こんなこと、しゃべってきました(^▽^)/ #想像していなかった未来
「#想像していなかった未来」というテーマを見て、ピンと来ました! 私のためのテーマだ!! だって記念講演を聞いていた一生徒が、記念講演をする作家になるなんて、自分でも想像できませんでしたもの!
そういうワケで、想像していなかった未来を実現した講演会のお話です(^▽^) お読みくださる方が一緒にワクワクしてくだされば、光栄の極みです☆
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先日から「講演会の原稿が!」とさんざん泣き言を言っていました。お付き合いくださいまして、本当に救われました。おかげで無事に終えることができました♪
今日は「講演会で、こんなことをしゃべりました♪」という原稿を、まるっと公開します。
1万8千文字という長文なので、お時間のある時にどうぞ☆
そして久しぶりに「#なんのはなしですか」のタグを付けるので、コニシ木の子さんのご負担にならなければいいのですが……(;^ω^)
著作権の関係上、★印の所で表示した画像はnoteの記事で公開しません。画像は皆さまの想像力で補ってくださいまし♡ ヨロです♡
※お話は愛する母校の後輩へ向けてしましたけれど、内容はすべての方へ向けて一生懸命に考えたものです。ですからこれを読んで下さる「あなた」に、向けて書いています。どうぞご自身に向けて書かれたものだと思って、ご高覧ください。
それでは、どうぞ♪
(2024年11月16日 水巻町立えぶり小学校 創立150周年記念講演にて。 演者:ソウ マチ)
創立150周年、おめでとうございます。この晴れの日に皆さまと一緒に愛する母校のお祝いをすることができて嬉しいです。えぶり小学校ができてから150年という時を超えてこの日を迎えることができたのは、地域の皆さまと、歴代の先生や職員の皆さまのおかげです。卒業生の一人として、心からお礼を申し上げます。
大事な式典でお話をさせて頂くので、緊張しています。私はこういう感じの本を書いています(★本の写真を表示)。私が小学生だった頃は、皆さんと同じようにえぶり小学校の生徒でした。作家なので本を書くのは得意ですがお話するのはニガテなので、今日は本を読むような感じでお話をします。
今日、皆さんに一番お伝えしたいことを、一番に言います。「人は、生きてるだけで、百点満点!」。皆さんもわたしも、たくさんの奇跡が重なって、生まれてきました。だから「生きてるだけで、百点満点!」です! お勉強がニガテでも、運動がニガテでも、お友だちと上手に付き合えなくても、それでも百点満点です! だからいつでも、ご自分を大事にしてください!
そんな百点満点の皆さんは、なんのために生まれてきたのか?
皆さんは、「幸せになるために生まれて」きました。皆さんは「幸せだなぁ~!」と思うために、生まれてきたのです。
今日は色々なことをお話します。そして皆さんが幸せになる方法をお話します。後で質問タイムがありますから、わからないコトは何でも聞いてください。
今から40年前に、えぶり小学校で、創立110周年のお祝いがありました。40年前の記念式典でも、当時の生徒が皆さんと同じように、この体育館にいました。そして中村八大さんという作曲家がお話をする予定でした。皆さんは、中村八大さんと聞いても、知らないかもしれません。こういう方です(★中村さんの顔写真を表示)知らなくても「♪うえをむぅいて、あるこぉぉぉ~♪」という曲はご存知かもしれません。あの名曲を作曲したのが中村八大さんです。
ところが中村さんは体調を崩してしまい、学校へ来ることができなくなりました。急遽、中村さんのお友だちである作曲家の方が来てくださったのですが、その方はこの舞台の上で、困っていました。
「……急に呼ばれたので……、何をお話したらいいか、わかりません……」そう言って、汗を拭きながら困っていました★。生徒たちもどうしたらいいかわからず、お互いに困ってしまいました。
私が40年も前の記念式典のことを、その場にいたかのように話すから、皆さんは不思議に思うかもしれません。実はわたし、その場にいたのです! 皆さんがそこに座っているのと同じように、当時小学6年生だった私も、そちらに座って記念式典に参加していました! ★ その頃は、まさか自分が皆さんの前でお話をする日が来るとは、ぜんぜん思っていなかったので、いま皆さんにお話をしている自分に、私が一番ビックリしています!
〇宇宙のお話をします。
・えぶり小学校は、できてから150年です。えぶり小学校はすごいです! そして今日は、他にもすごい話をします!
今からすごい、2つのお話をします。
1つ目は、宇宙や地球や、えぶり小学校ができてから長い歴史の中で、皆さんはどの時代にいるのか?というお話をします。
2つ目は、皆さんは、広い宇宙のどこにいるのか?というお話をします。
今からする2つのお話は、スケールが大きすぎて、意味がわからないと思います。でも、わからなくて、当たり前です。「よくわからないけど、長い歴史や広い宇宙の中で、今日、みんなと会えたのは、すごいな……」そう思えってもらえたらいいので、細かいコトは気にしないでください。
では、一つ目のお話をします。宇宙ができてから、今日までの歴史のお話です。今からおよそ138億年前に、宇宙ができたそうです。138億年と言われても、ピンとこないと思います。
宇宙ができてから今日までの歴史を、ぎゅっと短くして、1年間のカレンダーにします(★カレンダーのイラストを表示)。宇宙ができたのを1月1日として、今日を12月31日としたら、どんな1年になるでしょうか?
1月1日 ビッグバンがあって、宇宙が生まれました(★門松を表示)。
お正月らしい、おめでたいことです。でも1月1日には、地球もえぶり小学校も、まだ生まれていません。
地球が生まれるためには、まず銀河系が生まれないといけません。それは、いつなのか?
銀河系が生まれるのは、3月です(★)。3月16日に銀河系ができました。
太陽系が生まれるのは、9月2日(★)です。そして地球が生まれるのは、9月6日です。
人類が生まれる前、地球に「恐竜の時代」があったのを、皆さんはご存知でしょうか? 恐竜のいた時代をカレンダーで見ると、12月25日です(★)。もう12月の終わりです。それなのにまだ、人類は生まれていません。(★アウストラロピテスクのイラスト)
恐竜の時代が終わり、人間の祖先である霊長類が生まるのは、12月30日(★)です。
人類がやっと生まれてくるのは、大みそかです! 12月31日の午後2時24分にやっと人類が生まれてきました(★)! でも、この人類はまだ、火を使うことを知りません! 火を使えるようになるのは、12月31日の23時44分です! あとたった16分で、一年が終わってしまう(★)!! それなのにクレオパトラも、始皇帝も、ナポレオンも、ベートーベンも生まれていません(★)! もちろんえぶり小学校もまだです!
それでは歴史に出てくる人や、えぶり小学校はいつ生まれるのでしょう?
答えは、12月31日の、午後23時59分59秒です! 最後の1秒で、皆さんやえぶり小学校が生まれました! ギリギリ間に合った! (★時間を大きく書いている)
最後の1秒で、生まれた有名人を挙げます(★センターが小学校で、カオスのイラスト)。
発明家のトーマス・エジソン、相対性理論で有名なアインシュタイン、「モナリザ」を書いたレオナルド・ダヴィンチ、「ゲルニカ」を描いたピカソ、徳川家康や豊臣秀吉や織田信長もこの1秒に入りますし、「源氏物語」を書いた紫式部も、「枕草紙」を書いた清少納言も、ハリーポッターを書いたJK・ローリングも、ドラえもんも、名探偵コナンも、海賊王のワンピースも、ピカチュウも、プリキュアも、あんぱんまんも、全部この1秒で生まれました! そして同じ1秒の中でえぶり小学校ができて、皆さんや私が生まれたのです。
宇宙ができてから今日までの時間を1年とすると、今の人類が生まれてから2秒、歴史に残る有名人たちが生まれてからは、たった1秒しかたっていないのです! 宇宙の年齢を1歳とすると、今の人類の年齢はたった「2秒」なのです!
想像してみてください。「今から2秒以内に、会いたい人に会いに行って、実際に会ってください」と言われたら、あなたは、どうしますか? 私は「ムリです!」と答えます。たった2秒じゃ、ムリです。
ところが今私は、ずっと会いたかった愛する後輩の皆さんとこうして実際にお会いしています。そして皆さんは、一生会うはずのなかった私の話を聞いています。これは確率でいうと「不可能」な状態です。138億年という時間の中で私達が会える確率は、0,0000000000000001%にもなりません。それなのに、こうして会っている。常識では考えられないコトを「奇跡」と言います。いままさに、奇跡が起きているのです。
それでは、2つ目の、スケールが大きなお話をします。スケールが大きすぎるので、サラっと終わらせます。
2つ目のお話は、「広い宇宙の中で、皆さんはどこにいるのか?」です。今、私たちは、いったいどこにいるのでしょうか? 答えは「えぶり小学校の体育館」です(★えぶり小学校の航空写真)。では、えぶり小学校は、どこにあるのか? 答えは「福岡県の水巻町」です(★水巻町の航空写真)。では、福岡県はどこにありますか? もちろん「日本」にあります(★日本国の画像)。そして「日本」は、地球にあります(★地球の画像)。
いま私たちは、地球の日本国福岡県遠賀郡水巻町えぶりに、います。
では、地球は、どこにあるのでしょうか? 地球は「太陽系」という所にあります(★太陽系の画像。星が整列している画像)。これは皆さん、なんとなくご存知だと思います。太陽や月や、火星や水星がある所に、地球もあります。
それでは、太陽系は宇宙のどこにあるのでしょう??
画像を見てみましょう。
(★これが……これで……これが……これで……こうなります)
いかがでしたか? スケールが大きすぎて、意味がわからないと思います。そして宇宙は、もっとずっと広いのです。今のところ人類はまだ、宇宙のはしっこを見ていません。
ちょっと想像してください。誰かがあなたに探し物をしてほしいと頼んできました。
「海にドングリを一つ、落としてしまった。そのドングリを見つけてほしい」私なら「ムリです!」と答えます。広い海に落ちた小さなドングリなんて、見つけられません!
そして宇宙は海より広くて、わたしはドングリよりもっと小さいです。それなのに皆さんは、いま、私を見ています。この広い宇宙で私たちが会えたのは、信じられない奇跡なのです。
長い歴史や広い宇宙で、私達は会えないはずでした。それなのに今、こうして同じ場所で同じ時間に集まり、お祝いをしています! それはすごい奇跡だと、気づいてほしいのです。会えなかったはずの人たちと、会えた! そして一緒にお祝いをしている! これは、すごいことです! ですから今日会えた皆さんに、一生懸命にお話します。
話はガラリと変わって、えぶり小学校のお話をします。
日本で一番古い小学校は、明治2年にできた京都の小学校だそうです。それから5年後、明治7年に、ミズマキマチで一番古い
えぶり小学校が創立されました。
もしも当時の1年生が、この式典に来たとしたら、その生徒は、いま何歳だと思いますか?
答えは、156歳です(★おじいさんとツルの画像)(;^ω^) もしもその方がおじいさんだったら、床まで届く長いながいおヒゲが生えている……かもしれません(;^ω^)
最初のえぶり小学校の生徒は、お米を保管する「穀倉(こくそう)」という倉庫でお勉強をしていたそうです。屋根はワラで、壁は土でできた、昔話に出てくるような、倉庫だったと思います。最初の頃は、先生がお一人、男子生徒が44人、女子生徒は2人だけでした。少ないですね(;^ω^)
ちょっと話が跳びますけれど、皆さんに質問です。
皆さんには、生物学的な、父と、母がいます。生物学とは違う、育ててくれたお父さんやお母さんがいる場合もありますし、そちらのお父さんやお母さんもすごく大事ですが、今は生物学的な父と母の話をします。
皆さんが生まれてくるには、父である男性と、母である女性の遺伝子が必要です。1人が生まれてくるために、2人の遺伝子が必要なのです。そして父と母が生まれてくるには、4人必要です。その4人は、誰だかわかりますか? そうです。おじいちゃんと、おばあちゃんです。もちろん、おじいちゃんやおばあちゃんが生まれてくるのにも、父と母が必要です。それを10代前までさかのぼると、全部で何人になると思いますか?
皆さんの両親は2人、祖父母は4人、曽祖父母は8人、その次は16人、32人、64人、128人、256人、512ときて、10代前のご先祖までの人数を足していくと、全部で2048人になります。すごい数です!
あなた一人が生まれてくるために、2048人もの人がいたのです! その中の誰か一人がいなくても、あなたは生まれてきませんでした! すごい奇跡が何度も重なって、あなたは生まれてきたのです!
たった10代前で2048人もいないといけませんから、昔にさかのぼると、人数はもっと多くなります! 今の地球の人口は、81億1900万人ですから、これだけの人が生まれてくるためには、たくさんの父や母が、いないといけませんでした! 81億1900万人という、数は、すごすぎて「なんか、すごいな……」としか思えません。そんなすごい人数なのに、人類の遺伝子は、たった4種類だけだそうです。つまり人類の母は、たった4頭の霊長類らしい……です。(★女の子の霊長類4人)。たった4頭のメスから生まれた霊長類が、だんだん増えて、進化して、人間になって、たくさん生まれて、現在にいたる……つまり、皆さんも私もお互いに、どこかで血がつながっているのです。お互いのご先祖さまが、親子だったり、兄弟だったり、したのです。
まとめです。「みんな、どこかで、つながっている」
ここにいる全員がみんな、遠い親戚なのです。今の生物学の観点からいうと、そういうコトなのです。ですから皆で仲良く暮らしたいです。元をたどれば、みんな同じ家族なのですから。
お話を元に戻します。えぶり小学校のお話です。
全学年の男子が44人というのもずいぶん少ないですし、さらに女の子はたったの2人です。当時は子どもも畑仕事をしたり、子守りをして働いていたので、学校に通えない子どもが、たくさんいました。そして残念なお話ですが、昔は「女の子に教育は必要ない」と考える人も多かったのです。だから学校へ行きたくてもいけない子は、男子より女子が多かったのです。
その頃は、何科目のお勉強をしていたと思いますか? 答えは「3科目」です。 たった3つです。そしてその3科目は、「読書、習字、算数」です(★読み、書き、ソロバン)。その頃は文字を読めない、書けない、計算できない人が多かったのです。なぜなら、お勉強をするチャンスがなかったためです。今は誰でも学校へ行きますけれど、150年前は学校へ行けない子が多かったのです。
お勉強は、自分を幸せにする大事なものです。知識があれば、困ったことを解決できます。昔は今と違って、お勉強をするチャンスがとても少なかったのです。
150年前の水巻の人口は、2600人くらいでした。今の水巻町は2万1千人くらいですから、大人の人口も当時は少なかったようです。
水巻町に人が多かった頃について調べてみましたが、よくわかりませんでした。最初は髙川校長先生に聞いてみようと思ったのですけれど、髙川校長先生が生まれる前のお話ですから、ご存じないでしょう。そこで水巻町の美浦町長さまに聞いてみました。すると、素晴らしいお返事が届いたのです! 今回、お力を貸して下さったのは、美浦町長さま、学校教育課の吉川さま、図書館・歴史資料館の大坪さま、そして山田ヒロユキ先輩、……髙川校長先生でした(;^ω^) ご尽力下さった皆さまに感謝しています!
お返事をもとに、皆さんへご報告します。
えぶり小学校の生徒数が一番多かったのは、1948年~1953年(昭和23年~28年)にかけてだそうです。その頃のえぶり小学校の生徒数は、1600人でした! ここに1600人も生徒がいたのです! 図書館、歴史資料館の大坪さんに教えてもらったのですが、あまりにも人数が多くて、ビックリしました! たぶん先生もたくさんいらして、どの教室も満員で、あちこちで色々な授業がされていたと思います。
ミズマキマチの人口が一番多くなるのは、それから10年後の1960年(昭和35年)頃で、3万5千人です! そんなに多いとは、知りませんでした!! そしてそのほとんどが、炭鉱で働く人たちと、その家族でした。
ほとんどの人は、会社が建てた社宅に住んでいました。一階建ての平屋か、二階建ての社宅です。大部分は、同じ間取りの家が何軒かつながった「長屋」というおうちでした(★長屋のイラスト)。時代劇に出てくるような、おうちです。そういうおうちが、たくさんありました! そして、トイレもお風呂もないおうちが、ほとんどでした。家にトイレもお風呂もない……困りますね。どうしていたと思いますか? ズラリと並んだおうちのそばに、みんなで一緒に使うトイレや大きなお風呂があったのです。
みんなで使う施設は、他にも町中にたくさんありました!
共同の水道、トイレ、お風呂のほかに、幼稚園や労務事務所がありました。また梅の木に大きな野球場があり、会社の野球部が活躍していて、都市対抗野球に出場したり、後にプロ野球選手になった、リュウ・ケンイチ選手や、カキモト・ミノル選手もいました。
映画館が片山と古賀の2ヶ所にありました。そして炭鉱で働く人を養成する専門学校や、高校、病院もありました。水巻町から折尾まで、石炭を運ぶ列車が走っていました。購買部と呼ばれるマーケットには、食料品、家庭用品、衣料品だけでなく、電化製品などもありました。
これを聞いても皆さんは、何がすごいか、よくわからないかもしれません。今の水巻町に高校や映画館はないものの、病院も幼稚園も野球場もお店もたくさんある。そんなに変わらないんじゃないか?と思うかもしれません。
何がすごいのかと言いますと、たった一つの会社が、社員たちのために、これらの施設を全部作ったというのが、すごいのです。みなさんのお父さんやお母さんの会社でも、映画や野球のチケットをくれる会社があるかもしれません。チケットをくれるだけでもすごい会社ですが、昔の石炭の会社はチケットだけでなく、映画館や大きな野球場を作ったり、プロ野球選手が出るほど強い野球のチームを作ったのです。そして病院や幼稚園やお店まで作ったのです。
町には、商店街もありました! 商店街は頃末、片山、樋口の3ヶ所にあって、それぞれの商店街に野菜屋さん、魚やさん、お肉やさん、雑貨屋さん、お酒やさん、クリーニング屋さん、駄菓子屋さんなどがあったそうです。ビックリしたのは、「アイスキャンディ屋さん」があったそうです。アイスキャンディだけを売るお店なんて、すごいですね……行ってみたかったです。
石炭でにぎわっていた町ですが、使われる燃料が石炭から石油に代わり、炭鉱が閉まってから町の人口は少しずつ減ってゆきます。そして高校も野球場も映画館もなくなりました。
そんな頃に、私はえぶり小学校へ入学します。昭和53年、今から46年前です。その頃の生徒数は、365人でした。
私は入学式の日に、真っ白なワンピースをヒラヒラさせながら、男の子を蹴っ飛ばして泣かせました。蹴っ飛ばすなんて、もちろん当時も許されません。 親と先生からこっぴどく叱られたのが、入学式の思い出です(;^ω^)
入学してからも、男子を泣かせて叱られました。その頃はどうしてすぐ手を出してしまうか自分でもわかりませんでしたが、今ならわかります。
私は自分の気持ちを伝える「言葉」を持っていなかったからです。もし言葉をたくさん知っていれば、男子から悪口を言われても、「イヤな気分になるから、悪口はやめて!」と言えます。でも私は言葉を知らなかったから、悪口を言われると、すぐ手が出ていたのです。言葉をたくさん知っていれば、つまらないケンカなんかしないで話し合うことができます。言葉は、とても大事です。みなさんは、たくさんの言葉を知ってください。
言葉を知らない1年生のわたしは、お勉強もできませんでした。ところが3年生から少しずつ成績が良くなって、6年生になると成績がすごく良くなっていました。
どうしてだと思いますか? それは、みなさんにもできる簡単で楽しいことです。
どうしてお勉強ができるようになったのか?
答えは、「本を好きになった」からです。最初は字が読めなかったから、図書室で絵本を眺めていました。それから低学年向けの、平仮名が多い本を読むようになりました。それでも、わからない言葉はたくさんありましたが、わからないところは飛ばして、読んでいましたし、楽しかったです♪ 色々な本を読んでいるうちに、わかる言葉がだんだん多くなってゆきました。すると漢字が多い本も読めるようになってくる。わからない言葉は、たくさんありますけれど、気にせず飛ばして読みます。本を読むのは、すごく楽しかったです♪♪
私は知らなくて残念だったことがあるので、皆さんにお話します。図書室の先生は、「図書館法」という法律で定められた「司書」という資格をお持ちの本の専門家です。もちろんえぶり小学校の有田先生も、司書の資格をお持ちです。
司書の先生は「本の相談」にのってくれます。私が小学生の頃に知っていれば、たくさん相談できたのに、知らなかったので残念です。
たとえば皆さんが有田先生に「楽しい本を読みたい」とか「お友だちと仲良くできる方法の書いてある本を読みたい」など相談すれば、有田先生は、本を探してくださいます。もし図書室になくても、他の図書館から借りて、あなたへ貸し出してくれます。だから皆さんは、日本中の本を読むことができるのです!
日本中の本が読めると知らなかったので、図書室の本だけ読んでいましたが、それでも本はたくさんありました! 私は動物が好きだったので動物の本をたくさん読んで、小学校で飼育委員をしていました。
40年前のえぶり小学校には、飼育舎がありました。大きな銀杏の木の下に、飼育舎が2つありました。1つはインコの飼育舎で、青や黄色や白のインコが、30羽くらいいました。飼育舎の高さは5メートルもあったので、インコたちは自由に飛び回っていました。
もう一つの飼育舎は、「ニワトリ小屋」でした。白色レグホンやチャボが10羽くらいいました。だからニワトリ小屋と呼ばれていたのですけれど、だんだんと動物の種類が増えて、ギンケイ、カモ、ウサギ、カメも一緒に暮らしていました。飼育委員は朝学校へ来て、飼育舎の掃除をして、動物たちにご飯をあげて、それから教室へ行っていました。そういう経験のおかげで、今も動物は大好きです!
小学校でお世話になった、先生たちのお話をします。
小学1年生のときは、東(ひがし)先生という女性の先生が担任でした。大学をご卒業したばかりで、いつも優しい先生でした。
2年生のときは、お洒落な東(あずま)先生でした。ある時、台風で停電して、町中が真っ暗になりました。お風呂上りだった先生は、はだかんぼで困ったそうです。でもオシャレな先生は、タンスの中をきちんと整理していたので、真っ暗でもシャツやパジャマを探し当てることができて、ぜんぜん困らなかったそうです。私はタンスの中がグチャグチャなので、停電になったらすごく困ると思います。
3、4年生の時は、上野カンジ先生でした。上野先生は、理科の研究に熱心な先生でした。最近は、顕微鏡の画像を簡単に写真にできますけれど、もともとその技術を開発したのは、上野先生だそうです。
5,6年生の時は、陣内コウイチロウ先生でした。陣内先生は、
どんな話でも、面白いお話に変えてしまう愉快な先生でした。おたふくカゼで大事なところが腫れあがった時も、深刻な話なのに「キンタマがよ! キンタマが大変やったんよ! キンタマがバレーボールみたいに腫れて、大変やったんよ! キンタマが腫れて歩くのが大変やったんよ! キンタマがよ!」そう話してくださって、生徒はみんな大笑いしました!
ある時、私は質問しました。「先生は、暗い話も笑い話にしてしまうけど、なんでですか?」
先生は、おっしゃいました。「暗い話でも、笑い飛ばせたら、笑い話になるんよ。 どうせなら、楽しいほうがイイと、先生は思うよ(^▽^)/」
本を書くようになった時に、先生の言葉を思い出しました。ツライコトを「辛い」と書いても、辛いだけです。でももしも、ツライコトを笑い話にできたら、面白い話が書けます。「ツライ」と泣くよりも「面白い!」と笑えれば、幸せになることができます!
学校には他にも素敵な先生がたくさんいらっしゃいました! 森先生、金子先生、かいしゃくじ先生、保健の山本先生、林先生、森崎先生、真武先生、そして用務員の真鍋さんや、給食室や事務室の皆さんが、一所懸命にお世話をしてくださいました!
私が小学生の頃にも、特別支援学級(正式名称は?)はありました。大貝先生が熱心に授業をなさっていて、先生の授業を受けるために、わざわざ転校してえぶり小学校へ来るお友だちもいました。
その頃の支援学級のお友だちは、急に大きな声を出したり、飛び跳ねたりしていました。いつも見ていたので慣れている私は自然に「そういう子もいるんだ」と思っていました。大人になってからも、たまにそういう方を見ます。私は慣れているので平気ですが、知らない人は驚いたり、怖がったりします。知らないから、ビックリするのです。えぶり小学校に特別支援学級があって、いろいろなお友だちと遊んでいたのは、私の大事な経験で、大事な宝物です。お友だちがいてくれたおかげで、今もそういう方たちと自然に付き合うことができます。特別支援学級があって、本当に良かったと思います。
入江正次先生には、部活動でバレーボールを教えてもらいました。入江先生と、小原君のお父さんの小原コーチが、熱心にバレーボールを指導してくださいました。
楽しい学校生活でしたが、今も後悔しているコトがあります。これは私の人生で、大きな失敗です。皆さんに 同じ失敗をしてほしくないので、聞いてください。
昔は今より乱暴な時代で、「いじめ」が、たくさんありました。先生方はいじめをしないよう全力で指導をして下さいましたが、生徒の私たちの考えが足りず、あちこちで、いじめがありました。そして私も、いじめたり、いじめられたりしました。
6年生になっても、いじめられることがありました。でも、いじめられた私は何も悪くないし、今なら大声で「いじめるのは、やめて!」と言うことができるから、もういいです。
40年たった今でも後悔しているのは、自分がいじめをしたことです。
私は親に誉められたくて、勉強や運動を頑張っていたので、優等生
でした。でも父も母も、ぜんぜん誉めてくれませんでした。大人になった今なら、わかります。両親は、ありのままの私を愛していたから、勉強や運動で、私を誉める必要がなかったのです。でも私は子どもだったので、そういう愛情が、わかりませんでした。親から誉められないのは、愛されていないのだとカン違いしていました。
私がいじめた子の名前を、仮にBちゃんとします。Bちゃんは運動も勉強もニガテでした。でもBちゃんのお父さんもお母さんも、「Bちゃんはすごいね!」「偉いね!」そう言って、いつもBちゃんを誉めていました。私はBちゃんが、すごく羨ましくて「嫉妬」していました。でもまだ子どもだった私は、「嫉妬」という言葉を知りませんでした。
「嫉妬」という言葉を知らない私は、自分の気持ちをどうしたらいいか、わかりませんでした。そして困った挙句、Bちゃんを無視するようになりました。無視は、いじめです。絶対にダメなコトです。Bちゃんは、すごくイヤな気持ちになったと思います。でもBちゃんは優しい子だったので、私に仕返しをしませんでした。
私が中学生や高校生になると、友達から無視をされるコトがありました。その時にやっと、Bちゃんがどんなにイヤな気持ちだったのか、わかりました。そして高校生になってBちゃんと会ったときに、勇気を出して謝りました。
「小学生の時に、いじめて、ごめん」
Bちゃんは少し考えてから、笑って言いました。
「わたし、ぜんぜん気にしてないよ!」
そして私のコトを許してくれました。Bちゃんは優しい子なので、許してくれましたけど、私は一生、自分を許しません! いくら子どもでも、やったらダメなコトはダメです! 私は絶対にやったらダメな「いじめ」をしてしまいました。
悪いコトをマイナス、良いコトをプラスとしたら、いじめは大きな「マイナス」です。マイナスを出してしまった私は、どうしたらいいだろう? 大人になった今もずっと考えています。そして、できるだけたくさんイイコトをして、たくさんプラスを出したら、いつか自分がプラスを出せるんじゃないかと考えています。いじめは絶対にダメですが、あきらめずにたくさんイイコトをすれば、いつかプラスを出せると、私は信じています。
今日は皆さんが幸せになる方法をお伝えすると、言いました。その方法の一つをお伝えします。
「いじめは、絶対にダメです!」
いじめられた人も、いじめた自分も、周りで見ている人も、イヤな気分になります。いじめに、イイコトは一つもありません! いじめはしてはいけません!
そしてもし、いじめられたら「やめて!」と相手に伝えてください。「イヤがっていると思わなかった」という理由で、いじめをする人は意外に多いです。だから、ちゃんと、「イヤだから、やめて!」と相手に伝えてください。そして相手だけでなく、おうちの人や、先生や、大人の人たちにもイヤな気分になっていると、教えてください。小学生の皆さんより大人は長生きしていますから、もしかしたら解決方法を知っているかも……しれません。だから大人の人たちに、相談してみてください(^▽^)/
私は小学校の卒業文集に「作家になりたい」と書いて、卒業しました。そして作家になりたいという夢は、すぐに忘れてしまいました。
えぶり小学校を卒業して、水巻中学校へ入学しました。
ある日、テレビで、アメリカの「ネゴシエーター」という仕事が紹介されていました。ネゴシエーターというのは、「交渉」をする人のことです。「交渉」というのは「話し合い」のことです。「話し合い」というのは、お互いが「言葉」で、気持ちのやり取りをすることです。
アメリカの警察でネゴシエーターをしているマイクは、ある日、現場の公園へ急行しました。公園でロイという男性が、自分の頭に銃を突き付けて興奮した声で「オレは、もうダメだ! お前らを殺して、オレも死んでやる!」そう叫んでいました。警官たちはシールドの陰で銃を構えていますが、ロイも銃を持っているので、どうしようもできません。困ったすえに、ネゴシエーターのマイクが呼び出されたのです。
マイクはシールドも銃も持たず、手ぶらで現場へ行きました。そして興奮しているロイに「オレは君の味方だ! 君の力になりたい!」そう言いました。ロイは「うるさい! お前なんか知らねぇ! とっとと失せやがれ!」と怒鳴り返します。最初はブチ切れ状態だったロイをなだめて落ち着かせ、なんに困っているのか教えてほしいとマイクは言いました。ロイは乱暴者で仕事が続かず、イジワルな上司とケンカをしてクビになり、恋人からフラれ、やけっぱちになっていました。お金がないので何とかしようとギャンブルに手を出すと、逆に借金が増えてしまい、家賃が払えずアパートを追い出されそうになっていたのです。
恋人も仕事もなくなって、部屋も追い出されるかもしれない……ヤケクソになる気持ちは、わからんではないです(;^ω^) だからと言って、人や自分を殺すのはダメです(;^ω^)
マイクはロイの困りごとを聞いて、解決できる方法はないか話し合いました。確かに気の毒だが、自殺しなくてもいいんじゃないか? マイクは何度も問いかけました。
アメリカは日本と同じように、困っている人を助ける「福祉制度」というものがあります。住むところ、食べ物などに困っている人には、部屋や食べ物を提供してくれますし、仕事の紹介もしてくれます。住む所を確保してマジメに働けば、恋人だって戻ってくるかもしれません。人を殺したり、自分が死ぬ必要はない……マイクは言葉を尽くして、そういう話をロイにしました。
「君はまだ部屋を追い出されていないし、なにより働きたい気持ちがある」
「まぁ、そうだけど……」
「仕事をすれば、給料で家賃を払える」
「そうだなぁ……」
「給料が入れば、借金も返せる」
「そうなったらいいなぁ……」
「まだいろいろ挑戦していないのに、死ぬのはもったいないんじゃないか?」
「……オレだって、死にたくなんかねぇよ!」
「挑戦してみてダメだったら、その時は一緒に考えよう。俺は協力する」
するとロイは言いました。
「OK。俺は自分と、お前を信じてみるよ。オレだって、死にたくねぇんだ」そう言って、拳銃をそっと地面に置きました。マイクは言葉だけで、ロイの自殺を止めたのです! そしてロイはすぐに新しい仕事を見つけました。今度は意地悪な上司がいない会社だったので、ロイは楽しく働けるようになりました。別れた恋人は戻ってきませんでしたが、真面目に働くロイを見て、好きになってくれる人が現われました(^▽^)/
この番組は、私に衝撃を与えました! 言葉だけで人の命を救う仕事があるんだ! 私も、こういう仕事がしたい!!
でもどうやったら言葉で人の命を救えるようになるのか、中学生の私にはわかりませんでした。そして作家になりたいという夢を忘れたように、言葉で人の命を救う仕事がしたいという夢も、すぐに忘れてしまいました(;^ω^)
中学3年生になった時、私は特に目標を持っていませんでした。あの頃のバカな自分に、飛び蹴りをしたいです! 中学3年間でいろいろなコトに挑戦して、自分の好きなこと、得意なことをたくさん見つけて、進路を選ぶべきでした! でも私は、何もしませんでした。
何もしなかった私は、先生に勧められるまま何も考えず高校へ進みました。そして何も考えず高校時代を過ごし、卒業の時期を迎えました。でもお勉強は好きだったので、大学へ進学したいと、なんとなく考えていました。
大学へ行きたいという夢は、あっけなく潰れました。親や先生から就職をすすめられ、深く考えもしないで、事務員の仕事に就きました。今の時代なら女の子も大学へ行く子が多いですが、当時はまだ「女の子に教育は必要ない」という残念な考え方が根強く残っていました。そして私は目標を持っていなかったので、残念な考え方に流されてしまいました。
ここでも、幸せになる方法をお伝えします! 学生時代に、いろいろなコトに挑戦してみてください。そしていろいろな成功や、失敗をしてください! その経験の中から、ご自分が好きなこと、得意なことを、たくさん見つけてください。そして好きなこと、得意なことを伸ばすための、生き方を選んでください。
個人的には中学3年生までに、できるだけたくさん失敗をしたほうがいいと思います。どうして失敗したほうがいいかというと、失敗しないと、好きなことや、得意なことがわからないからです。そして好きなこと、得意なことをするため、進学するか、しないか、など、色々考えたほうがいいと思います。
私はウッカリして、ニガテな分野の高校へ行ってしまいました。だから高校でずっとニガテなことをして、しんどかったです。人はニガテなコトよりも、好きなコトをしたほうが、たくさん成長できると思います。大谷ショウヘイさんが野球で活躍しているのは、野球が好きだからですし、藤井ソウタさんが将棋で活躍しているのも、将棋が好きだからです。
小学生の時に小説家になりたい、中学生の時に言葉で人の命を救う人になりたいという夢を持ちましたが、夢は実現しないまま大人になり、就職して、結婚をして、夫の転勤で滋賀県へ引っ越して、10年たち、20年たち、いつの間にか40歳になっていました。
その間に離婚をしたり、病気になったり、色々とツライこともありました。そして誰も知り合いがいない滋賀県で、一人ぼっちになってしまい、毎日不安でいっぱいでした。
滋賀県で40代になったわたしは、市役所で「相談員」という仕事をしていました。高校しか卒業してない私に仕事ができるか不安でしたが、相談員になってからたくさんお勉強をしたので、ちゃんと仕事はできました。お悩みのすべてを解決できませんが、一緒に悩んでいると、相談に来てくださった方が「話を聞いてもらったから、気持ちがスッキリして、元気になりました(^▽^)」そう言って笑顔でお帰りになることもありました。
悩みのある方は、落ち込んでいます。中には「もう死にたい」、という方もいます。死にたい方に無神経な言葉を投げつけると、本当に自殺する恐れがあります。自殺を防止するには、専門の知識が必要です。私は通信制の大学で心理学や福祉学を学んだり、自殺を防止するための講習を受けて、相談のプロとして相談にのっていました。
そして、ここで夢が一つ実現しました。
私は大学へ行きたかったのに、行けませんでした。でも大学で勉強したいという夢は、大人になってからも、ずっとあきらめませんでした。そして40代になってから、自分のお給料で大学の学費を払って、自分の夢を実現しました♪ 夢はあきらめなければ、いつか実現すると思います♪
話を「相談員」のお話に戻します。仕事には「守秘義務」というルールがあって、相談の内容は秘密にしないといけません。ですから秘密を守るため、少し内容を変えています。でも、本当にあったお話です。
ある日、ガロさんという男性が相談に来ました。来たと言っても、ガロさんは私に会いたくなかったそうです。「もう死にたい」というガロさんを心配した親御さんが引きずるようにして、ガロさんを連れてきました。私は市役所の相談室で、彼と会いました。最初は無言でしたが、少しずつお話をしてくださるようになりました。
ガロさんは、人と話すのがニガテです。学生時代はいつも一人でしたし、就職してからも一人でした。でも職場で同じ年の男友達ができて、彼とだけは話すことができました。しかし彼が、急に仕事を辞めて、連絡も途絶えてしまった。ガロさんは悩みました。もしかしたら彼が仕事を辞めたのも、連絡がつかないのも、自分が何か悪い事をしたせいじゃないか? 悩んでいるうちに仕事で大きなミスをして、会社へ行くのが辛くなりました。仕事を辞めて、家にいても、不安な気持ちでいっぱいです。眠れないし、イライラして、新しい仕事を探す気になれない。もう死にたい。嫌われ者で、役に立たない自分なんか、死んだほうがいいんだ。
実はガロさんは、心の病気だったのです。驚いた両親は心の病院へガロさんを連れてゆきました。そして解決策はないかと、私の所へガロさんを連れてきたのです。
親御さんのしたことは、正解です。自殺を考える人に一番必要なのは、病院で心の治療をすることです。心は目に見えませんが、病気もケガもします。心の病気やケガを放っておくと、死にたくなるのです。自殺を考えるようになったらすぐ、心の病院へ行くことをおすすめします。
自殺を口にするガロさんに、私は粘り強く付き合いました。なにか楽しい趣味を見つけてはどうか? 趣味なんてないと言っていたガロさんでしたが、学生時代に絵を描くのが好きだったとわかったので、地元の写生会に行くことをすすめました。ガロさんは写生会でも一人でしたが、マルさんというオジサンと気が合って、少しずつ話せるようになりました。するとマルさんの会社で働く人を探していると、ガロさんを誘ってくれたのです。
ガロさんは前の職場でわからないコトがあっても、誰にも聞けず悩んでいましたが、今回はマルさんが教えてくれることになりました。そしてマルさんは同じことを何回も聞かれても、ニコニコして教えてくれる親切な人でした。ガロさんは安心して仕事ができるようになり、他の人とも話すようになって、いつの間にか薬をのまなくてもよくなりました。
しばらくして、ガロさんが私の所へ来てくれました。「今は毎日が楽しいです! あの時、自殺しなくて良かったです! ありがとうございました!」
私も嬉しかったです! そしてガロさんがお帰りになった後に、気づきました! 中学生の頃に夢だった「言葉で人の命を救う仕事」ができた! すっかり忘れていたけど、ちゃんと夢が叶った!! 30年くらいかかりましたが、夢は実現しました!!
やりがいのある仕事でしたが、悩みのある方と向き合うと、心が辛くなります。とうとう私の心が病気になって、仕事ができなくなってしまいました。
仕事をやめて、毎日家でブラブラしていました。ゲームをしたり、本を読んで、眠くなったら寝る生活です。宿題のない夏休みがずっと続く感じです♪ 一人で暮らしているので、他の人からガミガミ言われることもありません♪ 大人なので、お菓子だって食べ放題です♪ 最高の生活でした!
遊んで、食べて、寝る……こんな生活なら、皆さんもしたいと思います。私も最初は楽しかったです。でも、だんだんイヤになってきました。いくら楽しくても、あきるのです。それに誰の役にも立ってない自分がイヤになってきた。なにか、することないかな??
考えていると、小学生時代の夢を思い出しました。「作家になりたい」という夢です。40年くらい忘れていた夢は、実現できるんだろうか? 挑戦してみよう!
図書館で調べてみたら、出版社の賞で一位を取れば、本を出してもらえて、作家になれるとわかりました。もし作家になれなくても、困ることはありません。軽い気持ちで書き始めました。
そうは言ってもお話を書くのは初めてです。急に長い小説を書こうとしても書けませんから、最初はたった17文字の俳句や川柳からスタートして、次に31文字の短歌や詩などを書きました。そして原稿用紙2枚から3枚、皆さんが学校で書く作文くらいの長さを書いて、少しずつ長いお話を書きました。コンテストへ応募したのは、20作品です。どれも短い文章ですがその中で一つだけ、とんでもなく長いお話を書きました。 原稿用紙200枚を超える「姫さまですよねっ!?」というお話です。
このお話を書く前に、真剣に考えました。読んでくださる方に、私は何をお伝えしたいだろう? 一生懸命に考えてみると、すごくお伝えしたいことがありました。
それは「人は、生きているだけで百点満点!」ということです。寝たきりでも、話せなくても、生きてるだけで、人は百点満点! だからお勉強ができなくても、運動ができなくても、お友だちと上手に付き合えなくても、もちろん百点満点です! 皆さんに自信を持ってほしい! そして、幸せになってほしい!!
生きてるだけで百点満点ですが、生きていると辛い時もあります。そんな時に、楽しめるお話が書きたい! そして読んでくださった方に「あぁ、面白かった! 元気が出た」と思ってほしい!
そう思って書いた「姫さまですよねっ!?」というお話が、コンテストで一等賞になりました! 私は生まれてからずっと、言葉の力と、自分を信じていました。強く信じていたから、一等賞が取れたのだと思います。そしてお話は本になり、えぶり小学校の図書室や、ミズマキマチの図書館や、本屋さんに並びました♪
お話には、お姫さまや忍者が出てきます。福岡県にいた頃は、忍者は空想の生き物だと思っていました。でも滋賀県に引っ越したら、忍者がフツーにその辺を歩いていて、ビックリしました! 忍者はちゃんといたのです!
この本は、知識が増えれば増えるほど、面白くなるように書いています。今のところ、この本を読んでくださった方で、最年長の方は、84歳です! 84歳の方も「おもしろかった! 胸がすっとした!」と言ってくださったので、どうぞ皆さん、何度も読んでください♪
この本には、幸せになる方法がたくさん書いてあります。何度も読むうちに内容が沁み込んで、幸せになる方法を、使えるようになります。だから何度も読んでください♪
最後のお話です。今から、自分で自分を幸せにする、3つの方法をお話します。すごく大事なことです。わからないコトがあれば、後で質問してください♪ みんなの前で質問するのが恥ずかしい方は、質問のお手紙を書いて、先生へ渡してください♪♪
一つ目です。たくさん「ありがとう」と言う!
「ありがとう」というのは、簡単に言えます♪ いつでも、どこでも、言えます♪ 「ありがとう」と言うとウキウキするので、たくさん言ってください。私は人だけでなく、道のお地蔵様にも、空や花にも、自分の自転車にも、自分にも「ありがとう」と言います。
二つ目。「自分を大事にする」。
人は、おなかがいっぱいで、元気いっぱいで、暑くも寒くもないと、幸せな気持ちになります♪ だからイライラする時は「自分は、おなかがすいてるんじゃないか? 疲れているんじゃないか? 暑かったり、寒かったりするんじゃないか?」そう考えてみてください。そして、おなかが空いていたらご飯を食べて、疲れていたら寝て、暑かったり寒かったりしたら、お洋服を脱いだり、着たりして、自分を気持ち良い状態にしてください。
三つ目。「言葉」の力を、味方にする!
「言葉」は、力です。言葉は人を傷つけることも、助けることもできます。使い方は、あなた次第です。あなたは、「言葉」という強力な力を持っています。それをどう使うか、責任は重大です。
知っている言葉が多いほど、あなたの力は強くなります。たくさんの言葉を知ってください。そして「良いコト」にだけ、言葉を使ってください。言葉で人を傷つけたり、殺したりしないでください。
言葉は強力なので、後で取り消すことは、できません。口から出た言葉と同じように、顔が見えないインターネットでも、同じように強力な力を発揮します。だからどんな時でも、悪い言葉は使わないでください! 悪い言葉は呪いです。相手を傷つけるだけでなく、使った自分に返ってきます! 相手も、自分も傷つけないために、悪い言葉は使わないでください!
ここで良い言葉をいくつかあげます。良い言葉は、たくさん使ってください♪
「大好き」「楽しい」「おいしい」「いただきます」「ごちそうさまでした」「おはよう」「こんにちは」「おやすみなさい」「ありがとう」、そして「幸せだなぁ~✨✨」。
皆さんがすでに知っている言葉ばかりです。どうぞ良い言葉をたくさん言って、幸せになってください♪
〇ここで皆さんと出会えたのは奇跡!
人と人が出会うのは、奇跡です。広い宇宙の中で、長い歴史の中で、会えなかったはずの人と出会うことができた! たくさんの奇跡が積み重なって生まれたご自分を、そして出会うことができた相手を、どうぞ大事にしてください。たとえ相手と意見が合わなくてもケンカではなく、言葉を使って話し合いをしてください。
「挑戦する、あきらめない、やり抜く子」(えぶり小学校のスローガン)
生きていると失敗します。でも失敗は、成功に変えることができます。「最初は失敗したけど、失敗したから成功した! 失敗して、よかった!」そう言って笑うことができれば、あなたの勝ちです! どんな失敗も成功に変えて、最後に笑ってください。
私も高校選びを失敗したり、大学へ行けなかったり、したくない仕事をしたり、たくさん失敗しました! でも失敗したおかげで自分のやりたいコトがわかって、自分の力で大学へ行ったり、言葉で人の命を救うことができたり、作家になることができたので、今は失敗して良かったと思います! たくさん失敗したおかげで今日、こうして皆さんにお会いすることができたので、たくさん失敗して良かったです(^▽^)/
いつでも自分を大事にしてください。宇宙ができてからたくさんの奇跡が起きて、あなたはこの世に生まれてきました。ここにいる一人、一人、皆さんが奇跡なのです!あなたは、とても大事な存在であるということを、絶対に忘れないでください! あなたは、幸せになるために生まれてきましたから、必ず幸せになってください!! 自分を大事にして、自分で自分を幸せにしてください!
そしていつか開かれる、次のえぶり小学校の記念式典に、胸を張って参加してください。その時は私に「こんなに幸せですよ!」と、たくさん自慢してください♪
今日ここで皆さんに会えたことに感謝しています! 皆さんにお会いできたのは、えぶり小学校が150年も頑張ってくれたおかげです! 愛するえぶり小学校に、心からの敬意を表します! 創立150周年、おめでとうございます! そして今日お会いすることができた皆さんが幸せになるよう、心からお祈りしています!
また、えぶり小学校でお会いしましょう!!
サンキュー! ソウ マッチ! ソウ マチから皆さまへ、心からの感謝を贈ります!
ありがとうございました♪♪
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サポートも嬉しいですけれど、拙書「姫さまですよねっ!?」をぜひご笑覧くださいませ(^▽^)/ 愉快で楽しい本です♪♪ 