デスカフェげん②2026年7月〜死について語ろう
午前に続いて午後も違う顔ぶれで死について語り合いました。
今回は主に「死にゆく人とどのように過ごすか」に焦点が当てられました。
「気になった死についてなかなか話を出来なかったので皆の意見が聞けて良かった」「自分の死別経験を話せてほっとした」などの感想が聞かれました。
以下は大雑把なまとめです。
良い関係にあった人との死別と、わだかまりのあった人との死別とは遺族の心境は違うか。
・一緒にいた期間が短い、頼れない関係だった、介護が大変だった、などの理由で、見送ってほっとしたと思うこともある。子どもながら、介護が大変だった家族を見送ったときほっとした。そんな自分を残酷だと責めた。
・若い頃の親の死はなかなか実感ができなかった。頼りきっていたからか。
・入院や認知症介護など長かった場合でも亡くなるまでの時間は「私のために生きてくれている時間」と思えた。介護をしなかったためか。
認知症になった人は人格が変わると聞くが、それは以前のその人が亡くなったように感じるものか?
・それまでは責任を背負ってきちんと生きてきた人だったが、認知症になってから面白いことを言うようになった。別の面が見られてより深く知れたと思えた。
・可愛くボケる人もいるときく。父母がそうなったら手をつないで歩きたい。
・記憶が消えたり混乱したりするのが本人にとって辛いことだったと感じた。寄り添って話を合わせると安心したようだ。あり方は変わってもその人の本質は変わらない。
身近な人の死に際してどのような対応をしたいか?また自分の死に際してどのような対応を望むか?
・自分は痛みをなるべく感じたくないので、他人もそうだと思う。
・自分の感じている苦痛が周りの人のせいではないとき、はっきりと何由来の痛みかを伝えることで周りの人の気持ちが楽になると思う。想像のしあいっこが悪い方向に行かないようにしたい。
・介護場面で意思疎通は助かるけど、やはりお互いにお互いのことを想像し合うと思う。それは愛情表現でもあると思う。
・介護に限らず迷惑はお互い様。
・自分が邪魔な存在と思うと精神的に痛い。
・あまり一緒に過ごしてこなかった人は自分の面倒をどのように見てくれるか分からず不安。
・尊厳死のドキュメンタリーを見てマイナスイメージからプラスイメージに変わった。
突然の事故に巻き込まれた人は死にゆく過程で何を考えるのだろうか?
・周りの人はいろいろ想像して「気の毒に」などと言うかもしれないけど、実際は本人はそれどころではなく、夢中でもがいているうちにいつの間にか亡くなったのではないかと思う。
・理不尽な突然の死は周りの人の方が受け入れるのが辛いかもしれない。
・死はコントロールできない最大のもの。日常もコントロールできないかもしれない。身を任せるのが一番。集大成などないのだから。
・死も生もある程度はコントロールや選択ができるかも。サッカー選手がピークで引退するみたいに。
