デスカフェ〜死について語ろう2026年6月
デスカフェ初回。月曜日の朝一番の開催でしたが、思いのほか集まり、皆で有限なひとときをたくさん語り合うことができました。
まず一人一人が死について思うこと、経験したことなどを自由に共有ました。死と一言で言っても本当に多様な話題が含まれていることが分かりました。
出された話題
・「一人称・二人称・三人称の死」にはそれぞれ違う感情がある。特に身近な二人称の死には後悔の念、心残りなど強い思いが消えない。毎日思い出す。生きてる人も関心や愛情があると思い出すが、死者は意思疎通ができないから「分かった」と言ってもらえず、考えることを止める方法がない。遠藤周作「沈黙」を思い出す。その点、神も死者と似ている。
・死にゆく過程そのものをどう過ごすか?どう支えるか?そのときの思い。
→日本の介護保険制度は素晴らしい。
→死ぬ直前の写真を見ても諦めつくが、若い頃の、老いも死も考えていなさそうな写真を見ると泣けてくる。映画と同様、ナラティブで生きる意味がつながるからかも。
→社会は老人に残酷。「早く退場して」と言っているみたい。赤ちゃんにはそうでないから、単純に世話が大変だからではない。迷惑なのは事実だけど納得できない。
→自分が老人ホームに入るかどうか、入らないならどうするか、考えたい。いざその時になると楢山節考のように考えが変わるかも。
・死後のことをどう考えるかによって生き方が変わるのでは?今後聞いてみたい。
・死を意識することで何が変わるか?
→車の運転を控えたり危険なことを避けたりするようになった。
→死をテーマにした映画などが目につくようになった。
・死は二段階。肉体の死と記憶から消える死。思い出から消えても作品として記憶に残る人もいる。名を残すことも生きる意味かも。
・親族の死に対する特別な感情は何なのか?→自分の存在価値に関わるもの。自分の一部の喪失体験。幻肢痛に似ているかも。
死についてのおすすめ文学作品や映画
楢山節考
志賀直哉「城崎にて」
映画「サンキュー、チャック」
映画「シラート」
映画「急に具合が悪くなる」
時間の制約で、いくつかのテーマについて少しずつ意見を交わすに留まり、もっと話したかった人もいたと思います。他の人が話したことについて、忘れていたことを思い出した人もいたようです。
哲学カフェとはまた違い、言葉の意味や理論などの枠組みを離れて、自分の体験や感情なども出していける場として、これから先も続けていきたいと思います。
