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運動神経って、何ですか?

努力では届かない領域の話をしよう

運動神経では説明できない世界~
スポーツから見える「価値」と「適合」

「運動神経がいい人」は確かに存在する。反応が速く、身体を思い通りに扱える。いわゆる『できる人』だ。実際、こうした能力があれば多くの競技で上位には到達できる。

しかし、そこから先
頂点に近づくほど、求められるものは変わる。

シャビ・エルナンデス🇪🇸という特異点

スペイン代表の中盤で世界を制したシャビ・エルナンデスは、ボールを持つ前にすでにプレーを終えている。走り込む味方の「未来位置」にパスを通す。その精度は、単なる技術では説明がつかないものであった。

ChatGPT生成。参考画像。

シャビの現役時代の名映像を見れば、
「何故そこを狙えるんだ!」
という圧巻のパスを出す様が見られる。
観客が俯瞰で見るものに対して、選手達は平面のピッチ上にいるのである。
少しだけ想像してほしい。もし自分がその中にいたとしたら。変幻自在に適材適所で動的判断で動く選手達。その走り込む先を予測して、ピンポイントでパスを送ることが出来る。
それが可能であると想像出来るだろうか?
シャビは「未来予測者」などと言われたが、本質はそこではない。

シャビは卓越した空間認識能力をもっている。

全てはこれに尽きるのである。
もちろん、そこに動的な判断能力。当然ながら、このレベルで通用するテクニックは必要不可欠なのも言うまでもないだろう。

つまり、シャビにはピッチ全体が見えていたのである。そして、状況を同時に把握し、予測しているのである。

スペイン代表の中盤で世界を制したシャビ・エルナンデスは、ボールを持つ前にすでにプレーを終えている。

NHKスペシャル『ミラクルボディ』では、彼にアイトラッキンググラスを装着し、その視線を解析する試みが行われた。

結果は明確だった。
彼の視線はボールに固定されることはなく、常に周囲へと高速で移動し続けていた。
見てから判断しているのではなかったのだ。

次で更に別の例を挙げてみよう。

欧州最高峰の自転車ロードレース~
ツール・ド・フランスの超高速ダウンヒル

欧州の自転車ロードレース。中でもトップカテゴリーとなると、人間の限界に挑戦するかのような過酷なスポーツでもあり、特に欧州では人気カテゴリーでもある。
その最高峰のレースである、ツール・ド・フランスの高速ダウンヒルでは、時速100km/h近い速度を叩きだす。しかも、初見のコーナーに対して最適なラインを選び続ける。

現在最速のダウンヒラーであるトム・ピドコック🇬🇧が2024年ツール・ド・フランス第12ステージで見せた圧巻のダウンヒル。森林限界を越えた直線区間では100km/hを超える速度域。そこからのワインディング。森林帯に入ればブラインドコーナーの連続。それを初見でコーナーの侵入曲率を瞬時に判断して限界最速速度で侵入。アウト・イン・アウトの原則に縛られず、あくまで最速ラインを取り、最速速度でコーナーを脱出する。
これはまず、バイクコントロール以前に、卓越した空間認識能力が無いと不可能なものである。

モータースポーツの世界~
人間の認知限界へ

ラリーやF1のトップドライバーも同様だ。視界の外にあるはずの情報まで含めて、次の一手が『見えている』。

ここで、Porsche 911 GT2 RSがニュルブルクリンク最速タイムを記録した時のオンボード・カメラ映像を紹介しよう。

この映像の印象はどうだろうか?
ちなみに筆者は、友人である元スーパーGTのドライバーに私の印象を伝えてみた。
「このクルマ、凄く足がいいね。ストロークが素晴らしい。いい仕事してる。それに何よりブレーキの信頼性が圧倒的だね」

すると、その友人も
「全く同意!奥津さんと同じ意見だよ!」

ここで働いているのは、一般に言われる
運動神経とは別種の能力である。

では、参考までに、Porsche 919 EVOがニュルブルクリンクのコースレコードを記録したオンボード映像もご覧いただこう。
流石にこれは、筆者からも異次元である…

未来を含めた空間の把握する能力。まずはこれが決定的な認知能力の差となる。
状況のリアルタイム統合。低遅延の意思決定。  
言い換えれば、動的環境における予測と統合の能力だ。

この領域に入ると、努力の延長だけでは到達しにくい『段差』が現れる。連続的な成長の先に、非連続なジャンプがある。身体能力の勝負から、認知のモデルで戦う世界へと移行する。

重要なのは、ここで語っているのが優劣ではないという点だ。  

ところで、筆者はバッティングセンター
80km/hの球すら当てられない。
どうだろうか?
従来、動体視力という一言で片付けられていた能力。これは全く別物である。
そのように筆者からは伝えることが出来る。

これは「向き不向き」の問題である。

人の向き不向きとは?
社会全体の大きな課題

スポーツの世界は、その構造を分かりやすく可視化する。評価軸が明確で、何が効いているかが露出するからだ。だが一般社会では、こうした多様な能力はしばしば一つの指標に圧縮される。

それが「金を稼げるかどうか」だ。

もちろん、収入は現実の重要な指標である。しかしそれをもって能力の全体を測ることはできない。にもかかわらず、「稼げないのは努力不足だ」という単純な物語が広く受け入れられている。これは多様な能力と適合の問題を一つの軸に押し込めた、社会的なバイアスでもある。

同じ能力でも、環境が変われば評価は逆転する。  
戦場やスポーツのような動的環境では強みとして機能する認知が、静的でルール化された環境ではノイズとして扱われることもある。能力の有無ではなく、能力と環境の一致
すなわち適合が問題の本質だ

一部の研究では、こうした空間認識能力のような特殊な認知特性は、狩猟採集時代の適応戦略の延長として捉える仮説も提案されている(あくまで一説であり、統一的な見解ではない)。広域の状況把握、獲物の動きの予測、即時判断。確かに一致する点は多い。しかしここでも重要なのは、断定ではなく視点である

見えていない能力は、存在しないことにされる

従来のテストは静的な問題を解く力には優れているが、動的環境での予測や統合を十分に捉えることは難しい。もし評価の方法が変われば、価値の見え方そのものが変わる可能性がある

価値とは、能力そのものではない。  
能力と環境の適合の結果として現れるものだ

スポーツはそれを、あまりにも分かりやすく示している。

人間社会は、『価値』そのものを再考すべき分岐点に立っているのではないだろうか。

2026年4月25日
奥津哲雄

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