを言わない技術
会議が嫌いだ。あの時間、無駄なことを言い合って消費されていく時間が嫌いだ。
どうして会議のなかであんなにも無駄なことが言い合われてしまうのか。
また、言わなくても良いことを言って相手を怒らせてしまった、とか、険悪な雰囲気になって焦ったとか、そういう話がゴロゴロしている。
伝える技術や聞く技術などの本やノウハウは、最近目にする機会が多い。だが、もっと手前の話で、そもそも言わなくても良いことを言わないようにするにはどうすれば良いか。それを最近考えている。
会議では発言しなさい
コンサルが書いた本の中に「会議に出るからには発言しなさい」という助言を見たことがある。この助言の意図は、会議に参加している30分や1時間にも給料が支払われるのだから、出る以上はその時間分の成果を出せ、ということであろう。
この主張は間違っていないと思うのだが、「発言すること」が「会議の成果にプラスである」ことが前提になっている。マイナスの効果を与える発言もあるにも関わらず。
具体的に言えば「それはダメですね。それも。いやいや、やる意味ないでしょ」のような否定的な発言を常にすることは会議の成果にマイナスだ。
しかし冒頭の「会議では発言しなさい」というプレッシャーを上司や先輩からかけられた場合、そういうマイナスの発言でも良いから言ってしまうこともある。
こういう外部からの圧力によって、言わなくても良いことを言ってしまう場が作られる。
自分の意見を言いたくなる
困ったことがあって相談していたら、いつのまにか解決策を延々としゃべりだす上司にあきれることがある。
だれもが自分の意見を言いたいのだ。相談されたら経験談を語り、飲み会で話を振られたら武勇伝を語り、自分の土俵に相手を引き入れる。そうなると言わなくてもいいことを喋り続けることになる。
「あなたはどうしたいの?」と聞けば相手は喜んで自分の意見を言ってくれるのに、一度キャッチしたボールを手放そうとしない。
どうやったら、くどくならずに必要なことを言えるのだろうか。
完璧ではないが、私が心がけていることを整理してみる。
自転車置き場の議論からは一歩引く
パーキンソンの凡俗法則というものがある。原子力発電所の建設のような難しい話題よりも、自転車置き場のような些細な話題に対してこだわって議論してしまう、というものだ。
よくありがちなのは「この資料のデザインってどうしますか?」のような中身と関係ない話がそれだ。社内のメンバーしか読まないなら読みやすければ何でも良い。議論することではないだろう。
会議では発言しなさい、という助言を受けて、その発言が「赤がいいか、青がいいか」といった話題に向けられるのは望ましくない。それよりも難しい議論で発言することが求められている。
そのため自転車置き場の議論が始まったら黙る。ヒートアップする前であれば「そもそもそれは話し合う必要があるか」という視点を持ち出す。そうすれば言わなくてもいいことを全員が言わずに済む。会議中での雑談や脱線した話題も同じだ。始めないこと、加わらないことが大切だと思う。
自分ではなく相手や全体のことを主語にする
自分の意見を言いたいときは、主語が自分になっている。
たとえば「メンバーに提案されたこのルールを採用するか悩んでいて」と上司に相談したとき「こんなルール意味ないでしょ」と自分の意見を言ってしまう。相談した本人は「ルール自体があまり意味のないものであることはわかっていた。そうではなく、メンバーが提案してくれたことを重要視し、どうやったら提案しやすくなるかで悩んでいた」にも関わらず。
「私はこう思う」や「こうしたらどうか」という発言は大切だと思う。一人ひとりの多様な意見があるからこそ、新しい視点が生まれたり良い方向へ議論が転がる。ただそれは求められていれば、の話だ。
相手は何を求めているか、ということに思いをはせれば「どういう観点の悩みなの?」と聞き返せたはずだ。
目的を把握しないままに、自分の好き嫌いを主張するのは控えたいものだ。
いろいろと書いてみたが、言わなくても良いことを言ってしまうのは、ただ言いたいだけのときが多い。言うことが快感になっていないか、と自省してみると良い気がする。
もし会議に参加して、言わなくてもいいことをみんながしゃべっているのだとしたら、それに加わらず全体を俯瞰し論点を整理するほうがいい。1時間色々話し合った結果、最後に意見を求められて「それはこうじゃないですか」と提示したらそれまでの意見がひっくり返って「それだ!」となったこともある。同じ土俵に乗る必要はないのだ。
そうではなく、じっくりと相手の話を聞き観察したうえで、求められている言葉をつむぐ。ビジネスシーンでは特にそうだ。
「会議が嫌いだ」と言ったが「余計なものが入っていない会議」なら歓迎する。
