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表彰という方法で民衆の高度な文化は棚に上げられ資本主義の中で潰された

どうか、陰謀論者と化している私のブログ記事に希望を失わないでください。
情報はそれぞれが消化して、自己の確立に向けて利用していくだけのもであり、影響を受けてそのままに動かされてはいけないものです。

私が社会の多くを疑っているように、私の書いている事にも疑う事を忘れないでください。私は嘘を書いているつもりはありませんが、間違って情報を捉えている可能性はあります。「そんなふうにあなたは捉えているのね」という程度で読んで頂ければいいのです。

それぞれご自身の中にある光は最後まで信じていてください。
情報に影響を受けないはずの自己の存在を私も確認していたいと思っていますが、忘れることがほとんどです。
そんなことをご理解頂き、下の文も読んでください。

前の記事、いえ、その前の記事に書いたことと繋がります。
「寝起きの考察」さんの動画
「やっぱりいいとか悪いとか簡単に言えないぐらい複雑ですよ」 2025/03/26
を視てからの話です。(公開されてから数日間は視られるようです。)
明治期から昭和にかけて日本を動かしてきた人たちの繋がりによって何が起きたかの考察を促しています。
他の動画でも多面的に紹介されています。

上記動画の回は「民藝運動」について取り上げておられます。
民藝運動 Wikipedia
手仕事によって生み出された日常づかいの雑器に美を見出そうとする運動。「民藝」とは「民衆的工藝」の略語で、柳宗悦らによる造語。

この中で、「白洲雅子」の名前が視聴者さんから挙がったのですが、私も、白洲雅子の本を読んだことがあり、確かにそっちの関係のことをやっていたなぁ、と思っていました。

その流れで、白洲次郎についても浮かんだことがありました。
白洲夫婦は町田の古民家に住んでいたのです。
旧白洲邸「武相荘」として見学できる場所となっていて、私も行ったことがありました。

その家のお抱え大工が、私の父の満州開拓団で同級だった人で、一緒に逃げて生き延びて帰国できた人だったのです。その方のお姉さんは、列をなして避難している最中に、ロシアの機銃掃射で亡くなっています。その方は中学生で帰国した後、修行して数寄屋大工になったのです。

15年以上前ですが、私が子どもや大工の勉強会として、昔の色々な職人技術の勉強会を開いていた時に、丸太同士を組む数寄屋の勉強会をやろうとした時に、父にその方とつないでもらった関係で、白洲邸の仕事をしていたことを知ったのです。

以下、少し大工の勉強会の様子も載せておきます。

素材採種は林業技術者に教わりました
屋根は杉皮葺きにしたので、そちらは大きな木から皮を剥ぎました。
数寄屋勉強会風景
数寄屋勉強会で建てた東屋


話を戻します。
すでにその方も父も亡くなっています。
その大工さんに聞くまで、白洲次郎という人を知らずにいた私でした。その後白洲夫妻それぞれの人物像が描かれた本や本人の著作、NHKのドラマなども見て、ずっと気になる人になっています。

白洲次郎などは評価が180度分かれます。大金持ちであることに違いはありませんし、なぜ政府の中枢に入れたのかもおかしな話のようにも感じます。NHKは美化しましたが、それは意図があってのことでしょう。白洲雅子も大金持ちのお嬢様。そっち(田布施システム)の世界の人脈の中にあった人でしょう。

参照: 注:西鋭夫氏はイルの回し者そのものです。真実を入れながら、嘘も沢山交えて解説していると私は思っています。その人が白洲次郎をこけ落としています。下の動画をどのように判断しますか? 判断には、色々な方が書いている白洲次郎についての本も読んでからにした方がいいとは思います。

暴露】英雄伝を自作?極秘情報の漏洩?吉田茂の名補佐役はウソ?白洲次郎、虚像がついにバレる...
西鋭夫チャンネル 2024/05/11

・・・でも、「あの夫妻は古民家に住んでいたなぁ。次郎は農作業もしていたようだけど、最後の頃のあの状況、彼らは何を表現していたんだろう・・・。(その大工さんの案内で武相荘に行った時)多分、子どもさんたちなのか親戚なのかわからないけれど、資料館の近くに住んでいる人がいた。まるで人を避けているかのように遠巻きに接していたように感じたあの人は誰だったのかわからないけど、目立つのは嫌なんじゃないかなと感じた。私のあの感覚はなんだったんだろう・・・。」
そんなことを思い出しておりました。

白洲雅子という人には、失礼だけれど私は気持ち悪い感覚になります。趣味も違いますが、そこは仕方ないとして、なぜ嫌な感じを受けるのか・・・生き方や文章で解説するから偉そうに感じるのかな・・・。

そんな諸々を考えていたので、上記NKさんの動画の話よりもそっちに頭が行ってしまい、きちんと視聴せずに終わってしまっておりました。

我が子も料理をしながらだったので、適当にその動画を聴いていたのですが、白洲夫妻の話などをし始めた時に、
「日本の庶民がつくり上げた民藝は、奴らが持ち上げなければそのまま庶民の中にあったんだ。奴らが持ち上げて潰していったんだ。柳田国男もずっと気持ち悪いって感じていたけど、あつも昔の民話や民族を取り上げて、結局潰したんだよ。」と、衝撃的なことを言ったのです。

寝起きの考察さんの動画を視た時に、私はそこまでの考えまでは至っておりませんでした。でも、確かに、考えてみれば、奴らが取り上げたり、天皇に表彰されることで、庶民の中で暖かく育まれてきた高度で楽しい文化が、庶民から取り上げられて棚の上に持ち上げられ、喜ばされているうちに、(自然や時間無視の)大量生産、資本主義、産業革命の中で、完全に消え去っていったと言えるでしょう。一部金持ちの自慢の道具として残っても、多くの庶民の手に技術や考え方が戻ることは二度となかったのです。金持ちたちは日本文化を守る事はしなかった。

鬼無里村に、麻糸、麻布を作ってきた事がわかるふるさと資料館があるのですが(冒頭の写真)、以前行った時展示の中に、それはそれは美しい光沢のある麻糸が置かれていました。私は麻糸を美しいと感じたのは初めてでした。
その展示室のどこかに「江戸時代までは良かった」と地元の人の言葉が書かれた一文がありました。
その頃建築の事も含め、同じことを色々な場で感じていたので、「やはりここもそうだったんだ」と思ったのでした。

柳田国男も縄文人とも言われている高度な生活技術を持った山の中で暮らす「サンカ」を取り上げたりしていました。取り上げることで、世間に知らしめて、結局は潰していく役目を果たしたと言っても過言ではないかも知れません。

サンカは別ですが、民藝の技術者たちは、当事者もその周辺も、持ち上げて喜ばせていれば大人しい。天皇や有名どころに褒められたとなれば尚更有頂天になる。自ら「特別な階層の人種」になった気持ちになる。逆らうなんてとんでもない。当事者達がそうなればしめたもの。表彰された人たちは、自分達が何に支えられているかを忘れてしまうのです。

(これは、伝統構法民家を合法的に建てられるように活動していた時に、文化財の社寺建築をやっていた宮大工たちが、絶対に国に逆らわない、意見も言わないのを見たのではっきりと断言できるのです。自分達は特別なので、違法建築をやっていても役所からおとがめなしなのです。「確かにそうなんだろうけど、俺は困ってないから。」これがその有名な宮大工たちが口にする言葉でした。他人、未来がどうなろうと、今の自分に仕事があればそれでいいだけなのです。官僚はそれをはっきりと捉えていました。)

民藝を持ち上げた金持ち系列の有名人達の意図が、それぞれどこにあったかは知らないけれど、結果的に欧州から来た大量生産の波に乗り、金持ち階層で居続けました。その上で、日本人の自然と共存してきた時間や文化・技術、思考、全て潰してしまったのです。

お遊びで難しいことを語るだけの金持ちの生活は、今もずっとそのまま継続しています。庶民とは関係がないのです。消えかかる文化を救ったわけでもない。
一つの技術を救う為には、関連する素材を育てる人、適期に適した技術を持って採種、加工、保存する人、それらすべてに渡る建物から道具職人に至るまでの技術者たちの生活が守られなければなりません。最終的な作家だけが表彰されても、なんにもならないのです。民藝を持ち上げた金持ちたちはどこまで知っていたのでしょうか? 天皇まで通じる人脈がありながら、文化を守る事をしなかった理由は、どこにあるのでしょうか? 仕方がなかったとだけ言うのでしょうか?

「武相荘」。白洲次郎と雅子は、何を表現したかったのでしょうか・・・?
父の友人の数寄屋大工さんは大きな作業場を持っているような会社経営者ではなく単なる個人の大工だったし、それほど有名な人でもありませんでした。ただ有名な陶芸家の茶室などもやっていたので、腕はいいと言われていたのかも知れません。古民家やあの内装、そうした大工の選び方は雅子さんの判断だったのかも知れません。
そういう判断も含め、白洲夫妻は悪いばかりではないとは思うのです。でも、何とも金持ちに上から弄ばれているようにも感じられて、複雑な思いが消えません。
白洲雅子は民藝を素直に楽しんでいたようにも思えるので、その作家さんからすればそれだけでいいのかも知れません。私は越えられない何かをわざわざ捉えようとし過ぎているのかもしれない・・・。