言葉の裏を読まない
何度も言うように、筆者は壊滅的に共感力、傾聴力が低い。だからと言って、それを免罪符に相手の感情や意図を読み取ろうとすることを放棄するものではないが、残念ながらパターン認識に頼ってしまっているのが現状だ。ただ、高精度につき対人トラブルは極めて少ないことを断っておく。
IT土方としての下積み時代、京都で働く機会が多く、由緒正しい京都人たちとしばしば接触をもった。しかし、彼らとのコミュニケーションは非常に難しいものであった。含みを持たせた表現だったり、心うらはらであったり、言葉の奥にある本意をつかむのに苦労した記憶が残っている。
自分で言うのもどうかと思うが、裏表のほとんどない性格である。言葉づかいや口調には細心の注意を払っているものの、基本的にはOmoinotakeをそのまま伝えている。本当はこう思っていた、こうしてほしかったと後出しすることはまずない。行間を読み合うようなやりとりが面倒だからだ。
それゆえか、「みんな思っているけど言いづらいことを言う係」に意図せずなってしまうことがある。カチンときている人間のひとりやふたりいるかもしれないが、それで場がうまく回るなら本望だ。そやつらにいくら嫌われようとも、何ら気にならない。
そういった性質を鑑みて、昨今はもうあえて言葉の裏は読まず、額面通りに受け取るようにしている。社交辞令であろうが、言葉の意味そのままに解釈する。日本人的な奥ゆかしさには欠けるかもしれないが、その方がシンプルでわかりやすいだろう。
身近な人間にも変に回りくどい言い方をせず、率直に言ってくれと伝えている。「察する」能力には個人差があり、それを前提にしたり、期待したりするから齟齬が起こる。本来、発言には責任が伴うものだ。裏だとか裏の裏だとか、そんなものを受け手が推し量る義務は全くないのである。
とここまで書いて、我ながら機械的で味わいがないなぁと思った。少しぐらいは会話に趣をもたせるようにしよう。
