鎮魂 神戸 1.17 〜阪神・淡路大震災の31年〜
昨夜、寝落ちして、今朝早くに目覚めた。
TV番組表を見ると、ズラリ、阪神・淡路大震災の追悼番組が並んでいた。
あぁ、31年目だと言っていたなと思い出した。
その瞬間、5時46分に起きて、黙祷したことが、この31年間、なかった。
せっかくなのでと、そのまま、起きて、TVを視ていた。
TVでは、震災で大切な人を亡くした方々の今や想いを映し出していた。
亡くなられた方の当時の写真なんかも。
そこには、31年が経っても、悲しみが癒えないまま、すごしている皆さんの想いが溢れ出していた。
僕も、あの時、大阪で被災している。
その時のことを思い出した。
修士論文を書いていて、徹夜をし、そろそろ寝ようとしていた、その瞬間、大きな揺れに襲われ、机にしがみつき、動けなかった。
停電して、真っ暗になった。
階下で、母が僕を、何度も、何度も、呼ぶ声が聞こえた。
外が白白と明るくなり始めると、パラパラと人が外に出てきて様子を見ていた。
一階の台所へ行くと、食器棚が傾き、中のグラスや陶器が床に落ち、破片が散らばっていた。
母と不安な思いですごした。
父は、そんな中、眠っていた。
よく、こんな状態で寝ていられたねと、後年、家族で笑って話していたら、土木構造物の設計者だった父は、自分が設計した構造物が倒壊していないか心配で、現実を直視できず、寝ていたのだと語った。
あとは、断片的な記憶。
最寄りの駅へ向かう道を行くと、如何にも古びた平屋建てが大きく傾き、壁が剥がれ、原形をとどめていなかった。
倒壊した阪神高速の高架を見にいく道中、国道二号線などは行き交う人で溢れていた。
日本の誇る耐震設計で建造された阪神高速の高架が無惨に倒れていた。
また、TVでも、信じられない光景の数々を目の当たりにした。
燃え広がり、いくつもの黒煙が立ち昇る、神戸・長田の街。
倒壊した阪急電鉄の伊丹駅。
家族が、知人が、倒壊した建物の中にいるんだと、成す術なく、助けを待つ人々。
街で顔を合わせ、互いが無事なことを知り、抱き合って、泣きながら喜ぶ人々。
どれも、鮮明に、僕の脳裏に記憶されている。
「がんばろう、神戸」の記憶。
そして、今朝のTV。
何年経っても、心の傷が癒えないまま、亡き人を想い、震災のない世の中を願い、まだ暗い公園に多くの人が集まっていた。
竹を切って作られた灯籠に、ロウソクが燃える。
空から映し出された、炎で描かえた文字、
“つむぐ 1.17”
が浮かび上がる。
5時46分、その時がきた。
黙祷ー
僕も、31年目にして、初めて、震災のその瞬間、黙祷した。
亡くなられた方々の苦しさ、痛さ、熱さ、絶望感、悲しみ、無念を想い、
大切な人を失い、未だ、その人達を忘れることなく、悲嘆に暮れ、平和な世の中を願う方々の気持ちを想い、
その方々のご冥福や心の安らぎ、傷付いた心の傷が癒えること、震災のない世の中への願いを胸に、TVに向かい、僕は、黙祷した。
自然災害は、無慈悲で残酷だ。
大地震が起こり、大型台風が襲い、豪雨が降り注ぐたび、こんな悲しいことが、日本のあちこちで起こっている。
僕は、
もう、これ以上、こんな悲しい出来事が起こらないことを、
こんなに悲しく、つらい想いをされる人が生まれないことを、
心から願っている。
神戸、1.17。
忘れ得ぬ記憶。
悲しみの記憶。
黙祷ー
この一文を、
亡くなられた多くの方々、
そして、
そんな大切な方々との別れを強いられ、今も心に傷を抱えたまま、悲しみに暮れる方々へ捧げます。
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